さくらのこと 覚書2020年08月27日

放置しているこちら。
ツイッタメインなってしまったことと、最近の忙しさで腰を据えて書く時間がないことと。
今回、ワンコが体調を崩したので覚え書きとしてここを活用する。
ツイッタに書いた内容を探す手間を省き、一か所にまとめておきたいから。



2020/7/22

何だか一晩中ゴニョゴニョしてて朝まで寝てなかったみたい。そのかわり昼はずっと寝ている昼夜逆転。目も耳も弱くなり痴呆も進んで失禁も毎回だけど、体力はまだ大丈夫。
頑張れ16歳。


2020/7/26
ワンコが具合悪くて参った。具合悪いというか老化による衰えか。立てなくなってパニックを起こす。夜中に絶叫して隣にいてやると安心してイビキかいて寝る。だからこちらは眠れない。もう人の歳で100だというから苦しまない限り往診は頼まない。でもこれが続くとこちらの体力が持たないな。


2020/7/26
ちょうど一年前に特発性前庭疾患やって、それ以後完治していない。 
斜頸が残っているしふら付きもある。
この頃の雨続きで散歩も思うようにできず体力も衰えてるし、一気に衰えた感じはある。

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2020/7/26

立てなくなってしまったワンコのために、オムツを買ってきた。犬用のが無くて、ネット情報参考に赤ちゃん用オムツにシッポの穴あけて履かせてみた。ホントならこんなの絶対嫌がるはずなのに、されるがままに履いて眠ってしまった。サクラもついにオムツか。見てたら涙が出てきた。


2020/7/27
ずっと具合の悪かったワンコ。 昨夜、夜鳴きというより絶叫になってしまった。 落ち着かせようと手を出したら指を噛まれた。 そんなことする犬じゃない。 よほど具合が悪いのだ。 ずっと家で見ると決めたのに、大雨の中獣医に連れてゆき そのまま入院となった。後悔と安心と。

2020/7/28
昨日、入院中のワンコを見舞った。 前夜運び込んだ時よりは元気だけれど、 それほど回復しているようには見えない。 特発性前庭疾患の症状が消えるには数日かかるから、 それまでは入院させて補液してもらう。 年齢を考えても、完全な回復は望めないだろう。 自分で水が飲めるようになったら連れ帰る。

2020/7/28
仕事帰り、スーパーで買い物。 ゆっくり買い物している事に自分で驚いた。 実家からワンコを連れてきて6年。いつもワンコが気になって小走りのように買い物し急いで帰っていた。 その前は母の介護をしていたし、もう長いこと仕事帰りにゆっくり、なんてしてなかったんだ。

2020/7/30


帰還!
首が傾いているのは特発性前庭疾患の症状。


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今回のこと 今後のこと

特発性前庭疾患は確かにあるが、年齢、認知、その他の衰え等あり難しいかもとのこと。
→ 結局当初の激しい症状を乗り越え退院に至った

前庭疾患については数日が山。
その症状が治まればパニックも収まるはず。
しかし認知症は今後も進み、認知による夜鳴きやパニックもあるかもしれない。
安定作用のあるサプリや、場合によっては安定剤の使用もありうるとのこと。

自宅が大好きで他人や慣れない環境が大嫌い。
年齢による衰え(老衰)であれば自宅で看取るが、特発性前庭疾患は数日で軽快すること多い。
今後、同様の症状を繰り返す可能性が大
発症後数日間の投薬、補水が重要なのでその間だけでも入院させ輸液、注射が必要か?

柴犬として16歳は平均寿命を超え長寿であるとのこと。
少しでも長く居心地よく過ごさせる。



回復期の飲食のこと

カロリーはあまり考えなくてよい。
が、食べたがるならどんどん与える。
好物(甘いもの)も、今は下痢など無いなら制限せず食べさせる。

水はシリンジを嫌がるなら止め、自主飲水に任せる。
粥など水分多い食物を与える。 どうしても水分量が少ないようなら、輸液。

→ 退院後、自主飲水あり 7/31朝、鶏ささみ入り粥を作った(自ら少し食べた)

散歩は可能なら家の周りから始める。
しかし、年齢からもそろそろあまり散歩にこだわる必要はなし。
裏庭等で気分転換するのみでも充分とのこと。
体力、食欲とも完全回復まではしばらくかかるので、気長に。


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2020/8/3

退院後4日。
眼振は無し。 依然、首振り強くまっすぐ歩くことができない。
朝、バームクーヘン、猫用カツオ、ジャーキー、いずれも食べず。
裏庭のバケツ水盛んに飲む。
嫌いだった裏庭の砂利の上に寝込む。
→ 具合悪いのか、混乱により自分が裏庭に居ることが解らないのか?

