ビールは冷やして2014年08月04日



ビールが好きだ。
適温は8度とか言われ、通の間では冷えすぎビールを出す店は解ってないと避けられる。
どこのビアホールだったか、殆ど常温じゃないかというモノを飲まされた事もある。
その方が芳醇な味と香りが良く解るのだという。
そんなの知った事じゃない。
夏はキンキンに冷やしたビールを喉を鳴らし一気に流し込む季節だ。

庭の畑から枝豆を一掴み取ってきて、荒塩で塩もみする。
冷蔵庫のエビスビールを冷凍庫に移し、ついでにグラスも冷やしてからシャワーを浴びる。
枝豆は茹で過ぎないように、少し濃い目の塩水で落し蓋をして茹でよう。
冷やした枝豆を尊ぶ人もあるけれど、僕は熱々のコイツが好きだ。
甘みの強い摘みたて茹でたてを食べる楽しみ。
そして、頭が痛くなるほどに冷えたビール。

本当なら蚊取り線香を焚いた縁台でやりたいのだけれど、それにはあまりに暑すぎる。
エアコンを効かせて、呆けたように暫らくは枝豆とビールを楽しむのだ。

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仕事は特記事項なし。
月末にMとたった一泊の旅行に行きたいと思っている。
けれど、相変わらずその直前まで僕らの予定が決まらない。
特にMの休みは数日前まで確定せず、旅行など夢のようなものだ。
それでも海が良いか山が良いかなど、その夢を妄想しながら暮らしている。
なんてったって、20年以上も付き合っていて一回しか旅行に出ていないのだ。


あり合わせ飯2014年08月05日

勢力の強い台風11号の動きが気になる。
気象庁と米軍の予報に差異があり、より東側を抜ける米軍の予報が当たると厄介だ。
でも少し雨は欲しいし、もし更に転向し海上を通れば酷暑も一段落するかもしれない。
うまい具合に被害の出ない針路を進んではくれまいか。

歳とって体力がなくなったのか、この頃の酷暑には参る。
ただ暑いと言うのではなく、ダルさで何もしたくなくなるんだ。
それは熱中症の入り口なのかもしれない。
歩道の日向ばかり好んで歩いた昔のように夏を楽しめなくなったのは確かだ。

東京の日の出は4時51分。
一月前は4時半だったのにねー、など犬と話しながら朝の散歩。
もうすぐ立秋だけれどまだ秋の気配は無く、早朝から太陽はやる気に満ちている。
庭に水をまき、近所の人たちと少し立ち話し。
古い住宅街のこの辺は住民の年齢もみな高く、働いている方が少数派だ。
適当なところで切り上げ、バイクで出勤。


仕事は特記事項なし。
バイクで出勤すると、仕事帰りに買い物する事が億劫だ。
ヘルメットを脱ぐのも面倒だし、職場を出たら一気に風を切って帰りたい。
そんな日の夕飯はたいていこんな感じになる。
冷凍しておいた鯖と同じく冷凍の栃尾揚げを焼き、残り物のゴボ天も。
枝豆と浅漬けは定番で、ここにビールと酒をつける。
今夜の酒は予約して買った澤乃井・寒作り百五十日熟成純米吟醸生。
こりゃ旨い酒だ。

夜、母の遺品整理。
しかし、捨てるべき物がまだ捨てられない。
帽子。 
これは副作用で脱毛した母に僕が買ったもので、楽しい思い出など微塵も無い。
説明書。
調剤薬局で貰った末期の強い痛みに使う薬の説明書。 今は見たくも無い。
でも捨てられぬ。
いつになったら整理が出来るのか。
辛い出来事は忘れ、楽しい思い出だけ残したいのに。


去年の8月8日2014年08月08日



阿佐ヶ谷の七夕で一番気に入ったやつ。
「アナ雪」のお兄さん。

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立秋も過ぎた。
昨夜、内容は忘れてしまったけれど何かとても懐かしい夢を見ていた気がする。
大切な人と大好きな場所を歩くような夢。
そして、カレンダーを見てはたと気付いた。
一年前の今日は、母を実家へ連れて行った日。
最後の里帰りに出かけた日だ。

