2月2016年02月01日




仕事を終えて僕の家に来るMに、夕飯のリクエストを聞く。
ハンバーグだと。 卵も乗せてと。
そんな2月のはじまり。
二人で赤ワインを呑む夜。



ヒヤシンス2016年02月03日

5時の気温は1度。
弱い北風の節分の朝。
立春を前に、最も寒い季節の朝を犬と歩く。
まだ夜気と言っても良い空気に沈丁花の気配を感じた。
いや、きっと気のせいだ。
まだ僕なんかに春が来るはずはない。

仕事は多忙。
日常業務を放棄して、懸案の作業に没頭する。
少しだけ進んだ。
この一週間で、原稿を30枚ほど仕上げたのだ。
でもまだ先は見えない。
今月の大きな山を越えられる気がするまで、攻めてみるしかない。

昼食は時間なし。
所用にて18時退勤。
夕飯は買い物の気力なく、冷蔵庫にあった期限切れの豆腐で湯豆腐。
酒はMの娘が土産に買ってきてくれた「水芭蕉」を冷で。
少し喉が痛い。
風邪をひいたかもしれない。


母が最後に植えたヒヤシンスが、今年も芽を出した。
あの時、病気はもうずいぶんと進行していた。
母はこの球根を植えるとき、その花を見ることは出来ないと解っていただろう。

それはどんな気持ちだったろう。
絶望だろうか。 希望だろうか。
でもこの芽を見て、僕がどんなに喜ぶかはきっと想像していただろう。
「たとえ明日世界が滅ぶとしても、私はリンゴの木を植えるだろう」
それは母が好きだったプロテスタントの祖、ルターの言葉だ。
そんな気持ちだったのだろうか。

月末になれば、母が倒れた日がまたやって来る。
あれから2年。



スカイツリー2016年02月04日



東京の日の出は6時39分。
気温は0度。
いつもの道を犬と歩く。
いつもと違うのは、僕が大きな望遠レンズを付けたカメラを持ってきていることだ。
ある場所のある角度から見える尖塔が気になっていた。
光がクルクル回っている、特徴ある形。
昼間になると解らなくなってしまうそれを、空気の澄んでいる朝に撮ってみたかった。

あー、やっぱりスカイツリーだなあ。
自宅近くの道端からそれがみえるなんて。
あそこまで何キロあるのか解らないけれど、偶然そこまでに高い建物が無いんだな。
これで散歩の楽しみが一つ増えた。
これから毎朝、あの場所から観察することにしよう。

テレビを見て思ったこと2016年02月05日

テレビはあまり見ないけれど、NHKの「ファミリーヒストリー」は毎回楽しみにしている。
有名人の家族の歴史、本人も知らない家族史を辿る番組だ。
今回は森山良子。
祖父はアメリカに渡り写真修行をし、父は戦後の日本で音楽の道を進んだという。
その苦難が沢山の写真資料と共に語られ見応えがあった。

そして毎回思うのは良くこれだけ古い写真が残っているものだという事。
番組には戦前の、時には100年前の、時にはガラス乾板の写真が次々と出てくる。
写真って凄いなと思うと同時に、現代の写真が同様に残るだろうかと心配になる。
なぜってデジタルだからだ。
僕自身デジカメに変えた2000年頃から、殆どプリントせずデータのままで保存している。
それらは見返されることも無く、ただHDDの容量を増やすだけだ。
バックアップは取っているけれど、それも僕が居なくなってしまったら消滅するだろう。

昔は親戚なんかが揃うとアルバムを持ち出し、古い写真を眺めたものだ。
両親の独身時代の写真を見るのが僕は好きだった。
今、みんなはどういう写真の楽しみ方をしているんだろう。
スマホで見せ合ったりで終わってしまうのだろうか。
それはそれで手軽で良いのだけれど。

バックアップだけじゃなくもっと後々まで残すには、やはりプリントだろうか。
その写真がずっとずっと後になって、誰かの興味をひいたりするんだろうか。
もっとも僕なんかは跡継ぎも居ないし、写真を残す事なんか考える必要ないのだけれど。

