初夢2014年01月02日



2014年1月2日、穏やかな朝。
母にパンを焼き、キャンベルのクラムチャウダーと共に実家へ運ぶ。
スープの冷めない距離。

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以前住んでいた家は祖父母の住む平屋の母屋と、その裏に僕の両親が結婚したときに建てた小さな二階屋からなっていた。
祖父母はすでになく、その二軒の家も10年以上前に取り壊しそこには今アパートが建っている。

その年はじめて見る夢を初夢と言うのなら、今年のそれは今朝見た夢だ。
夢の中で、平屋の母屋になぜか遠藤周作先生が住んでいた。
その家に入り浸っていた僕は大学を卒業し、でも就職先が決まらないままウロウロしていた。
そこで遠藤先生、住み込みの書生を募集するという。
沢山の応募者の一人として選考してやるから、僕に履歴書を提出せよというのだ。

住所と氏名を書いたら他になにも書くことがない。
何の特技も経験もない僕は、これで面接に受かるはずは無いとうな垂れた。
それを見た遠藤先生が履歴書の特技欄に料理が美味い。野菜も作れる。と書いてくれたんだ。
お前の作った野菜を毎日料理し食わせてくれよ、と先生は仰った。

面接に合格し住み込みのお手伝いとなった僕は、両親の住む二階屋に走っていった。
玄関先に子供の頃に飼っていたシロと言う名の紀州犬が座っている。
扉を開け、就職が決まったぞと大きな声で言い放った。
すると台所に亡くなった父が居て、昼間から酒でも呑んだか居眠りをしていたんだ。

そこら辺でこれは夢なんだと薄々気付き、でも夢が醒める前に親父と何か話そうと焦った。
焦ればあせるほどに口が廻らなくなり、何も会話できないままに夢から醒めてしまったんだ。
この夢は何を示唆しているのか。
醒めた後に嫌な気分は残っていなかったから、僕にとっては良い夢なんだろう。
嗚呼でもたった一言で良いから親父と話がしたかった。


あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いいたします。


月齢1.72014年01月03日



職場からの呼び出しも無く、例年に無く穏やかな正月を過ごしている。
美味い酒、美味い肴、これでMが居れば言うことは無い。
今夜は来るのかな。
明日は僕も仕事だけれど。


古い写真の発掘2014年01月05日



小寒。 
今日から立春の前日までが寒の内。
そう、暦の上で冬はあと一ヶ月で終わるんだ。
これから徐々に陽は伸び、太陽高度も上がってゆく。
もう少しの辛抱だ。

穏やかだった、そして思いがけずのんびりとした今年の正月が往く。
ハレからケへ、非日常から日常へ。
Mと出掛けた初詣で引いたおみくじには、「今までの苦しみ煩いもいつか消えて心楽しい時が遠からず来ます。心安らかに迷わず授けられた自己の役割を熱心に尽くしなさい」とあった。
そうであれば嬉しい。

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実家で探し物。
以前バイクを廃車にした時に出してもらった任意保険の中断証明書だ。
その書類があれば等級を引き継ぐことが出来、安い値段で保険に入れるはずなんだ。
すぐにまたバイクを増やそうと思っているわけでは無いのだけれど、欲しいバイクがある。

でも探し物をしていて捗るはずが無い。
押入れからアルバムを発掘したからだ。
2000年頃にデジカメを買うまで撮り貯めていたネガやポジ、未だ色あせない写真たち。

MTという古いバイクの前でしゃがみ込む僕。
レンタカーのジェミニを久里浜埠頭に停めて笑う自動車免許を取った翌日の僕。
シルビアのエンジンを弄っている僕。
本州最北端の碑の前にムスタングを停めている僕。
四国のかずら橋でターボが壊れたのはプローブだった。
スズキのバンディット、古いアルファやらヤマハのXJやらワーゲンのシロッコとか。
そのアルバムはバイクや車の写真を集めたものだった。

当時の僕はこんなにもマメに写真を整理しまとめていたのかと感心してしまう。
そこには若かった頃の僕が詰まっていた。
忘れてしまいたい事も多いけれど、でも写真に残しておいて良かったと思う。
写真ってすごいや。

今デジカメになって、以前に撮った写真を見直すことがなぜ減ってしまったのだろうと思う。
もしHDDに何かあったら、大量の写真データは飛んでしまうんだ。
HDDのバックアップ、そして気に入った写真はプリントしよう。
そしてたくさん撮ること。
上手いとか下手とかは関係ないんだ。
いつかまた今より歳をとったときそれを眺められるように、今を残したい。




奴のこと2014年01月06日



めずらしく明け方熟睡し、目覚まし代わりのラジオに起こされた。
5時半の気温はマイナス2度。
昼時間は延び始めたけれど、夜明けは今日前後が最も遅い。
暗く寒い中を犬とトボトボ歩き、早起きの母が居る実家に顔を出したのが6時半。

新聞を届け、正月に溜まったゴミ出しを手伝い、調子が悪いファンヒータをメンテナンスする。
もう10年以上使っているファンヒータは手入れをしても立ち消えが直らない。
そしてなぜか母はエアコンの暖房を使わない。
今日中に新しい機器を購入する必要がある。
職場の新年会参加予定を変更し、ウーロン茶で乾杯だけしホームセンタへ行く事とする。