食欲に関しては昨日、自ら夕飯の粥や療養食を少量ながら食べたことを考えれば後退。
容器に上記食物を入れ、ケージ内に置いて出勤。

基本、ボーっとしている。
それが前庭疾患の症状なのか認知や体調によるものかは不明。

もしも食欲戻らず摂取を拒む場合、強制給餌はしない。
それを寿命と考えることとする。

                   
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最後の日

ここ数日、とても穏やかに暮らしていた。
食べるものなら何でも、との獣医アドバイスにより好物ばかり食べさせる。
朝はバームクーヘン、猫用カツオ、ジャーキー
夜は鶏肉とキャベツを煮たもの等。

あの日以来散歩には出ていないが、朝夕庭に出している。
日陰で寛いでいる様子。
その他の時間は居室に空調入れて、涼しいところでぐっすり眠っている。
夜鳴きもなし。

2020/8/10
朝、いつものバームクーヘンと猫用カツオ。
8時、車のバッテリ交換をする僕の足元に絡みついてくる。
庭仕事や車いじりをする僕にじゃれつくのが好きなのだ。

9時過ぎ、悲鳴のような声聞こえる。
見に行くと嘔吐と失禁。
明らかに具合悪そう。
水を欲しがるのでやるとまた嘔吐。

その後、眠り込んでしまったので抱く。
ウトウトとしたかと思えば目を覚まし周囲を見回し、またウトウト。
耳、手足が冷たい。
獣医に運ぶことも考えたが、何よりも好きな自分の部屋で逝かせてやろうと思いなおす。

昼過ぎ、また嘔吐。
でも苦しんでいる様子はない。
ずっと抱いていた。
13時40分、永眠。

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生後60日。
埼玉県日高市のブリーダーさんの家に迎えに行った日。


去年、庭にて。
僕が土いじりしていると、興奮して周囲を走り回った。

               
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2020/8/12

朝5時に目が覚めて、ああ犬との散歩はもうないのだと気づく。
これまで生きてきて、犬の居ない時間をどれほど過ごしたろう? 
そんな時間、殆どない。
家が静かだ。
音を立てていなくても気配だけでも犬の存在を感じてきたから、その静かな家に違和感がある。
まずは犬の居ない生活に慣れなければ。

たぶん、次の犬はない。


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2020/8/14

忙しくて潰れそう。
それなのに目前の仕事に集中できず、逝ったワンコの事ばかり考える。
いつも一緒に居てくれて、ずっと僕の事を見てくれていたのに、
彼女が体調崩しても仕事に振り回されてばかり。
もっと真剣に最後の時を共に過ごさなければならなかったのに、いったい僕は何をしていたんだろう。


今年、3月29日雪の朝。
雪でも雨でも嵐でも、季節を問わず朝の散歩は6時前から1時間。
16年間の習慣だった。

あの公園のベンチに座ってオヤツを食べて、いつも会う友達ワンコと挨拶してから帰宅。
あの時間、あの場所に僕が居ることはもう無いだろう。
さくらちゃんこの頃来ないな、と思われているだろうな。

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2020/8/27

ひと月前、具合が悪いワンコを落ち着かせようとして右手の人差し指の爪を噛まれた。
そんな事をする犬じゃないことは誰より知ってる。
よほどに具合が悪かったのだ。
あの時噛まれた傷跡の付いた爪が伸びてきて、やがて切ってしまうだろう。
ワンコの居ない生活にはまだ慣れない。


