終戦記念日2014年08月15日

母の長兄は、小さな頃から機械が好きだったと聞いた。
農業用発動機や井戸のポンプなどの修理が得意で、いつも機械弄りをしていたという。
やがて飛行機に興味を持ち、どこかの学校で工業を学んだらしい。
時代は太平洋戦争の最中。
整備兵として飛行機整備をしながら転戦した叔父は終戦を数ヵ月後に控えた冬、あの硫黄島に送られた。
そこにはすでにまともな飛行機は少なく、機械整備ならなんでもしていたようだ。
数年前、慰霊で硫黄島に渡った叔母は、地熱と硫黄の地獄のような島だったと言った。
そこで叔父は何を考えていたんだろう。
好きだった機械弄りも、その状況では少しも楽しくなかったろうに。
21歳の叔父に、死の覚悟はあったのだろうか。

3月26日玉砕。
戦死の報に泣き崩れる家族を、まだ小さかった母は隣の部屋から見ていたという。
叔父の墓に遺骨は無く、ただ島の石が入っている。

先日母の実家に行った時、その話を久しぶりに聞いた。
壊れた草刈機のエンジンを分解していた僕を見て、90歳の叔母が話してくれたのだ。
その戦死した叔父は、僕に良く似ているという。
改めて仏間の鴨居を見れば、そこに飾ってある叔父の遺影は僕に似ている。
そっくりと言っても良いくらいだ。
僕の機械好きは叔父に似たのだろうか。
このお盆に、叔父は帰ってきているだろうか。

終戦記念日とお盆が重なったのは偶然なのか。
生き物が最も輝く8月は死者の季節でもある。
裏と表のように、いつもそれはついて回る。