ヒジキと大根2015年12月05日

畑から抜いてきたばかりの大根を見て、母ならまず菜飯を作ったろうと思う。
ヒジキの佃煮を作りながら、母はこれが好きだったなと思い出す。
菜飯の上にヒジキをのせ、嬉しそうに食べる母の顔も目に浮かぶ。
でも、その声が上手く思い出せない。
もちろん声を忘れたわけじゃない。
でも、母が話すその言葉を、言葉を話す母を、鮮明に思い出すことができない。
もう一度、あの声が聴けたら。

なぜ、動く母を、話す母を残しておかなかったんだろう。
デジカメの動画はとても綺麗に撮れるのに、それで撮るのは飛行機や犬ばかり。
あの頃、もう少ししたら目の前の母が居なくなることを僕は知っていた。
だったらなぜ、その母を記録しておかなかったのか。
そんな事をしたら何だかお別れのようで、それが怖くて撮影できなかったんだ。

でも唯一残った母の声が、検査結果の告知を受けるボイスレコーダの記録だなんて。
テレビを見て笑う母を、美味しいものを食べて喜ぶ母を、たくさん残せば良かった。
そんな普通の日々が、やがてこれほど恋しいものになるとは。
夢に出てきても、その母は何も話しかけてくれない。
ただ微笑むだけだ。


土曜の夜。
Mは残業で遅くなるので今夜は来ないという。
犬の散歩を終え、煮物を作る。
母の味を思い出しながら、煮物を作る。
今夜はヒジキと大根で酒を呑もう。
独りの夜はとても静かだ。