まだ駄目 ― 2013年04月01日
母が倒れたのは身を切るほどに寒い2月末だったのに、今日からはもう4月。
東京の日の出は5時28分。 ビルの間から登る陽を、朝の散歩でワンコと共に見た。
種から育てている庭の枝垂れ桜は散り、大島桜の開花が始まる。
植えて4年目のモッコウバラは今年盛大に蕾を付けたようだ。
ムスカリもスイセンも、今が盛り。
母の退院まで咲いていれば良いけれど。
仕事は多忙。
新入職者の研修が始まり、膨大な時間をそれに取られる。
入職日にスーツで来る者、ジーパンで来る者、初日から連絡無しに出勤しない者。
携帯を弄る人、メモを取る人、なんだかボンヤリしてる人。
一年後に何人残っているか解らないけれど、頑張ってください。
仕事帰りに母を見舞う。
予定ならもう歩き、粥食も始まっている筈なのに、相変わらずベッドに伏している。
OP後三日が経つというのに、まだ全麻後の吐気が抜けないのだと言う。
硬膜外が取れないうちは麻酔酔いの症状は続くだろうか。
少し話し、うな垂れて帰宅。
洗濯とワンコの散歩、持ち帰りの仕事。
体調悪く、ウイスキーのソーダ割りで夕飯とする。
東京の日の出は5時28分。 ビルの間から登る陽を、朝の散歩でワンコと共に見た。
種から育てている庭の枝垂れ桜は散り、大島桜の開花が始まる。
植えて4年目のモッコウバラは今年盛大に蕾を付けたようだ。
ムスカリもスイセンも、今が盛り。
母の退院まで咲いていれば良いけれど。
仕事は多忙。
新入職者の研修が始まり、膨大な時間をそれに取られる。
入職日にスーツで来る者、ジーパンで来る者、初日から連絡無しに出勤しない者。
携帯を弄る人、メモを取る人、なんだかボンヤリしてる人。
一年後に何人残っているか解らないけれど、頑張ってください。
仕事帰りに母を見舞う。
予定ならもう歩き、粥食も始まっている筈なのに、相変わらずベッドに伏している。
OP後三日が経つというのに、まだ全麻後の吐気が抜けないのだと言う。
硬膜外が取れないうちは麻酔酔いの症状は続くだろうか。
少し話し、うな垂れて帰宅。
洗濯とワンコの散歩、持ち帰りの仕事。
体調悪く、ウイスキーのソーダ割りで夕飯とする。
雨 ― 2013年04月02日
もう少し ― 2013年04月03日
東京は春の嵐。
南岸を発達しながら通過する低気圧へ流れ込む北風が強い。
染井吉野もこれには耐え切れず、いたる所で花を散らし地面を白く染めている。
春特有の安定しない天候が嫌いだ。
仕事は忙しい。
嫌いな仕事ではないのに、この頃いつもイライラしている。
もしかしたら自分に対してイラついているのかもしれないけれど。
二日ほど前より不調で、食欲なし。
夜は眠れず、反対に昼の眠気は仕事に差し障るほどだ。
頭痛と胃痛と倦怠感。
それが精神的なものなのか本物の体調不良なのかの区別ができず、悶々としている。
母の容態は一気に良くなっている。
もう吐気も無く、少しずつ歩くようになってきた。
粥食も始まったし、表情にも生気が戻ってきたようだ。
僕の体調とトレードオフなのだろうか。 それならそれで良いけれど。
やはり硬膜外を外したのが良かったようだ。
OP後の痛みより麻酔酔いによる吐気や眩暈の方が辛いと言う事か。
そんな事ならもっと早く外してもらえば良かったか。
そんな不調の中、無神経に動け動けと強要した自分が恥ずかしい。
上手くいけば日曜日に退院との事。
あとは自宅で体力を回復させ、外来での化学療法を始める予定。
それにあまり苦しまず、なんとか治療を続けてくれる事を願っている。
生きる為に必要な事なのだから。
でも今はあまり先の事は考えず、ただ退院が近くなってきた事を喜びたい。
僕も母も、もう一頑張りだ。
南岸を発達しながら通過する低気圧へ流れ込む北風が強い。
染井吉野もこれには耐え切れず、いたる所で花を散らし地面を白く染めている。
春特有の安定しない天候が嫌いだ。
