ヒヤシンス2016年02月03日

5時の気温は1度。
弱い北風の節分の朝。
立春を前に、最も寒い季節の朝を犬と歩く。
まだ夜気と言っても良い空気に沈丁花の気配を感じた。
いや、きっと気のせいだ。
まだ僕なんかに春が来るはずはない。

仕事は多忙。
日常業務を放棄して、懸案の作業に没頭する。
少しだけ進んだ。
この一週間で、原稿を30枚ほど仕上げたのだ。
でもまだ先は見えない。
今月の大きな山を越えられる気がするまで、攻めてみるしかない。

昼食は時間なし。
所用にて18時退勤。
夕飯は買い物の気力なく、冷蔵庫にあった期限切れの豆腐で湯豆腐。
酒はMの娘が土産に買ってきてくれた「水芭蕉」を冷で。
少し喉が痛い。
風邪をひいたかもしれない。


母が最後に植えたヒヤシンスが、今年も芽を出した。
あの時、病気はもうずいぶんと進行していた。
母はこの球根を植えるとき、その花を見ることは出来ないと解っていただろう。

それはどんな気持ちだったろう。
絶望だろうか。 希望だろうか。
でもこの芽を見て、僕がどんなに喜ぶかはきっと想像していただろう。
「たとえ明日世界が滅ぶとしても、私はリンゴの木を植えるだろう」
それは母が好きだったプロテスタントの祖、ルターの言葉だ。
そんな気持ちだったのだろうか。

月末になれば、母が倒れた日がまたやって来る。
あれから2年。