数件の親戚家を廻り、海を散歩し、美味しいものを食べ、母は常に上機嫌だった。
そんな楽しそうな姿を僕はずっと覚えていたいと、瞬きも惜しむように見ていたんだ。
化学療法の再開を目前に、何かの覚悟があったのだろうか。
車に弱い母が酔い止めを幾つも飲み、あの海辺の実家に連れて行って、と言ったのだ。
あれからもう1年が経つのか。
母を亡くして今、僕はどこへ向かっているのだろう。

そんな事を考えていたら堪らない気持ちになり、あちこち電話をし遊ぶ約束を取り付ける。
週末は幼馴染と呑み会。 
来週は花火大会。
月末はMと一泊で(上手く休みが取れるかはまだ解らないけれど)行く温泉旅館の予約。
なぜそんなに予定を詰め込みたいのか自分でもよく解らない。
母の不在を誤魔化したいのかもしれない。



今年の盆2014年08月11日

台風11号に流れ込む南風は、庭のトマトとナスをなぎ倒して行った。
キュウリは収穫を終わり、枝豆は食べつくし、残るはモロヘイヤとピーマンくらいのもの。
大豊作だった今年の夏野菜もそろそろ終わる。
秋冬物の植え付けまで、少し土を休ませよう。
その間、今後の作付け計画を練りなおしてみようか。
母が居なくなった今、これまで通りの野菜つくりをしても食べきれないからだ。

南風の強い蒸し暑い月曜日。
仕事は自分の都合で忙しくなった。
明日、明後日を連休する事にしたからだ。
昼食は緑のたぬき。  
所用あり、自宅作業用にレポート作成資料をクラウドに上げて15時退勤。
夜はMが来る予定。

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母方の親戚から、ゆっくり遊びにおいでと言われる。
でも、今はまだゆっくりあの海へ行けないと思う。
姉妹を亡くした叔母たちが電話の向こうで泣く度に、そう思う。
まだ僕は、母の生や死を誰かと話す事に抵抗が有るのだ。
親戚の家に泊まり、母の姉妹たちとゆっくり話す事が出来ないと思う。

今年もまた、日帰りで行く事にしよう。
8月13日盆の入り。 海で迎え火を焚いたら帰ってこよう。
母もきっと喜ぶだろう。


お帰りなさい2014年08月13日

帰省ラッシュの道を往復8時間走って、あの海へ。
焼き米散らして水撒いて、韻を踏んだお迎えの歌。 海で焚く迎え火。
竹で作った門に鬼灯飾り、 提灯ともしてみんなで行列。 
子供のころと何も変わらない田舎の盆の入り。
あの頃は、夏休みの一つの行事でしかなかった。

2014年夏、母の新盆。









終戦記念日2014年08月15日

母の長兄は、小さな頃から機械が好きだったと聞いた。
農業用発動機や井戸のポンプなどの修理が得意で、いつも機械弄りをしていたという。
やがて飛行機に興味を持ち、どこかの学校で工業を学んだらしい。
時代は太平洋戦争の最中。
整備兵として飛行機整備をしながら転戦した叔父は終戦を数ヵ月後に控えた冬、あの硫黄島に送られた。
そこにはすでにまともな飛行機は少なく、機械整備ならなんでもしていたようだ。
数年前、慰霊で硫黄島に渡った叔母は、地熱と硫黄の地獄のような島だったと言った。
そこで叔父は何を考えていたんだろう。
好きだった機械弄りも、その状況では少しも楽しくなかったろうに。
21歳の叔父に、死の覚悟はあったのだろうか。

3月26日玉砕。
戦死の報に泣き崩れる家族を、まだ小さかった母は隣の部屋から見ていたという。
叔父の墓に遺骨は無く、ただ島の石が入っている。

先日母の実家に行った時、その話を久しぶりに聞いた。
壊れた草刈機のエンジンを分解していた僕を見て、90歳の叔母が話してくれたのだ。
その戦死した叔父は、僕に良く似ているという。
改めて仏間の鴨居を見れば、そこに飾ってある叔父の遺影は僕に似ている。
そっくりと言っても良いくらいだ。
僕の機械好きは叔父に似たのだろうか。
このお盆に、叔父は帰ってきているだろうか。

