テツの日2016年11月12日

東京の日の出は6時13分。
犬の散歩から帰り、新聞を読み、コーヒーをすする頃に昇ったその陽は、
16時37分にはもう沈んでしまう。
昼よ、もうこれ以上短くならないでくれなど祈っても無駄だ。
年末には、東京の日の出は6時50分にまで遅くなるのだ。
寒さも暗さも、まだまだこれからが本番。

でも、今日は気温が上がった。
昼休みに職場中庭を散歩したときの気温は19度。
昨日の同じ時間には10度しかなかったのだから、小春日和と言っても良い日だ。
そんな時間にベンチに座っていると、今がいつでどんな季節なのかを忘れてしまう。
自分が幾つで、どこに居るのかも解らなくなりそうだ。
ベンチでクリームパンを食べ、PHSで呼ばれるまでウトウトした。

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卓上の暦に書いた備忘録に「テツ」と書いてある。
そうだ、今日は以前飼っていたテツと言う名の柴犬が死んだ日か。
結局寂しさに耐えられず、そのあとすぐに飼ったのが今の黒柴だ。
子供の頃からずっと犬と暮らしてきた。
でもこの頃思う。
今の黒柴もいつの間にか老犬になった。
もうテツが逝った歳を越えている。
いつ来てもおかしくないその時が来たら、僕はどうするだろう。

犬の居ない生活を知らない。
でも犬とは本来、家族の一員として家族みんなで世話をする生き物なんじゃないのか。
主人との関係の極めて深い柴犬を、僕一人で飼う事は大変なことだ。
以前のように、僕の留守中の世話を頼める両親はもう居ない。
月の半分はMが来ているけれど、柴犬にとって彼女はやはり外来者なのだ。

月曜日は職場の食事会。
火曜日は夕から夜にかけて所用がある。
そんな時もいつもの時間に一旦帰宅し、犬の散歩が必要だ。
僕が帰り散歩をしなければ、犬はずっとトイレを我慢しモジモジしているからだ。
僕には友達もMも居て、仕事も遊びも趣味もある。
でも、あの柴犬にとっては僕しか居ない。
ただひたすらに、僕だけを待っているのだ。
僕で無ければならない事は愛おしくもあるが、切なくもなる。
両親が居なくなって思う。
一人で犬を飼う事は、本当に大変なことだ。
犬との生活がもたらす掛け替えの無い喜びも、それ以上に有るのだけれど。