寝坊して2016年11月02日



寝坊をしてしまって、すっかり陽が昇ってから朝の散歩。
6時半の気温は10度。
寒いねー、など犬と話しながら駅前まで歩く。

やっぱり明るい時間の散歩は楽しい。
でも、いつもこれをしていたら仕事にならないよ。
8時、いつもより1時間遅く職場入り。
今日の日常業務に励む。

17時、一月前に人間ドックを受けた病院の夕診。
精査が必要となった不整脈はホルターとエコーの結果、ベータブロッカー服薬。
眼底検査は来週。
その他は様子見。
だんだんと健診で引っ掛かる項目が増えてきた。
うな垂れて帰宅。

夕飯に鍋の準備をしているとM着。
入院中の父親を自分の職場へ転院させる手配で疲れきった様子。
でもそんなMを見て、少し羨ましくも思う。
親の世話を出来るのは幸せだ。
母を介護していたあの頃が懐かしい。



ストーブ2016年11月03日

あまり急速に季節が進んで、それに驚いたのか持病の腰痛が悪化した。
コルセットとロキソニンで痛みを凌ぐも、何かがたりない。
そうか、この味気ない暖房が駄目なのだ。 とエアコンを見上げる。
体の芯からジンワリと暖めたら、腰も楽かもしれない。
オデンも煮込めるしな。


という訳でストーブを引っ張り出してきた。
去年使い残しの灯油が少し気になるけれど、暗所に保存しておいたから大丈夫だろう。
なにせこの対流式ストーブは気化器もファンも使わない古道具。
その分気難しい所がなく、停電したらボンヤリと周囲を照らす照明代わりにもなるのだ。

数日後には立冬。
今年もまた冬がやって来た。
このストーブを灯して、それを乗り切ろう。


益子2016年11月05日

小春日和の金曜日。
自宅から3時間走って、栃木県の益子へ行って来た。
益子はもちろん益子焼で有名な陶器の街。
春と秋に開かれる陶器市は僕とMとのお楽しみだ。


もう街中が陶器の即売所と化している。
テントで、店舗で、露天で、路上で。
屋台の食べ物屋さん、キーボードと尺八のバンド、そして沢山の観光客。
焼き物好きだった両親をこんな場所に連れて来たら、きっと喜んだろう。
孝行したい時に親はなし。


益子最大の登り窯。
火力の強い赤松を薪として、年に二度火入れされるという。
それは壮観だろうな。
いつか見てみたい。


大きな狸が目印の共販センターのテント村。
ここで素晴らしい酒器を買った。
こんな器でやったら、酒が一層美味いだろう。

両手に買った陶器を持ち、ここまで2時間歩いた。
ニラ饅頭と串焼きで休憩。
乾いた空気と高い空。
外を歩くのが本当に心地よい。


農家の庭に停めさせてもらった車。
納車後一ヶ月ちょっとで走行1700キロ。
通勤に使わない割りにはよく走っている。
足回りのカドが取れ、乗り心地も良くなってきた。
今まで11台の車を買ったけれど、高速道路を走るには一番楽かも知れない。
そろそろスタッドレスを揃え、冬の温泉行きに備えなければ。


来週は地元の陶器市へ行く予定。
そんなに器だけ増やしてどうしようと言うのか。
でも、楽しいのだから仕方が無い。
様々な器を見ながら、そこに盛る料理を想像するのが好きなんだ。



西沢渓谷2016年11月07日

数日前に益子陶器市、10日前には日光へ行ったのにまた落ち着かなくなってくる。
紅葉の話題に触れるたび、この時期の山歩きを思う。
乾いた空気と青い空の山を歩きたい。
でも、先月からの腰痛が完治せず、ホンモノの山になど入れるはずもない。
だったら軽いトレッキングに行こう。
Mを起こし、6時に家を出た。

中央道を勝沼で降りて、北へ。
塩山、三富、広瀬湖を過ぎたらもうすぐ。
この季節になると歩きたくなる西沢渓谷だ。
紅葉の盛りでさぞ駐車場が混んでるかと思ったら写真のごとくガラガラ。
平日休みの有り難さよ。


