テレホタイム2012年12月20日

朝6時前、自転車で家を出た。
気温は涙も凍るマイナス1度。
一生懸命ペダルを漕いでも体は温まらず、指先の感覚がなくなる頃に職場着。
積もったイチョウの落ち葉で転び、新しい自転車に最初の傷を付けて今日が始まる。

仕事は一生懸命。
14時、本日最初の休憩でカップ麺に湯を入れ、そのまま忘れて気付けば16時。
カップ麺に湯張りすると必ず呼び出されるのは何故なのか。
そんな日に限って差し入れは無し。

そう言えば、ウチの職場でも「某茄子」が出たらしい。
明細はどこへ行ったのか、あるいはまだ届いてないのか。
同門同期の中で、収入面では明らかに明暗の暗組。
バブルの頃にもぐり込んだ最初の就職先を辞めた時にそれはもう諦めている。
でも、あのままあの会社に居たら今頃どうなっていただろうと思うことは、それでもある。
それはMと知り合わないことも意味するのだ。

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昨夜、ちょっと面白い事があった。
ラジオを点けたまま読書に没頭していたんだ。
そして23時の時報が鳴った途端、体が無意識にPCを操作しようとした。
それは23時からの「テレホーダイ」。
予め登録しておいた番号への通話が定額になるNTTのサービスだ。

まだ常時接続が普及していなかった昔、僕らはダイヤルアップ接続の電話代を節約する為に毎晩23時の時報を待ったのだ。
あのモデムのネゴシエーション音とリダイアル合戦、やっと繋がったときの嬉しさ。
いつもの掲示板に入るといつもの友達がいて、電報のやり取りが始まる。
ツマラナイと解っていても長大な時間を掛けて一枚のjpegを落としてみたり、長いメールを書いては消してみたり、なんと言うことの無い秋葉原情報に歓喜したり。
匿名だったけれど、今のSNSなどよりずっと濃い付き合いもそこには有った。

今、甥や姪達はスマホにしか興味が無く、あの小さな画面ばかりを眺めている。
そのスマホの向こうに、当時は確かにあった一体感や高揚感は存在するのだろうか。
傍から見ているとスマホ世代の彼らはただ飽き、時間を持て余しているようにしか見えないのだ。