秩父-山梨2019年11月21日

バイク同様、オープンカーが気持ちの良い季節は短い。
春と秋だ。
でも僕の場合、春は花粉の季節。
だから本当にオープンを楽しむには、この時期が良い。

立冬はとうに過ぎ、小雪も目前の良く晴れた日。
秩父から雁坂を越えて山梨まで。
ロードスターで300キロほどのドライブに出た。




美味い物を食い、景色を眺め、ゆっくりと走る。
好きな場所、空いた道、素晴らしい紅葉。
そして何より清々しい初冬の空気よ。

それらは昔、バイクに乗っていたあの頃を思い出させる。
この季節をバイクで走るのが好きだった。
何人もの仲間たちと、こんな道を走ったっけ。
もう会う事も無い奴らは今、どうしているだろう。
まだ乗っているだろうか。
みんな元気だろうか。

この頃のこと2019年10月30日



もはや東京の日の出は6時。
日没はとうに17時を割り16時49分。
つまりは昼時間が10時間49分しかなく、四カ月前に比べ4時間近くも短くなった。
昼はまだまだ痩せ続け、2か月後には更に1時間夜が長くなる。
嗚呼、また冬が来る。

陽が衰えると僕は体調が悪くなる。
毎年この時期になるとそうなんだ。
特に胃痛と腹痛が強く出て、だから普段に増して元気をなくす。
季節の移ろいに驚愕し、年月の積み重ねに言葉を失う。
もう10月が終わろうとしている事にも、平成が終わった事にも、
そして自分がとうに50歳を越えた事さえ信じがたい気分だ。
溜息ばかり。
そんなこの頃。

今年は台風の被害が多く、悲惨な災害となって記憶に残る年となった。
それに比べればあまりに些事だけれど、僕の畑もしっかりと被害を受けた。
例年なら秋ナスが楽しみな頃だけれど、それは根こそぎ折れてしまった。
落花生も里芋も大根も白菜もキャベツも、被害の無い作物は無い。
それでも細々と、趣味の野菜作りを続けている。
やっぱり好きなんだな、と思う。
そんなこの頃。

Mは先日から、半年間に及ぶ研修を受けている。
はじまるまでは気乗りしなかったようだけれど、もともと頭の良い人だもの。
分厚い資料を抱え、何本も電車を乗り換え、嬉々と研修場所に通っているようだ。
平日は通常通り仕事をし、金土日が研修。
キツイだろうが、半年後にはやり遂げて良かったと思っているだろう。
そんなこの頃。




台風のこと2019年10月08日

これは気象変動によるものなのか、ただの偶然なのか。
雨、風、そして台風。
ここ数年の間に、自分の身近でそんなものによる被害が出始めた。

エアコンの室外機が転がって車をへこませた友人。
カーポートが倒れ隣家に被害を出した職場の人。
根元から折れた街路樹、マンホールから吹き上げる下水、割れたガラス。
そして、先日の台風15号では母の実家も被災。
長時間の停電は復旧したけれど、家屋の被害は修繕の目途すら立っていない。

気象現象が苛烈化しているのは気のせいではないだろう。
雨も風も、これまでの経験からは想像もできないような被害を出す。
台風が衰えないまま上陸するようになっているのだろうか。
発生数の推移は、そして進路の変化はどうなんだろう。

子供のころは台風が来るとワクワクしたものだ。
夜中までテレビの台風情報を見て、こっちに来い、もっと荒れろとまで思ったっけ。
風に電線が鳴ったり、雨で側溝が溢れたりするのが楽しかった。
それが今では、台風の発生すら憂鬱な気分にさせる。

8日朝の予報では、台風19号はとても危険なものに思える。
15号並みか、それ以上の被害もあるかもしれない。
備えることに限界はある。
やるだけやって、あとは祈るだけ。
衰えろ、あっち行け、と。




秋分も過ぎた2019年09月24日

秋分も過ぎた。
この頃になると朝な夕なに陽の短さを感じる。

東京の今日の日の出は5時29分。
日の入りが17時36分で昼時間は12時間7分。
3カ月前の夏至の頃に比べ夜明けは1時間遅く、日没は1時間半早く、
つまり昼は2時間半も短くなった。

それは冬至に向けてさらに加速をつけ、果てには9時間45分にまで短くなる。
太陽は低く、影は長く、陽は薄く。
もはや僕の畑から夏野菜は絶え、鍋用野菜の植え付けも終わった。
ホームセンタには暖房器が並び、やがて犬も毛深くなる。
また冬が来ることを覚悟しなければならない。
それは決して気早ではなく、確実にもうすぐやって来る事なんだ。