はじめの内は足慣らし。
明るく平坦な道をゆく。
落ち葉がフカフカと積もり、陽射しが温かい。
もうこれだけで、今日ここに来た甲斐が有ったと思う。


ゆらゆら揺れる吊り橋を渡る。
向こうに見えるのは鶏冠山。
この流れが西沢渓谷で、笛吹川の源流でもある。


やがてルートは渓谷沿いのアップダウンとなる。
岩が浮いているところ、濡れているところ、ドロドロなところ。
でも基本的に良く整備されていて、危ない場所には鎖や階段が設置されている。
トレッキングシューズは必須だけれど、それほど苦労する事無く歩く。


そしてこの渓谷の美しさ。
痛いほどの冷たい水が岩を削りながら流れる。
谷底で陽が当たらないのが残念。
これで光があれば、この緑の流れがどんなに綺麗に見えるだろう。


歩き出して2時間。
最奥部の七ツ釜五段の滝。
あまりに綺麗で、僕らはしばらくしゃがみ込みずっと見ていた。
これは写真なんかじゃ解らない。
やっぱりここまで来なくちゃ駄目だ。


昇りきったところのベンチで昼食。
ただのコンビニおにぎりがとても美味い。
向こうで、年配のご夫婦がコンロでスープを作っていた。
ああ、クッカーセット持って来れば良かったか。
ここで温かな汁モノが有ったらどんなに嬉しいだろう。

車までの帰り道は、かつて林業のトロッコ軌道が有った林道を行く。
渓谷沿いと違って、広く明るく眺望がきく。
向こうは鶏冠山、破風山、木賊山、雁坂麗。
その下を長大なトンネルが貫き、その先は秩父だ。


10キロ4時間の素晴らしい散策。
さて、帰るか。
明日は早朝会議。
この頃あちこちで遊んだから、また仕事も少し頑張ろう。

PHS2016年11月08日

仕事を終えて帰宅すると、寝室のステレオの上にPHSが置いてあった。
Mの仕事用PHS.。
あ、忘れたな、と思う。
夜勤入りするMが出勤するときに持っていかなければならなかった。
これが無いと困るだろう。
すでに数件の着信が入っている。

10キロ離れたMの病院まで車で行った。
彼女は4階の師長だ。
19時半、入院患者の食事も終わり少し落ち着いた時間だろうか。
でも、ナースステーションにMの姿は無く、仕方無しに病室を覗きながら廊下を歩いた。
あの時以来、はじめて来た。
ここは母が入院していた病棟だ。

あの時、実家で倒れた母を姪が見つけ救急車を呼んだ。
でも夜間帯だった事もあり、受け入れ病院が決まらない。
救急車は路上に1時間も停まったままで、その中で母は苦しんでいた。
ようやくMに連絡が取れ、その勤務先で受け入れ手配をしてくれた。
その時の安堵と、救急外来で見せられたCTの画像はずっと忘れない。

西の端の4人部屋の窓側ベッドは、カーテンが閉まっていた。
誰かが入院しているんだろう。
でも、その向こうの夜景が綺麗に見えた。
それは母が毎晩楽しみにしたものだ。
夜景が綺麗に見えるから夜眠れなくても退屈しないの、と言っていたっけ。
3年前だ。

それを思い出したら危うく泣きそうになって、見つけたMにPHSを渡し急いで帰る。
帰りの車の中でも、考えない考えないと呪文のように繰り返す。
忘れたいわけじゃない。
でも今はまだ考えたくない。
母の事は発病前の、ずっと続くと思っていた日常の姿だけを思い出したい。
昔の懐かしい記憶だけあれば良い。

テツの日2016年11月12日

東京の日の出は6時13分。
犬の散歩から帰り、新聞を読み、コーヒーをすする頃に昇ったその陽は、
16時37分にはもう沈んでしまう。
昼よ、もうこれ以上短くならないでくれなど祈っても無駄だ。
年末には、東京の日の出は6時50分にまで遅くなるのだ。
寒さも暗さも、まだまだこれからが本番。

でも、今日は気温が上がった。
昼休みに職場中庭を散歩したときの気温は19度。
昨日の同じ時間には10度しかなかったのだから、小春日和と言っても良い日だ。
そんな時間にベンチに座っていると、今がいつでどんな季節なのかを忘れてしまう。
自分が幾つで、どこに居るのかも解らなくなりそうだ。
ベンチでクリームパンを食べ、PHSで呼ばれるまでウトウトした。

