今日で二年 ― 2016年05月20日
いろいろな事を考えたけれど、それを上手く書く事が出来ない。
この二年間をどう過ごしてきたのかも、よく解らない。
もっと夢に出てくれるのかと思ったけれど、それもあまり無いし。
日常のちょっとした瞬間に母の気配を感じることがある。
あの路地の向こうから、緑色の自転車に乗ってやって来そうに思うときがある。
エプロンを付けて花壇の手入れをしていそうな。
沢山の本に囲まれ笑っていそうな。
父だってそうだ。
今にも大漁だ、とか言って海釣りから帰って来そうな気がする。
僕が買った赤いオープンカーを、ちょっと貸せと言って乗り回していそうな。
そんな気がするときがある。
そう思いたいだけなんだ。
その辺に居そうだな、などと殊更に思い込みそんな世界に逃げ込む。
それがこの二年間で身に付いた僕の逃避であり弱さなのだ。
今居ないのは、ちょっと留守にしているだけなんだろ。
両親は旅行に出掛けているだけなんだと。
そんな甘美な妄想に浸かる事がある。
そして次の瞬間、もう二人とも居ないのだと嫌な気分になる。
いつになったら素直に受け入れられるのか解らない。
それが今の自分なのだから仕方が無い。
とにかく、今日で母が逝って二年。
もっと夢に出てくれるのかと思ったけれど、それもあまり無いし。
日常のちょっとした瞬間に母の気配を感じることがある。
あの路地の向こうから、緑色の自転車に乗ってやって来そうに思うときがある。
エプロンを付けて花壇の手入れをしていそうな。
沢山の本に囲まれ笑っていそうな。
父だってそうだ。
今にも大漁だ、とか言って海釣りから帰って来そうな気がする。
僕が買った赤いオープンカーを、ちょっと貸せと言って乗り回していそうな。
そんな気がするときがある。
そう思いたいだけなんだ。
その辺に居そうだな、などと殊更に思い込みそんな世界に逃げ込む。
それがこの二年間で身に付いた僕の逃避であり弱さなのだ。
今居ないのは、ちょっと留守にしているだけなんだろ。
両親は旅行に出掛けているだけなんだと。
そんな甘美な妄想に浸かる事がある。
そして次の瞬間、もう二人とも居ないのだと嫌な気分になる。
いつになったら素直に受け入れられるのか解らない。
それが今の自分なのだから仕方が無い。
とにかく、今日で母が逝って二年。