黄葉となった桜の落ち葉を掃いては溜息をつく。
朝顔の種も百日紅の散り花も取り残しのブドウの実も。
何を見ても往った夏と来る冬を想う。
気持ちの落ち込みが体調の変化となって表立つ。
毎年、この時期は具合が悪い。


菊の節句2019年09月09日

台風15号は960hPaの勢力で東京湾を抜け千葉に上陸した。
それは関東に上陸した台風として統計開始以来、最強クラスだという。
風速57メートル、広範の停電、1時間雨量110ミリ。
NHKが伝えるそんなニュースを聞いていたら眠れなくなってしまった。

窓を叩く豪雨。
暴風の恐ろしい音。
オロオロする犬。
巨大な空気の塊が家にぶつかり、二階家が身震いする。
ようやく空が白んできたときの安堵。
長い夜を越えてむかえた夜明けのうれしさ。

出勤を控えなんとなく暦を見たら、今日は9月9日。
菊の節句だ。
この日のことは忘れない。
親父が倒れた日だ。

あの日、出勤する僕に親父が何かを話しかけてきた。
きっと、立ち枯れたユズリハのことだと思った。
親父が子供の頃からそこに在ったユズリハの大木が枯れたのだ。
そのことを、親父はずっと気にしていたんだ。
でも時間の無かった僕は生返事で仕事に行った。
そしてその日の昼過ぎ親父は倒れ、目を覚まさないままに逝ってしまった。

あの日からすべてが変わった。
相続のゴタゴタとか、実家を失くしたこととか。
母の発病、介護、そして看取り。
ようやく少し落ち着いたころに、枯死したユズリハの樹を倒した。

こどもたちよ、これはゆずりはの木です
このゆずりはは新しい葉ができると
入れ代わって古い葉が落ちてしまうのです
こんなに厚い葉こんなに大きい葉でも
新しい葉ができると無造作に落ちる
新しい葉にいのちを譲って

国語の教科書に出ていた「ゆずりは」という詩を思い出す。
譲ってもらったものを大切にしないと、と思う。
親父が倒れた菊の節句のあの日から11年経った。




秩父、神流2019年09月07日

先日のこと。
Mと車で散歩に出て、なんとなく走っていたら多摩湖に着いた。
そのまま北上して所沢バイパスに出て、巾着田あたりをウロウロ。
彼岸花にはまだ早いねえ。
そう言えば秩父の寺坂棚田で白花の彼岸花が咲いたと聞いたっけ。
じゃこのまま299号線を行ってみようか。
という訳で、秩父。


正丸トンネルを抜けると霧で、時おりそれが大粒の雨になる。
風も出てきたし、天気悪いなあ。
でも棚田を歩いている間は止んでくれて、白花彼岸花をゆっくり楽しめた。
田は間もなく稲刈り。
武甲山は霧の中。


ここに来ると必ず寄る蔵元で酒を三升買い、神社に詣で、橋を渡る。
この斜張橋はいつ走っても迫力があるな。
どこかに車を停めてゆっくり歩いてみたい、と思う。
でも車を停める所が無いし天気も悪いし、と今日もサッと渡っておしまいだ。

ちょうど昼時。
野さかか、安田屋か。
でも行列は嫌だし腹は減ったし、広い駐車場が有ってすぐに食べられるところ。
という訳でメンマ橋を越えて「雅紀屋」
わらじカツと蕎麦のセットを頂き、座敷でしばし休息をした。
さて、今からどうしようか。


NHKのドキュメントで有名になった太田部へ行ってみたかった。
でも下調べなしで山道を走って車を痛めたくないな。
車高の低いロドスタで、この辺の荒れた峠道では何度も冷や汗をかいている。
天気も悪いし、今日は知った道を走ろう。
ダムカードも欲しいしな。

71号線で桃湖の合角ダムを見に行き、ダムカードを貰う。
そのまま群馬県に入り、十国峠街道。
神流川沿いの気持ちの良い道を流し、下久保ダムを見物に行った。
これは利根川水系有数の大ダムで、以前から来てみたかった場所だ。


しかし、管理事務所への道が解らぬ。
どうやら対岸のようだ。
後で考えると、埼玉側からアクセスしなければならなかったのか。
ぐるっと回っても良かったけれど、今日は早帰りしなければ。
遠出するつもりじゃなかったから、犬を外につなぎっぱなしなんだ。