仕事は忙しい。
嫌いな仕事ではないのに、この頃いつもイライラしている。
もしかしたら自分に対してイラついているのかもしれないけれど。
二日ほど前より不調で、食欲なし。
夜は眠れず、反対に昼の眠気は仕事に差し障るほどだ。
頭痛と胃痛と倦怠感。
それが精神的なものなのか本物の体調不良なのかの区別ができず、悶々としている。
母の容態は一気に良くなっている。
もう吐気も無く、少しずつ歩くようになってきた。
粥食も始まったし、表情にも生気が戻ってきたようだ。
僕の体調とトレードオフなのだろうか。 それならそれで良いけれど。
やはり硬膜外を外したのが良かったようだ。
OP後の痛みより麻酔酔いによる吐気や眩暈の方が辛いと言う事か。
そんな事ならもっと早く外してもらえば良かったか。
そんな不調の中、無神経に動け動けと強要した自分が恥ずかしい。
上手くいけば日曜日に退院との事。
あとは自宅で体力を回復させ、外来での化学療法を始める予定。
それにあまり苦しまず、なんとか治療を続けてくれる事を願っている。
生きる為に必要な事なのだから。
でも今はあまり先の事は考えず、ただ退院が近くなってきた事を喜びたい。
僕も母も、もう一頑張りだ。
今日のこと ― 2013年04月04日
何か有ったら連絡するように、と母にテレフォンカードを持たせている。
OP後の不調から回復し歩くようになった母なら、公衆電話へも行けるだろうと思ったからだ。
今朝、早速その母から着電した。
夕方、主治医から先日の手術内容と今後の説明が有ると言うのだ。
主治医と僕との間には意見の相違がある。
それは母に残された時間を本人に言うか否かだ。
主治医はより良くその時間を使うためにも告げるべきだと言う。
そして外来での化学療法のやり方も本人に選択してもらいたい、と言う。
僕は病名告知は仕方が無いけれど、残された時間を言うのは止めて欲しいと言った。
父が逝ってからすっかり弱ってしまった母だけれど、それでも自分の家で自分の好きなものに囲まれ穏やかな時間を過ごしていた。
突然の腹痛で始まり救急車、出産以外で始めての入院、そしてOP。
挙句に残された時間を告げられるなど、そんな残酷な事は出来ないと思った。
主治医は、それを知りたいか否かも含め本人に決めてもらいたいと言う。
本人の時間は本人の物なのだと。
夕方に有るという説明。
主治医は母に何かを言い、何かを決めさせようとしていると思った。
OP後の不調から回復し歩くようになった母なら、公衆電話へも行けるだろうと思ったからだ。
今朝、早速その母から着電した。
夕方、主治医から先日の手術内容と今後の説明が有ると言うのだ。
主治医と僕との間には意見の相違がある。
それは母に残された時間を本人に言うか否かだ。
主治医はより良くその時間を使うためにも告げるべきだと言う。
そして外来での化学療法のやり方も本人に選択してもらいたい、と言う。
僕は病名告知は仕方が無いけれど、残された時間を言うのは止めて欲しいと言った。
父が逝ってからすっかり弱ってしまった母だけれど、それでも自分の家で自分の好きなものに囲まれ穏やかな時間を過ごしていた。
突然の腹痛で始まり救急車、出産以外で始めての入院、そしてOP。
挙句に残された時間を告げられるなど、そんな残酷な事は出来ないと思った。
主治医は、それを知りたいか否かも含め本人に決めてもらいたいと言う。
本人の時間は本人の物なのだと。
夕方に有るという説明。
主治医は母に何かを言い、何かを決めさせようとしていると思った。
やはり、いつかはそれを決める事が必要だろうか。
自分ならそれを知りたいか否か、いくら考えても解らない。
母に病名告知をしたとき、僕は母に全ての事は任せておけと話した。
動くのも考えるのもこちらがするから、ただ寝ていれば良いと。
でも今回だけは、母にしか決められない。
せめてそれなら、僕の口から話そうと思った。