終戦記念日とお盆が重なったのは偶然なのか。
生き物が最も輝く8月は死者の季節でもある。
裏と表のように、いつもそれはついて回る。




2014年08月18日

東京の日の出は約4ヶ月ぶりに5時台となった。
薄曇りの夜明けの中を犬と30分歩いて一日が始まる。
そんな時間、明らかな秋の気配を感じる。
もう盆も過ぎたのか。

母が逝って、もうすぐ3ヶ月。
気持ちも時間も5月で止まったままなのに、季節は加速し移ろってゆく。
どう気持ちの収拾をつければ良いのか。
ただ時間が経つのを待つしかないのか。

遺品の整理も出来ぬうち、母の家は兄一家が使い始めている。
その家からゴミの日に出される大きな袋を見るたび、自分でも良く判らない感情が湧いてくる。
母の本や服を捨てているのだ。
でも、たった3ヶ月前まで介護で通ったあの家に、僕はもう入る事が出来ない。
なぜか気持ちが萎えてしまい、今ではあの家を見る事もしたくない。
せめてアルバムだけでも取りに行きたいと思ってはいるのだけれど。

2週間ほど休んだ税理士通いを、明日からまた再開する。
この相続作業だけは、母のためにも綺麗に収めなければならない。
そしてそれが終わったとき、もう父も母も居なくなってしまった事を実感するんだろう。

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夜、好物の鮎。
アタマからバリバリ食べてしまう。
酒は広島の美和桜・純米吟醸雄町生原酒。


スズメバチ駆除2014年08月22日

長く嫌な夢の果てに目が覚めたのが4時20分。
エアコン点けっぱなしの寝室から廊下に出ると、温度より湿度の不快感を感じる。
いくらなんでもムシムシしすぎだ。
日の出までの30分を犬と歩き、汗だくになって帰宅。
掃き掃除、水撒き、ゴミ出し、洗濯。
シャワーを浴びてから出勤までの短い時間をまたエアコンの下で過ごし車で出勤。
明日は暑さが終わるという「処暑」だけれど、この酷暑にもいい加減疲れてきた。
もう夏が好きなどとは言っていられない。
こんな不快な夏、ちっとも好きじゃない。

仕事は特記事項なし。
昼食は一個78円のカップ麺。
最低限の作業だけしてさっさと帰宅。


仕事はあまり熱心ではないけれど、忙しく生活はしている。
Mと人間ドックにも行ったし、新しい芝刈り機も買った。
この一週間で税理士に二回、市役所に二回行ったし、母の準確定申告も済ませた。
銀行にも連絡をしたし、兄と話しもしたし、自宅の木の剪定した。
挙句、軒下にスズメバチの巣を見つけ、防護服に身を包んで駆除までしたし。
来週には二日間の夏休みを取る。
母の世話をしてくれたMへの恩返しに、白骨温泉に良い部屋を確保してあるんだ。




曇り時々雨2014年08月25日

5時に起きた時の気温は25度。
昨夜は不調で早寝したのだけれど、眠れたような眠れなかったようなボンヤリの朝。
犬と一緒に、いつものルートをゆっくり歩く。
頭を垂れたヒマワリ、舗装を染める百日紅の落花、夏野菜の収穫が終わった畑。
夏が衰えてゆく。

温めた牛乳をすすりながら、かつての母の庭を見る。
隣になど住んでいるから、見たくも無いモノが目に入るのだ。
門への通路にはいつまでも処理せぬままの粗大ゴミが積んである。
綺麗に刈り込んであった芝生には、下劣な改造バイクが置いてある。
丹精した花壇は今、地面が見えないほどの雑草に覆われている。
先日買った草刈り機を使えば、あの程度の雑草ならあっという間に綺麗になる。
でもそれが出来ない。
あの家に入れない。