そのまま関越自動車道、本庄児玉。
空いた高速を一気に飛んで練馬まで。
18時帰宅。
耳の遠くなった犬は僕らの帰宅に気付かず、心細そそうに座っている。
灯りを付けるとようやくこちらを見て、パタリパタリと尻尾をふった。




夏の終わり2019年08月23日



処暑は過ぎた。
昼時間もだいぶ短くなってきた。
日除けの朝顔棚にはもう花が少ない。
母の写真にススキを供えた。

梅雨明け後、一気にやって来た暑さが衰えはじめる。
これから日増しに陽は傾いてゆく。
夏が終わろうとしているんだ。
毎年繰り返す、この時期の寂しさ。
夏なんて以前ほど好きじゃない。
でもやはり、それが果てるのを惜しむ。

夏野菜の収穫も終盤で、そろそろ秋の植え付け準備をはじめる。
毎日数個も食べたトマトもキュウリも盛りを過ぎた。
朝夕と少し涼しくなれば、自転車通勤も再開できる。
犬も散歩を楽しめるだろう。

この頃は残業も殆どせず、公休も消化するようになった。
休日出勤も減ったし、夜間の呼び出しも回避している。
以前に比べ、労働時間はかなり減っている。
そしてその分、自宅で家事をしていることが多い。
月の三分の二ほどを僕の家で過ごすMの為に食事を作ったり、
庭の草むしりやら、掃除洗濯やら。

家事に終わりはなく、そして自分がそれを嫌いでないことを再認識する。
家を綺麗に保つことに喜びを感じ、少し時間が有れば片付け物などしている。
仕事に疲れたわけではなく、何かを悟った訳でも達観したのでもない。
何か心境に変化でも有ったかな。
と思ってみても解らない。
ただ以前のように昼も夜も仕事をし休日も職場に居る事をしなくなった。
それで良いや、と思っている。




迎え火を焚きに2019年08月13日

今年もまた、盆の入りに母の実家へ行く。
海辺で迎え火を焚き、墓参をするその数時間の為に、
渋滞の高速道路を走った。


高井戸から首都高新宿線に乗ってすぐ。
この尖塔のようなドコモタワーが好きだ。
ビルの機能は下半分で、上部はアンテナになっているらしい。
一般公開はしていないのだろうな。
都内有数の高さを誇るビル。 登ってみたいな。


この時期このルートでは渋滞は必至。
だからレヴォーグで行った。
自動運転と言うにはまだ遠いけれど、運転支援は進歩している。
設定した車間を保って前車について行ってくれるし、
条件さえ整えば白線を認識し車線の中央を維持して走るようになっている。
流れる高速は勿論、渋滞時の疲労軽減にはとても役に立つ。
ハンドルに軽く手を添え、前を見ているだけでいい。

ただそれが運転の楽しさとは別次元なのは当然だ。
渋滞が無いのなら、ロードスターの方が良いに決まってる。


巨大な台風10号の影響で、晴れ時々豪雨。
この橋から見る海にも白波が立っている。

渋滞を抜け、周囲の車もみなアクセルを踏む。
そして右車線を飛ばしていった車の後を地味なセダンが続く。
それはもちろん覆面パトで、赤色灯が灯って御用となった。
このルートは覆面が多い。
要注意だ。


雲が綺麗。
ラジオはもう入らず、USBに落としてきた朗読を流す。
NHKの「ラジオ文芸館」
重松清の「みぞれ」を聴いた。


ヤシの木の並木。
ここまで来たら、もう着いたも同然。


稲が少し色付いてきている。
もう耕作する人も無く、人に貸している田。
エアコンの効いた車内から出ると、メガネが曇った。
圧倒的な温度と湿度。
そして堆肥やら潮やらいろいろなものの匂いが混ざって、ああ帰って来たなと思わせる。


僕はここで、子供時代の夏を過ごした。
小児喘息に海風が良いと信じた両親の方針で、
夏休みの殆どをこの地で暮らしたから。

海での遊び方も、畑での野菜作りもここで教わった。
釣りをし、ディンギーに乗り、岩場で潜り、畑でスイカを食らい、星を見た。
大家族で、周囲にも同じ年頃の従兄弟が何人もいた。
毎日が楽しくて、東京に帰る日は泣いたっけ。


