取り戻しようもないこと2018年09月18日

そこここで、彼岸花が咲いている。
菊の節句も敬老の日も過ぎ、秋分の日ももうすぐ。
秋分の日の前後三日間が秋彼岸で、彼岸が明けたら中秋の名月。
陽の力が衰えやがて夜が優勢になり、そして秋が深まってゆく。
いつもは苦手な秋への移ろいも、今年はそれを待ち望んでいた。
夏があまりに厳しかったから。
今年の夏はそれを楽しむ余裕などなく、ただ過ぎるのを待つのみだったんだ。

そして父の命日も過ぎた。
どうも親の命日前後は不穏になる。
5月の母と、9月の父と。
母の介護に後悔が無いはずはない。
あれもこれもと悔いが残り、口惜しく無念で自責の念に駆られることも多い。
でも、あの時の僕は僕なりに一生懸命だった。
必要と思う事はすべてやった、
そして母の望み通り、自宅で看取った。

でも父の時はどうだったか。
病室で最後が近づいた時、父は目を開けていた。
そして僕のことを見ていたんだ。
それなのに僕は、主治医と治療内容を相談するのに精いっぱいで、
父に声を掛ける事をしなかった。
なぜあの時、手を握って話しかけなかったのか。
心配するなと、あとは任せろと、ずっと近くに居るからと声を掛けなかったのか。
それが父と話す最後の機会だったのに。

伝えたい事も言わず、ありがとうも言えないままに逝ってしまった。
もう10年経つのに、あの時自分がしなかったことを今でも恥じている。
やってしまった過ちはやがて笑い話になることも有る。
でも、しなかった事への後悔は、もう取り戻しようもない。

昨日、花も持たず墓参に行った。
名残りのセミと秋の虫が競って鳴いている。
休日の都立霊園は長閑だ。