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卓上の暦に書いた備忘録に「テツ」と書いてある。
そうだ、今日は以前飼っていたテツと言う名の柴犬が死んだ日か。
結局寂しさに耐えられず、そのあとすぐに飼ったのが今の黒柴だ。
子供の頃からずっと犬と暮らしてきた。
でもこの頃思う。
今の黒柴もいつの間にか老犬になった。
もうテツが逝った歳を越えている。
いつ来てもおかしくないその時が来たら、僕はどうするだろう。

犬の居ない生活を知らない。
でも犬とは本来、家族の一員として家族みんなで世話をする生き物なんじゃないのか。
主人との関係の極めて深い柴犬を、僕一人で飼う事は大変なことだ。
以前のように、僕の留守中の世話を頼める両親はもう居ない。
月の半分はMが来ているけれど、柴犬にとって彼女はやはり外来者なのだ。

月曜日は職場の食事会。
火曜日は夕から夜にかけて所用がある。
そんな時もいつもの時間に一旦帰宅し、犬の散歩が必要だ。
僕が帰り散歩をしなければ、犬はずっとトイレを我慢しモジモジしているからだ。
僕には友達もMも居て、仕事も遊びも趣味もある。
でも、あの柴犬にとっては僕しか居ない。
ただひたすらに、僕だけを待っているのだ。
僕で無ければならない事は愛おしくもあるが、切なくもなる。
両親が居なくなって思う。
一人で犬を飼う事は、本当に大変なことだ。
犬との生活がもたらす掛け替えの無い喜びも、それ以上に有るのだけれど。

フグ2016年11月14日

午前3時に目が覚めて、そのまま眠れなかった。
諦めてベッドを出たのは4時。
そして1時間、原稿直し。
午前中、人前で1時間ほど話さなければならない。
まったく憂鬱なその内容を、夜明け前にもう一度練り直す。
それで気がついた。
きっと早く目が覚めたのは、その講師役が気になっていたからだ。

昼、ようやく終わった講師役。
息つく暇なく午後のルーチンワーク。
昼食を取らぬまま、気付けば18時。
内線で呼ばれ玄関に出るとすでに車が来ていて連行される。
職場のエライ人たちとの食事会。
いくらフグだと言っても、こればかりは嬉しくない。
エライ人同士で呑めばいいのに。
ヒレ酒は美味かったけれど。

23時、疲れて帰宅。
Mが来ていて、テレビの前でうたた寝をしている。
夜勤続きで睡眠不足なんだろう。
彼女を寝室へ連れてゆき、今これを書いている。
明日は仕事休み。
日曜も仕事だったし、ちょっとゆっくり休みたい。


ラーメン幸せ2016年11月16日

朝5時にベッドを出て、犬と共に夜明け前の散歩をする。
いつものコース。
いつものベンチ。
僕は缶コーヒーを飲み、犬にはビスケットをあげる。
西に傾いた大きな月は月齢16。
まだ朝のラッシュには遠く、呑み明かした酔っ払いが歩いてゆく。
どんな季節だって、そんな時間が好きだ。
でも犬が居なかったらきっと、夜明け前に散歩などしないだろう。
いつも文句も言わずに付き合ってくれる老犬が愛おしい。

7時から仕事。
うーんうーんと唸りながら、来週使う感染症レポートをまとめる。
しかしどうにも上手く書き上げられず、昼にラーメン店へ逃避。
温かな湯気が嬉しい季節になった。
ラーメンをすする、ちょっとした幸せ。



少し早めに職場を出て、遠回りして帰宅。
別に用事があったわけではないけれど、ボンヤリと運転するのが好きなのだ。
帰宅ラッシュ時の幹線道路。
沢山の車が目的地へと急いでいる。
その中を特に意味も無く流す。
やがて都営霊園に着いたけれど、もう閉門していて両親の墓参りはできなかった。

夜はタラを入れた湯豆腐で燗酒を呑んだ。
子供の頃、夕飯に湯豆腐が出たときの絶望を良く覚えている。
もちろんオカズが湯豆腐のみという事は無かったはずだけれど、
子供の僕にはそれの美味さが解らなかった。
でも今ならよく解る。
卓上コンロを注意深く操り、煮過ぎないように豆腐を温める。
そしてそれで酒をやるのだ。
きっとあの頃、親父もそれを楽しんだのだろう。
いま親父がここに居たなら、最高の酒と豆腐と自家製ポン酢を準備するのに。


