浪花村と言う漁村のこと2016年03月04日


毎年早春の頃に、母の実家へ遊びに行く。
まだ海は澄みきっていて、菜の花は満開で、田起しが始まるこの時期。
都心の底を息を潜めて抜け、高速を走り、この椰子の並木が見えたら屋根を開けよう。


いつもの菜の花畑。
その甘い春の香りを肺に一杯吸い込みたくなる。
向こうに見える海は子供の頃からずっと遊び続けた僕の大切な場所だ。


持ってきたサンダルに履き替えて、砂浜を歩いた。
「はば海苔」の収穫はもう終わりだろうか。
それに替わりヒジキの収穫がそろそろ始まるだろうか。
海の仕事を手伝った昔の夏休みを思い出す。


ここに来たら、昼食は鯨だ。
僕は刺身、カツ、竜田揚げの丼を、Mは竜田揚げ定食を食べた。
土産に、「タレ」と呼ばれる鯨の干物も買う。
この頃はすっかり高級品になってしまって、一枚800円だって!


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そして今回、行ってみたい場所があった。
2001年に100歳で逝った父方の祖母の産まれた場所。
母の実家から車で1時間半ほどの海辺にそれはあった。
そんなに近いのに、僕は今までそこへ行った事が無かったんだ。

祖母は二十歳で東京へ出て、そこへは二度と帰らなかった。
東京で一人、キリスト教会の援助を受けながら勉強し、やがて教師になったんだ。
関東大震災で怪我をしても、戦争で空襲を受けても実家には帰らなかった。
戦争中に夫が熱海で芸者遊びをし、酔って階段から落ち半身不随になったときも。
ただのいっぺんも連絡すらしなかったと聞く。
それが何故なのか、今はもう解らない。

でも子供の頃から、その家の事は良く聞いていたんだ。
海が荒れると、波の音が煩くて眠れなくなる。
沖の岩までの往復1キロほどを、泳いで遊んだ。
父親は漁師の網元で羽振りがよく、遊んでばかりいた。
どれも明治から大正初期の頃の事だろう。
そしてもう一つ良く覚えているのが、その家のすぐ近くにある地蔵堂のこと。
元は鎌倉時代に建立された古いもので、海に突き出すように建てられている。
そこで妹とよく遊んだのだと。


はじめて行ったそこは、とても小さな漁村だった。
山を背にしているせいか、母の実家の海と違い威圧感すら感じる。
車を停め、Mと暫く散歩をした。
出会うのは猫ばかりで、他には誰も居ない。

ここで祖母は産まれたのか。
僕が今ここに居るのを見たら、天国の祖母は何を思うだろう。
そんな事を考えながら歩いていくと、海に突き出た赤いお堂が見えた。
そうだ、あれが祖母の言っていた地蔵堂か。
100年前、そこで祖母は遊んでいたのか。
そしてそのすぐ近くには、祖母の旧姓と同じ名前の家があった。
それはきっと僕の親戚の家なんだろう。
どんな人がどんな暮らしをしているのか。
祖母の事を知っている人がまだ居るだろうか。
話を聞いてみたかったけれど、結局そのまま帰って来てしまった。

帰りの車の中で、ずっと祖母の話をしていた。
祖母の産まれた1900年、あの漁村ではどんな暮らしが有ったのか。
若い女が東京へ出る事がどんなに大変だったか。
改宗してまで教会に通ったのはなぜだったのか。
もっともっと聞いておけば良かった。
今になって、聞きたい事が沢山有るんだ。