車で出勤。
仕事はゴタゴタした割には何も片付かず。
職場で一番エライ人に母の事を少し相談。
その人のご母堂もまた、母と同じ病を長患いしている。

昼食は自宅から持って出たパナソニックホームベーカリー謹製のごはんパン。
小麦粉に余った冷や飯を加えて焼いたパンだけれど、モチモチとして美味し。

夜、購入した暖房機器を持って実家。
新しいファンヒータの出す暖かく幸せな温風にあたりながら、長く母の愚痴を聞く。
それは兄の事。
あろうことか奴はもう2ヶ月近くも母からの電話に出ないらしい。
どこに居るのかも仕事をしているのかも解らぬ。
父が倒れたときに奴が逃げた事を僕はこの先も一生忘れない。
そして今、病気の母の元からも逃げているのだ。
アタマの中であらゆる言葉を使って奴を愚弄した。






今夜の酒と明日のこと2014年01月08日



正月明けからまともな料理を作っていない。
朝は食べないし、昼はたいていカップ麺。
夜は少し呑んで終わりにする日ばかり。

今夜は白菜漬けと好物の佐藤水産「ロッキーサーモン」
酒は東京の地酒、田村酒造の嘉泉ふねしぼり無濾過生原酒を燗で。

明日は仕事を休んで母の外来に付き添う。
11月以来休んでいた治療の再開だ。
最近の体調の良さを見るにつけ、もう治療は止めた方が良いのではないかと悩んでいる。
いつもいつもそればかり考えている。
でも本人がまだ意欲を見せているのに、息子がもう止めようと言える筈が無いじゃないか。





いくらなんでも寒すぎる2014年01月10日

今シーズンで最も強い寒波が流れ込んで来たという。
昼休みに職場中庭で見た温度計は6度。
まさに寒の内。
一年で最も寒い季節に差し掛かってきたんだ。

朝は5時半起き。
暗い道を犬とトボトボ散歩し、昨夜洗った洗濯物を外に出し、燃えるゴミを出してから実家。
母にお茶をいれ、Mが買ってきてくれた「すっごく美味しい」プリンを食べさせ、薬を飲ませる。
7時、寒さに負けて車で出勤。

仕事は特記事項無し。
自室で使っているレザープリンタが故障しキャノンに連絡。
昼食は「日清どん兵衛・天ぷらそば」 
NO1だと思っていた緑のたぬきよりこっちの方が美味い事に気付き軽くショック。
でもどん兵衛はあまり安売りをしないのだ。
午後はずっとルーチンワーク。

夕方少し早め帰り、スーパーに寄ってから犬の散歩。 
そして実家で母に冷たいトロロ蕎麦を作った。
自宅に帰って、この頃気に入り「花王のバブ・ヒノキの香り」で風呂に入った。
風呂でラジオを聴きながらボンヤリしている時間が一番幸せ。

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昨日、久しぶりの母の受診で血液検査の結果があまり良くなかった。
まあそれは予想していた事だ。
が、やはりこの辺で一度CTを撮り治療の評価をしようと言う事になってしまった。
それは僕がずっと避けていた事だけれど、主治医の立場からは当然の提案だろう。
QOLを考えれば、治療の是非を考える時期では有るのだ。
気が重いけれど母には検査を受けてもらう事とし、来月にその予約を入れた。

実際、昨日の治療直後から出た副作用が日常生活に大きく影響をしている。
特にこれからの数日間はベッドに臥せりがちな毎日となるだろう。
来月の検査でもし治療効果より副作用の方が大きいと判断されたら、母に治療終了を提案する。
後でぶれないよう、ここにはっきり書いておく事にする。

まったくなんでこんな事になってしまったのか。
今でもこれは夢なのではないかと思う事がある。

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落花生で作った煮豆。
去年の秋に僕の畑で収穫した豆で作ったんだ。
母の実家あたりは落花生の産地だから、子供の頃から食べなれた懐かしい味。


母とMのこと2014年01月11日

犬と散歩に出た午前5時半の気温はマイナス2度。
空気がキンと張りつめ、僕らの足音も硬質に聞こえる夜明け前。
日の出は6時51分。
あと二日も経てばそれは6時50分となり、いよいよ夜明けが早くなり始めるんだ。

朝の家事をしてから実家へ行き、母のお茶と軽食を準備した。
薬を飲ませ、昼食用に焼き芋を準備し、洗い物をしてから車で出勤。
仕事は特記事項無し。
来週また感染症関係の会議があり、その下準備など。

18時、職場から20キロほど離れたMのマンションまで夜勤明けの彼女を迎えに行く。
2人で自宅に帰り、母の夕飯準備、犬の散歩、風呂。
実家にMにも付いてきてもらい、母と三人で世間話などをした。

母はどうやらMと気が合うようで、僕に話さない事まで良くしゃべる。
入院先の病棟師長だったという安心感からなのか、同性の気安さなのか。
発病まで母はMを知らなかったのだから、この10ヶ月で変わればかわるものだ。
まさか入院先の病室でMを紹介する事になるとは、全く想像も出来なかった。