昨日、所用で行った靖国神社の近くに、以前僕が入院していた病院がある。
あの九段の坂を下って、久しぶりにその病院を見に行ったんだ。
19の頃の僕が入院していた半年以上の長い期間、母は電車を乗り継いで通ってくれた。
ベッド上で身動き出来なかった僕は我侭放題で、母には迷惑を掛けたものだ。
それだけじゃない。
子供の頃の僕は病弱で、何度入院したか解らない。
その度に母がしてくれた世話を思い出す。
僕が母にした1年少しの介護など、あれに比べれば何て事は無い。
そして荒れた庭を見ると、その母が居なくなってしまった事を実感するんだ。

仕事は特記事項なし。
昼休み、母関係の書類を大量に作り各所に発送する。
相続作業は終盤。
でもまだ出口も灯りも全く見えない。






一泊二日2014年08月29日

僕らは時間を合わせることが難しく、特に泊りがけでの旅行はそれまで経験がなかった。
でも父が亡くなった後のゴタゴタですっかり疲れてしまった僕は、強引にMとの勤務予定をすり合わせ、温泉旅行に出た。
20年も一緒に居て、初めての旅行が親を亡くした後の憂さ晴らしだったんだ。
でも、その時の渋温泉は素晴らしく、文字通り生き返って帰ってきたことを覚えている。

あれから数年、今度は母が逝ってしまった。
今回もそんな息抜きと母のことで世話になったMへの礼を兼ね、また温泉へ行くのだ。
作れた時間はたった一泊。 しかも予報は雨。
それでも、いつもの場所から逃げ出すことはやっぱり楽しい。


中央自動車道が好きだ。
特に甲府を過ぎたあたりから山を望む景色が素晴らしい。
降っていた雨も止んだ。
ただ、低い雲が邪魔をしてアルプスも八ヶ岳も殆ど見えず。
それでも高速を走って出掛けるだけでわくわくしてくる。
どこまででも走っていける気がする。


国宝の松本城。
ここまで来ると遠くへ来た感がある。
これを見て思い出したのだけれど、両親の新婚旅行が松本だったらしい。
熱海だって箱根だってあるのに、なぜ地味とも思える松本を選んだのか。
二人とも居なくなってしまった今では永遠に解らない。
でも、50数年前のここに両親が居たと思うと嬉しくなってくる。
街を散歩し、蕎麦で昼食。


松本から上高地方面へ向かう。
途中、地酒屋さんで長野の酒を入手することも忘れない。
今夜、部屋でゆっくり飲むためだ。


温泉好きの間で人気の白骨温泉。
ここは夜に散歩するような温泉街が無く、ずっと宿で過ごすことになる。
でも、湯はさすがに素晴らしく、それを堪能するだけで十分だ。



夕飯の献立。
品数が多いだけで嬉しくなる。
もちろん、味もとっても良かった。


こんな家族風呂も予約したのだけれど、すぐに飽きてしまう。
せっかくの温泉だもの。 やっぱり大きな露天風呂が良い。
久しぶりに入る硫黄臭い白い湯。
夜はずっと湯遊びで過ごした。
温泉好きなMもここの湯が気に入ったようだ。


翌日、霧雨の上高地。
上高地は一般車進入禁止だから、タクシーかバスで入る。
そんな乗り物が苦手な僕は危惧したけれど、なんの事無く大正池着。
あれ、タクシーや空いたバスなら乗れるようになったんだろうか。
相変わらず混んだ電車は乗れる気がしないけれど。

赤い屋根のこれは上高地帝国ホテル。 
散策の途中でお茶をするのも良い。
いつかこんな所に泊まって見たい。 
東京までハイヤーで迎えに来てくれるプランは25万円だって。


有名な河童橋から。
ああ、雲が無ければ穂高が綺麗に見えるのに。
でも、こんな天気でもこの場所の清浄さは素晴らしい。
空気が美味しいなんて普段意識しないけれど、ここの空気は確かに美味しい。

2時間ほど川で遊んだ。
いくら遊んでも足りないほどだ。


嗚呼、帰りたくない。
けれど、中央道をしばらく走って富士が見えるとほっとする。
自分の居場所がだんだんと近づいてくるのだ。
一泊二日なんて本当にあっと言う間だ。
明日の僕は午前が仕事、午後は銀行と税理士巡り。
Mはまた夜勤入りだ。
非日常からそんな日常へ、高速を飛ばして帰る。
帰りの車の中ではMがずっと歌を歌っていた。