鶏を焼く2016年02月09日

朝5時の気温はマイナス1度。
寒い。
犬との散歩後、プランターの花に水をやろうとホースを伸ばす。
でもそれは凍り付いて使い物にならなかった。

7時、うな垂れて出勤。
数年に一度の大物が二つと年に一度の面倒事が、この2月末に重なってしまった。
一月前からその対策をしてきたけれど、まだ先が見えない。
他部署と違い、一人部署の僕には他に頼る人が居ない。
いや、大物の一つはそもそも僕の仕事の範疇ですらないのだ。

以前ならこんな時は休日出勤をしていただろう。
でも去年あたりからかな、プツンと何かが切れてしまってそれをしなくなった。
切れたのは意地なのか情熱なのか執着なのか。
それとも、もっと違う何かなのか。
とにかくもう休日出勤はしない。
だから平日休みの日にラーメン食べたり温泉に浮いたりしているんだ。
自分の出勤日の中でこなせる仕事は、精一杯しているけれど。

昼、休憩の時間なし。
午後、差し入れで貰ったバームクーヘンと紅茶。
会議が長引いて約束を一つ反故にし、またうな垂れて帰宅。


夕飯に何を食べるかは、僕の場合何を呑むかで決まる。
昨夜開けた赤ワインがまだ半分残っているから、今夜は肉。
地鶏をフライパンで焼いた。
左のジャガイモは秋に収穫したもの。
右の緑のやつは、畑に大量にあるブロッコリの脇芽。

それにしてもワインを開けて半分残すなど、僕も歳取ったなと思う。
以前なら一本干してまだ足りず、仕上げにウイスキーでも呑んだだろうに。


いくじなし2016年02月10日

デヴィッド ボウイが好きだった。
バイクで事故った時も、実験漬けだった頃も、国試に受かった時も、恋人と別れた頃も。
ウォークマンだったり、ムスタングの車内だったり、彼女の部屋だったり。
デヴィッド ボウイを聴いていたのは、今の僕ではないあの頃の自分だ。
オトナになって、彼の死を知った今年1月。
僕はもう、すっかり歳をとっていた。
あの頃の知人の何人かは逝ってしまったけれど、僕はまだ生きている。
そして忘れていたデヴィッド ボウイの曲を聴いた。

ここには書かなかったけれど、先日交通事故を目撃した。
横断歩道を渡る自転車が、左折するトレイラーに轢かれたのだ。
まるで何かに吸い込まれるように、自転車の女性はトラックの下に消えた。
そして、その人は亡くなったのだと聞いた。
その一瞬を境に、その人は死んだ。

職場の先輩が、今週退職をした。
昨秋の検診で病気が見つかり、先が見えたのだという。
突然見つかった病気は、余命というそれまで考えもしなかった言葉を突きつけた。
好きな酒と好きな釣りで残された時を過ごしたい。
そんな話を聴かされ、いい歳をした僕は初めて職場で嗚咽した。

あの年の春に倒れた母は、その告知を聞きたくないと言った。
でも母は自分に残された時間を知っていて、僕にその話を聞いてもらおうとしていた。
僕はそれが嫌で、その度ごとに話をそらしたっけ。
でもそれは、母なりの精一杯な死を受け入れる作業だったんじゃないのか。
今頃になって、真摯に対峙しなかった自分の卑怯を恥じている。

どうもこの頃いけない。
生きる事と、その行先としての死が上手く理解できない。
やがて訪れるその時まで、一生懸命に生きなければならない。
それは子供の頃からキリスト教会に通って教えられてきた。
でもやがて死ぬのならなぜ、失い続けてまで生きねばならないのか。
それともいつか来る終わりを救いとして、日々耐えていけばいいのか。
それが本当に救いなら、その時まで頑張れる気もするけれど。
それに救われたら、亡くしたものを見つけられるだろうか。








確定申告2016年02月14日




窓の外は嵐。
東京に、春一番の吹いた日曜日。

階下では、徹夜勤務明けのMが眠っている。
犬も外遊びを諦め、いびきをかき始めた。
僕も一緒に眠ってしまいたい。
でも少しだけ勇気を出して気だるい作業を片付けてしまおう。
毎度おなじみの確定申告だ。