午後の早い時間、半休を取って母の病院へ行ったんだ。
自分ならそれを知りたいか否か、いくら考えても解らない。
母に病名告知をしたとき、僕は母に全ての事は任せておけと話した。
動くのも考えるのもこちらがするから、ただ寝ていれば良いと。
でも今回だけは、母にしか決められない。
せめてそれなら、僕の口から話そうと思った。
午後の早い時間、半休を取って母の病院へ行ったんだ。
1時間、2人で話をした。
母は、泣いた。
そして残された時間は知りたくないと。
しかし、今の自分の状態や今後予想される様々な事は知っておきたいと言った。
治療の選択肢も知っておきたいと言う。
主治医にそれを伝え、余命以外の全てを話してもらう。
それを聞いた母は、なんだかスッキリしたと。
そして化学療法を頑張ると言うのだ。
強がりもあるだろう。 これから何度も気分の波があるだろう。
でも、今日の話し合いが病気と戦う気持ちを起こさせてくれたのならこんなに嬉しいことは無い。
そうである事を願いたい。
ムスカリ ― 2013年04月06日
清明も過ぎ、地上はすっかり花の季節だ。
これは自宅庭のムスカリ。
この濃い青色が好きなんだ。
東京の日の出は5時21分。
厳冬の頃より1時間半も早く夜が明けるから、出勤前の朝の時間を有効に使いたい。
冬の頃より起床時間を早め、今朝は小雨の中マツバギクの植え付けと金木犀の落ち葉掃き。
天気は相変わらず安定しない。
予報は日曜に掛け春の嵐だ。
それは台風並みの荒れ方になるはずで、庭や畑の被害が気になる。
どうもこの頃、大気現象が苛烈化していると思うのは気のせいだろうか。
数個の鉢植えを玄関内に取り込んでから車で出勤。
--------------------------------------------------------------------------
仕事は忙しかった。
でも、18時半でさっさと帰る。
そして今日もまた母の見舞い。
だいぶ回復してきたとは言え、退院予定は明日なのだ。
いくら何でも早すぎやしないだろうか。
退院後は実家へ朝夕と様子を見に行くとしても、昼間一人で大丈夫だろうか。
腹腔ドレーンも抜いたばかりだし、抜糸もしたばかりなのに。
昼間ワンコを預けるけれど、何か有ったときワンコが救急車を呼んでくれる訳ではないのだから。
でも、とにかく退院は明日。
母はそれをとても喜んでいるし、僕もまた嬉しい。
僕の家との間に無線式の呼び出しアラームは設置したし、宅食の手配も住んだ。
あとは明日、迎えに行くだけだ。
これは自宅庭のムスカリ。
この濃い青色が好きなんだ。
東京の日の出は5時21分。
厳冬の頃より1時間半も早く夜が明けるから、出勤前の朝の時間を有効に使いたい。
冬の頃より起床時間を早め、今朝は小雨の中マツバギクの植え付けと金木犀の落ち葉掃き。
天気は相変わらず安定しない。
予報は日曜に掛け春の嵐だ。
それは台風並みの荒れ方になるはずで、庭や畑の被害が気になる。
どうもこの頃、大気現象が苛烈化していると思うのは気のせいだろうか。
数個の鉢植えを玄関内に取り込んでから車で出勤。
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仕事は忙しかった。
でも、18時半でさっさと帰る。
そして今日もまた母の見舞い。
だいぶ回復してきたとは言え、退院予定は明日なのだ。
いくら何でも早すぎやしないだろうか。
退院後は実家へ朝夕と様子を見に行くとしても、昼間一人で大丈夫だろうか。
腹腔ドレーンも抜いたばかりだし、抜糸もしたばかりなのに。
昼間ワンコを預けるけれど、何か有ったときワンコが救急車を呼んでくれる訳ではないのだから。
でも、とにかく退院は明日。
母はそれをとても喜んでいるし、僕もまた嬉しい。
僕の家との間に無線式の呼び出しアラームは設置したし、宅食の手配も住んだ。