本当はもっと違う形で引き合わせたかったけれど、それを今言っても仕方が無い。
今の母にとってMが頼りになり、Mにそれが負担でないのなら、こんなに嬉しい事はない。
ふらつく母の手をとって歩いてくれるMを見て、ただただ感謝するのみ。

食事の支度2014年01月13日



帰宅してからでは間に合わないから、母の夕飯は前夜に作る。
今回はカワハギの煮魚、畑でとれた野菜を沢山入れた豚汁、聖護院大根のマリネ。
豚汁は大量に作ったから、僕も半分分けて数日かけて食べる予定。
料理が好きで良かったとこんな時に思う。
母の食事を作ることに関しては、まるで趣味のように楽しめるから。


Windows9出るの?2014年01月15日



朝いつもの時間に起き、いつものルートを犬と歩き、いつも通りに実家へ行く。
母の血圧を測り、薬を飲ませ、軽食を摂るのを見てから帰宅。
7時、車で出勤。
木、金、土と時間が取れそうにないから、今日は早めに帰って買い物に行く。
灯油も買っておかなければならないし、ファンヒータを捨てるのに粗大ゴミのシールも必要だ。
洗濯機が調子悪いのは、さてどうするか。
とにかく実家関係の雑用多し。

朝から気温はほとんど上がらず。
昼休みに職場中庭で見た温度は驚愕の2度。
北風は突き通るほどに冷たく、池の氷は昼を過ぎても解けていなかった。

少し早めに帰り、実家用の買い物と家事。
何か大きな作業をするわけではないのに、全てを終えて自宅に帰るともう遅い時間だ。
それから風呂に入り、洗濯をし、簡単な夕飯を作り、酒を呑むか持ち帰りに仕事をするか。
そんなふうにして、また一日が終わる。

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次期PCをどうするか考えていたら、そんなタイミングでWindows9が2015年4月に発売?
自宅に2台あるPCはどちらもXP。
そのうちの一台はXPでなければ困る理由があるから大事に使ってゆく。
他方のノートをWindows7に換えようかと思っていたんだ。

Windowsは95、98、2000、XPと使い、職場のPCは全て7に替えた。
そのバージョンが上がるたびに安定してきたかもしれないけれど、それが反ってOSに対する興味を失わせた気もする。 いや、OSではなくPCに対する興味が失せたのか。
MeやVistaは触った事がなく、先日8.1が出たと思ったらもう9の噂が出てまた色々変わるのか。
もう面倒だとの印象しかない。いっそマックに戻ろうか。
でも、自分の知っているマックって漢字Talk7.51だしな。

安い7のノートを買っておくか、9の発売まで待ってみるか。
いや、ネット徘徊専用ならSurfaceなんかのタブレットの方が使いやすいのか。
まあ、物欲が有るのは良いことかもしれない。
今の生活が少しだけキツクて、新しいガジェットというか玩具で遊びたいだけなのかもしれない。
そう言えば掃除ロボットのルンバも欲しいんだった。

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夜、13年前の今日に逝った祖母を思い出しながらホットワインを呑んだ。
あの日、僕は喉に出来た腫瘍の手術で入院していて、葬式に出ることも出来なかったんだ。
大酒のみだった祖母は特にワインが好きで、庭の葡萄でワインを密造なんかもしたものだ。
怖かったけれど、それ以上に子供時代の楽しい思い出が沢山残っている。

我慢できないこと2014年01月17日

5時半に寝袋から出て(このごろ愛用している。暖かくて快適)犬と散歩したときの気温は0度。
6時半に実家へ行く。
回収予定の粗大ゴミを出し、ファンヒータに灯油を入れ、母と茶を飲んでから帰宅。

出勤は車。
仕事は特記事項なし。
2月に予約を入れている母の検査日と、仕事上の大切な予定が重なってしまった。
その検査にはどうしても付き添う必要が有り、さてどうしたものかと思案中。
昼食は緑のたぬき。
午後、急速に増えてきたノロウイルス関係で突発の会議あり。

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なんでもかんでも歳のせいにしたくは無いけれど、寒さに対する耐性が無くなったな、と思う。
冬は子供の頃から嫌いだった。
でも以前は厳寒期でも自転車通勤が出来た。
夜明け前の犬の散歩だって苦じゃ無かった。
吹き曝しの防波堤で釣りをしてたし、夜のジョギングも公園の散歩も山歩きもしていた。

でも今年はもう全くの意気地なしになってしまった。
シャワーでは駄目で毎日風呂に湯を張り、脱衣所も風呂場も暖房全開。
家に帰ったらまずは床暖とエアコンを点け、夜はストーブで燗酒を作りその前から動かない。
通勤はもちろん車だし、職場の自室でだって暖房だけじゃ足りず膝掛けまで使っている。
自宅の電気代は初めて1万円を超え、通勤では高値安定のガソリンを垂れ流している。
今からこんなで、本当の老人になったらどうなってしまうんだろう、なんて思う。
とにかく寒いのが嫌で我慢が出来ないんだ。