でもそれは、厳しい冬の終わりを告げる儀式でもあるかに思える。
この面倒事を終えてしまえば、畑開きももう間近だ。
ずっと待っていた春。
花粉と共に、それはそこまで来ている。

14時追記。
春を飛ばして初夏が来てしまったか。
現在の気温は24度。
雨は上がり、空は快晴だ。
PC作業ついでに持ち帰りの仕事をしようと思っていた。
でも、こんな陽気を横目に日曜仕事ができるほどオトナじゃない。
車の屋根を開けて、多摩湖あたりまで散歩に行くのだ。
そして明日、仕事を全くこなせなかった事を後悔しよう。





やっと土曜日2016年02月20日

うーんうーんと唸っても、それで作業が捗るわけではない。
それでも唸り続けたこの数週間。
数年に一度の大きな仕事が、なぜかこの2月に集中してしまった。
うーんうーん。

唸っている間に、外にはもう春が来たのか。
今朝、犬と散歩に出た時の気温は7度。
そしてはっきりと、風の中に沈丁花の香りを感じる。
毎年繰り返される犬の花粉症(!)もはじまった。
また人間よりずっと高価な薬を処方してもらわなければならない。

今期何度目かの春の嵐が予報されている土曜日。
出勤は7時。 そしてまた作業に没頭する。
2月初旬の最初の山は難なく越えた。
先日有った二つ目の山は、「ほうほうのてい」で乗り切った。
改定を迫られていた70ページのマニュアルも書き換えた。
確定申告と納税は先日終えた。

残るは来週水曜日の研修講師。
一時間半、感染症と細菌培養について話さなければならない。
何度繰り返しても、人前で話す事に慣れは無い。
でも、大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせながら準備を進める。
今までも何度もやってきたじゃない。
成功体験、と言うほどのものでは無いけれど準備を怠らなければ上手くいく。
それを知っているから、もう少し頑張る。

それが終わったら、春の海にでも散歩に行こう。



忙しかった2016年02月24日

終わった。 やっと終わった。
そして上手く行った!
ここ数週間抱えていた大きな仕事と言うか面倒事がようやく終わったのだ。
昨夜は殆ど寝ずに仕事していたし、とにかく今夜はぐっすり寝るのだ。
そして明日は久しぶりの休み。
どこかへ行くか、それともずっとゴロゴロしているか。
そんな贅沢な選択を抱えながら、もう寝るぜ。 ぐー。



陽が長くなってきた2016年02月26日

少しゆっくり起きた金曜日。
夜勤入りでまだ寝ているMを起さぬように出勤したのが8時半。
そうか、今年の2月は29日まで有ったのか。
少し得したような気分になり、職場のホワイトボードに予定を追加する。
しかしそれも、その直後の電話で全てお流れとなった。
職場内でノロとインフルが流行っていて、その対処におわれる事になったから。
今月の予定はもう、来月にそっくり送ろう。
色々重なったんだもの。 仕方が無い。

昼食は緑のたぬき。
午後もずっと地味な作業。

夕方、ふと窓の外を見ると空にまだ残照がある。
長かった助走を終え、昼が加速を付けて伸び始めたんだ。
今日のそれは11時間15分。
今月になってから実に50分も昼時間は長くなり、太陽高度は45度を超えた。

それに比べ、地上ではまだ冬と春とがせめぎ合っているのか。
昨日の最高気温はわずかに7度。
小雪まで散らついて、犬もぶるりと震えた。
久しぶりの休日、春の海にもで散歩に行こうかと思っていたんだ。
でもその寒さは行き先を温泉に替えるのに十分なものだった。
おかげで寒い時期の露天風呂と言う、僕の大好きな行為を楽めたのだけど。

もう少し暖かくなったら、母の実家の有るあの海に行こう。
そしてもう少し足を伸ばし、浪花にまで行ってみようか。
そこには、2001年に100歳で逝った父方の祖母が産まれた家が有るはずだ。
祖母は20歳で東京に出てきて、その家に一度も帰らなかった。
それが何故かは解らないけれど、僕も知らない祖母が育った漁村を見てみたいんだ。