あとは明日、迎えに行くだけだ。
退院しました ― 2013年04月07日
温泉 ― 2013年04月09日
参った ― 2013年04月10日
朝6時、実家の母の様子を見に行くと元気が無い。
そして腹痛が酷いので病院へ連れて行って欲しいと言われた。
今日の僕はどうしても仕事を休むことが出来ない。
午前中、新人研修の講師をしなければならないからだ。
8時、病院の前で母を車から下ろしそのまま職場へ向かった。
外来受診し、結果を携帯へ連絡するようにと言って。
こう言うのを後ろ髪を引かれる思い、と言うのだろうか。
気になって気になって仕方がないけれど、とにかく講師を済ませてしまわなければ。
13時、ようやく講師役から開放される。
母からは連絡が入っていないから、まだ病院に居るのだろうか。
駆けつけると造影CT待ちとの事でベッド上で丸くなっている。
主治医は腸閉塞疑いで検査を進めているとの事。
参ったな。
15時半、ようやくCTに呼ばれる。
検査はあっという間。 その後診察。
それによれば腸閉塞は無く、ただの便秘であると。
まだ腸の動きが悪く、暫くはマグミットを使いましょうとの事。
安堵し、力が抜けた。
17時から19時半、別の病院の待合室でボンヤリする。
そこは母がずっとリウマチの治療を受けている病院で、今の母の状態報告と処方箋を乞う。
20時半、疲れて帰宅。
頭痛が酷く吐き気さえする。
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そして腹痛が酷いので病院へ連れて行って欲しいと言われた。
今日の僕はどうしても仕事を休むことが出来ない。
午前中、新人研修の講師をしなければならないからだ。
8時、病院の前で母を車から下ろしそのまま職場へ向かった。
外来受診し、結果を携帯へ連絡するようにと言って。
こう言うのを後ろ髪を引かれる思い、と言うのだろうか。
気になって気になって仕方がないけれど、とにかく講師を済ませてしまわなければ。
13時、ようやく講師役から開放される。
母からは連絡が入っていないから、まだ病院に居るのだろうか。
駆けつけると造影CT待ちとの事でベッド上で丸くなっている。
主治医は腸閉塞疑いで検査を進めているとの事。
参ったな。
15時半、ようやくCTに呼ばれる。
検査はあっという間。 その後診察。
それによれば腸閉塞は無く、ただの便秘であると。
まだ腸の動きが悪く、暫くはマグミットを使いましょうとの事。
安堵し、力が抜けた。
17時から19時半、別の病院の待合室でボンヤリする。
そこは母がずっとリウマチの治療を受けている病院で、今の母の状態報告と処方箋を乞う。
20時半、疲れて帰宅。
頭痛が酷く吐き気さえする。
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21時半、今から持ち帰りの仕事。
2月末に母が倒れてから仕事は停滞し、他の人たちに迷惑を掛けてばかり。
今日もまた数時間で職場を辞してしまい、色々な人に後始末を頼んでしまった。
今後もこのような事が続けば、今の仕事を続ける事は難しいのではないか、との恐怖を感じる。
でも先の事は考えられない。
出来る事をただ続けるだけで精一杯。
2月末に母が倒れてから仕事は停滞し、他の人たちに迷惑を掛けてばかり。
今日もまた数時間で職場を辞してしまい、色々な人に後始末を頼んでしまった。
今後もこのような事が続けば、今の仕事を続ける事は難しいのではないか、との恐怖を感じる。
でも先の事は考えられない。
出来る事をただ続けるだけで精一杯。
今僕にとって一番大切なのは母なのだ。
普通な日 ― 2013年04月12日
何も無い普通な日。
そんな平和な時間を心から嬉しく思う。
庭のフェンスに絡ませてある葡萄が芽を伸ばし始めた。
今年もまた、甘い巨峰が食べられるだろうか。