冬タイヤのこと2016年11月17日

今年は本格的な冬が早く来そうだ。
ツイッターで見ると、僕の好きなドライブルートには早くも降雪があったようだ。
車の冬支度をしておかないと、と思った。
前車にSUVを買った時、はじめて四駆とスタッドレスの組み合わせの凄さを知った。
それ以来、冬が来るたびにタイヤを履きかえる。
以前は冬篭りしていた僕だけれど、スタッドレスがあれば雪の露天風呂だって行けるんだ。
今回乗り換えた車も四駆だ。
新しい冬タイヤとホイールのセットを手配しなければ。

で、ディーラへ行った。
タイヤなんか、街の専門店の方がはるかに安く手に入る。
モノが同じなら安い方が良いけれど、でもディーラーの担当との付き合いも有るし。
入社したての営業さんで、とても熱心だったから応援もしたかった。
長い付き合いになりそうだし。

するとその担当さん、先月末で退社しましただと。
僕の車は納車されてまだ一ヶ月と少し。
その退社したという先月末には一ヶ月点検で入庫し、会話だってしているんだ。
その直後に辞めたのか?
挨拶も無しで辞めるのか。 新しい担当は誰なのか。 なぜ何の連絡も無いのか。
唖然として、タイヤの話などせずに帰ってきた。

何だかがっかりだ。
スタッドレスは安売り店で買うから良いよ。








マズいメシのこと2016年11月20日



よし!
新しいホイールとスタッドレスタイヤを買って来たぞ。
さっそく装着し、満悦。
さあ、さっさと雪よ降れ。

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少し忙しくて、木金土と自炊の気力が無かった。
Mでも来ていれば何か作るだろうが、遅くに一人分だけ作るのは億劫だ。
そんな時、本当なら外で食べて帰って来たい。
でもオシッコを我慢した老犬が僕の帰りを待っている。
だから、帰り道に有るスーパーで惣菜でも買って、急いで帰る事になるんだ。

そして一人で唸る事になる。
マズイマズイと。
肉豆腐は甘すぎる。  ハスのきんぴらは鷹の爪が利いていない。
ナスの揚げだしは味が濃すぎだ。  鶏の唐揚げはニンニクが強すぎる。
ならばと昨夜買った弁当屋の弁当はご飯が匂い酷い有様だった。
自分好みの味でないだけかも知れないけれど、何を食べても美味しいと思えない。
やっぱり自分で作りたい。

そこでハッとなった。
退院後、母を自宅介護しはじめた頃、毎日届く弁当を契約した。
僕は仕事から何時に帰るか解らないし、母は買い物に行けない。
宅配弁当は良い解決策だと思ったんだ。

でも当初は喜んでいた母は、やがてその弁当を殆ど食べなくなってしまった。
体重を減らさないように気を使っていた僕は、そんな母をよく叱ったものだ。
薬だと思って食べろ、とすら言った。
なんて酷い事を言ったのだろう。

あれほど料理の好きだった母が、毎日届く弁当を喜ぶ筈がない。
作れるうちは自分で作りたいんだ。
しばらくして、その弁当は解約した。
僕が買って来た材料を使い、母は自分で料理を作りはじめたんだ。
実家のキッチンで、とても嬉しそうにする母を良く覚えている。
気に入りの器を沢山並べた姿も覚えている。
やがてその体力も無くなり僕が食事を作り始めるまでの数ヶ月、それは続いた。

母の作る料理はどれも美味かった。
実家に帰ると、母と母が作った料理が待っている。
そんな幸せが、かつて僕にもあったんだ。
最後に作ってくれた餃子は冷凍し、まだ僕の家に有る。
母が書いた買い物リストも取ってある。
宅配弁当業者からは、まだダイレクトメールが届く。
母が最後に料理を作ってから、もうすぐ3年経つのか。

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今夜は仕事を終えたらMが来る。
大根と鶏を甘辛に煮た。
挽肉に生姜とネギをきざみ込んで肉団子にし、それで鍋を作る。
ツブ貝のヌタとシラスおろし。
酒は秩父錦の良いのが冷えてる。