迎え火を焚きに2019年08月13日

今年もまた、盆の入りに母の実家へ行く。
海辺で迎え火を焚き、墓参をするその数時間の為に、
渋滞の高速道路を走った。


高井戸から首都高新宿線に乗ってすぐ。
この尖塔のようなドコモタワーが好きだ。
ビルの機能は下半分で、上部はアンテナになっているらしい。
一般公開はしていないのだろうな。
都内有数の高さを誇るビル。 登ってみたいな。


この時期このルートでは渋滞は必至。
だからレヴォーグで行った。
自動運転と言うにはまだ遠いけれど、運転支援は進歩している。
設定した車間を保って前車について行ってくれるし、
条件さえ整えば白線を認識し車線の中央を維持して走るようになっている。
流れる高速は勿論、渋滞時の疲労軽減にはとても役に立つ。
ハンドルに軽く手を添え、前を見ているだけでいい。

ただそれが運転の楽しさとは別次元なのは当然だ。
渋滞が無いのなら、ロードスターの方が良いに決まってる。


巨大な台風10号の影響で、晴れ時々豪雨。
この橋から見る海にも白波が立っている。

渋滞を抜け、周囲の車もみなアクセルを踏む。
そして右車線を飛ばしていった車の後を地味なセダンが続く。
それはもちろん覆面パトで、赤色灯が灯って御用となった。
このルートは覆面が多い。
要注意だ。


雲が綺麗。
ラジオはもう入らず、USBに落としてきた朗読を流す。
NHKの「ラジオ文芸館」
重松清の「みぞれ」を聴いた。


ヤシの木の並木。
ここまで来たら、もう着いたも同然。


稲が少し色付いてきている。
もう耕作する人も無く、人に貸している田。
エアコンの効いた車内から出ると、メガネが曇った。
圧倒的な温度と湿度。
そして堆肥やら潮やらいろいろなものの匂いが混ざって、ああ帰って来たなと思わせる。


僕はここで、子供時代の夏を過ごした。
小児喘息に海風が良いと信じた両親の方針で、
夏休みの殆どをこの地で暮らしたから。

海での遊び方も、畑での野菜作りもここで教わった。
釣りをし、ディンギーに乗り、岩場で潜り、畑でスイカを食らい、星を見た。
大家族で、周囲にも同じ年頃の従兄弟が何人もいた。
毎日が楽しくて、東京に帰る日は泣いたっけ。


92歳の伯母がちらし寿司を作って待っていてくれた。
あの大家族だった家には、この伯母と数匹の猫が居るだけだ。
話すのは昔の事ばかり。
でも、両親共に居なくなった今、僕の子供時代を知る数少ない人たち。

89歳の伯母と87歳の伯父を訪ねる。
皆、驚くほどに歳をとった。
当たり前だ。
僕がここで夏を過ごしていた頃からもう40年以上も経つんだから。

土地は有るのだから、家を建てて住めばいいと言われる。
畑が好きなら、耕す場所はいくらでも有ると言われる。
それも良いな、など言ってみる。
もちろんそんな事が出来るなんて僕も、向こうだって思ってやしない。
でもいつか。
仕事を止めて隠居したら、ここに暮らしてみたい。
その頃は、僕を知る人はもう誰も居ないだろう。
でもここは、僕にとって今はもう失くしてしまった実家のようなものなんだ。