朝5時、ワンコと歩いた時の気温は4度。
東京の日の出は5時12分で、昼時間はいよいよ13時間となる。
真冬の頃に30度しかなかった太陽高度もすでに60度を越えた。
そろそろ夏野菜の植え付け計画を練っても良い頃だろう。
仕事は特記事項なし。
昼は緑のたぬき。
OP後の母の体力がある程度回復するまでは、共に夕飯を摂ろうと思っている。
そのため雑多な仕事は持ち帰り、18時には職場を出る。
食事後仕事を片付けなければいかんし、洗濯物も溜まってる、掃除もせにゃ、風呂もはいらにゃ。
その上、酒まで呑まなければならないのだ。
なんとか自由時間を作りたいけれど、4時間は眠らないと翌日に影響する。
買ったままの本やDVDは溜まるばかりだ。
そんな平和な時間を心から嬉しく思う。
庭のフェンスに絡ませてある葡萄が芽を伸ばし始めた。
今年もまた、甘い巨峰が食べられるだろうか。
朝5時、ワンコと歩いた時の気温は4度。
東京の日の出は5時12分で、昼時間はいよいよ13時間となる。
真冬の頃に30度しかなかった太陽高度もすでに60度を越えた。
そろそろ夏野菜の植え付け計画を練っても良い頃だろう。
仕事は特記事項なし。
昼は緑のたぬき。
OP後の母の体力がある程度回復するまでは、共に夕飯を摂ろうと思っている。
そのため雑多な仕事は持ち帰り、18時には職場を出る。
食事後仕事を片付けなければいかんし、洗濯物も溜まってる、掃除もせにゃ、風呂もはいらにゃ。
その上、酒まで呑まなければならないのだ。
なんとか自由時間を作りたいけれど、4時間は眠らないと翌日に影響する。
買ったままの本やDVDは溜まるばかりだ。
ここ数日の宅食 ― 2013年04月13日
月曜日から始めている「ワタミの宅食」
母の体力が回復し、近所のスーパーへ買い物に行けるまでは続けるつもりだ。
一週間分ごとの注文だから届けてもらう週と自炊の週を交互に作っても良いし、化学療法を行う週のみコイツを使い、元気な時は買い物に行っても良いし。
ここ数日のメニューはこんな感じ。
これはご飯無しのプランだから、届くのはオカズだけ。
これより一食あたり100円安くてもう少し質素なコースや、ご飯付きのプランも有るみたい。
母の体力が回復し、近所のスーパーへ買い物に行けるまでは続けるつもりだ。
一週間分ごとの注文だから届けてもらう週と自炊の週を交互に作っても良いし、化学療法を行う週のみコイツを使い、元気な時は買い物に行っても良いし。
ここ数日のメニューはこんな感じ。
これはご飯無しのプランだから、届くのはオカズだけ。
これより一食あたり100円安くてもう少し質素なコースや、ご飯付きのプランも有るみたい。
真ダラの沢煮あんかけ、煮卵、厚揚げおろしかけ、ゴボウ柚子味噌、ヒジキの炒り煮、ニラ玉もやしなど。
カジキのフライ、かに玉、高野豆腐、コンニャクピリ辛、切干大根など。
豚肉の葱塩焼き、白身魚のスイートチリソース、大根・ガンモ・シイタケの煮物、白和え、ヒジキとゴボウの金平など。
年寄りにはもう少し薄味でも良い気がするけれど、でもコンビニ弁当に比べればずっと美味しい。
生野菜が少ないこと、揚げ物が多い事、煮魚・焼き魚が少ない事なども有るけれど、値段と毎日同じ人が同じ時間に届けてくれる事を考えれば良いサービスだと思う。
それに一人暮らしの母を持つ者にとって、何か異変が有ったらすぐ携帯へ電話をくれる安心感は何物にも代えがたいのだ。
ただ、僕にとっては物足りない。
自分の夕飯とは食事ではなく酒の肴を指すからだ。
それに自炊はちっとも負担ではなく、いつも自分の欲しい物を自分の分だけ作っていた身には、このトレイに入った食事はとても味気ないのだ。
これで酒の肴コース、なんて言うのが有ったら喜んで取ってしまうけれど。
一ヶ月で8キロ減ってしまった母の体重が少し戻ってきたら、母との夕飯は止めにして僕はまた自炊の生活に戻ろうか。