92歳の伯母がちらし寿司を作って待っていてくれた。
あの大家族だった家には、この伯母と数匹の猫が居るだけだ。
話すのは昔の事ばかり。
でも、両親共に居なくなった今、僕の子供時代を知る数少ない人たち。

89歳の伯母と87歳の伯父を訪ねる。
皆、驚くほどに歳をとった。
当たり前だ。
僕がここで夏を過ごしていた頃からもう40年以上も経つんだから。

土地は有るのだから、家を建てて住めばいいと言われる。
畑が好きなら、耕す場所はいくらでも有ると言われる。
それも良いな、など言ってみる。
もちろんそんな事が出来るなんて僕も、向こうだって思ってやしない。
でもいつか。
仕事を止めて隠居したら、ここに暮らしてみたい。
その頃は、僕を知る人はもう誰も居ないだろう。
でもここは、僕にとって今はもう失くしてしまった実家のようなものなんだ。




暑い日に渋滞にハマる2019年08月09日

立秋も過ぎた。
でも朝から陽射しはやる気満々で、8時にはすでに30度を越えた。
暑い暑いと文句を言ったって、やっぱり夏は好き。
平日、仕事休み、晴れ、暑い。
この組み合わせは、今期あと何度あるか解らない。
だから、一回だって無駄には出来ないんだ。

山梨に桃狩りに行こうと、Mと家を出た。
しかし、中央自動車道は日野バス停の事故で大渋滞。

それなら国道20号で高尾にでも行こうか。 
でも中央道の渋滞のあおりでそこも全く動かず。

だったら圏央道に逃げて秩父にするか。
するとそれも青梅トンネルの事故で30キロ繋がっているという。

じゃ鎌倉街道から129号に抜けて江の島に行くか。
なんとその129号、橋本五差路で車が信号に突っ込んで通行止め。
その影響で16号も大渋滞。

ナビの地図はどこも渋滞を表す赤い線で上書きされている。
そしてその中心に、いま自分たちは居る。
渋滞に囲まれちまった。
いくら夏休みの人が多いと言ったって、なんでそんなに事故ばかりなんだ。

車外温度計は38度。
周りは渋滞の車で埋め尽くされている。
もうどこかへ行くのではなく、ただこの場から抜け出したい。
家を出て3時間。
トイレも行きたいし喉も乾いた。
少しでも車の少ない方へ。
少しでも流れる方へ。

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そんな風にして混雑から這い出し、相模川方面に出た。
車を停めてコンビニで用を済ませ、お茶を買って河川敷を散歩。
むこうに丹沢山塊の、いつか歩いた山が見える。
入道雲、ヒマワリ、煩いほどの蝉、むせ返るような暑さ。
ああ、これこれ、と思う。
思いがけず僕の好きな夏の景色を見つけることが出来た。


河で涼んで生き返って、走りなれた412号線に出た。
車と人の少ない場所に行こう。
その先は宮ケ瀬湖と宮ケ瀬ダム。
幅375メートルで高さは156メートルの、国内でも屈指の大きなダムとの説明が有った。


下から見上げると、まさに巨大。
その躯体内の通路は寒いほどだ。
週に1、2度、時間を定めて放水する。
観光放水と言うけれど僕らが見た回は人も多くなく、もっと宣伝すれば良いのにと思う。

いや、今日は暑すぎてここまで来ないのかな。
駐車場脇の公園は子供たちがたくさん遊んでいたけれど、
ここまでは徒歩20分かかるから。


40分ほど時間を潰し、毎秒30トンの放水を見た。
轟音と水煙と冷気。
爽快だ。

そして家路へ。
今日はどこへ向かっても事故渋滞。
もうウンザリだよ、と話しながら運転した。
そして、自宅近くの五日市街道でまた大渋滞。
やがて警官が来て、この先で火災が有り通行止めだという。

でもそれが、僕ら行きつけのステーキ屋さんの火事だと知って、呆然とした。
あのお店が火事だって。
また近々行こうと言っていたのに。

渋滞と夏の景色と驚きと。
家に帰ったらワンコがエアコンの入った部屋でイビキをかいて眠っていた。