今朝の畑 ― 2018年07月03日
雨にも負け風にも負け、夏の暑さにも負ける不健康な精神を持ち
欲ばかりでいつも怒っている。
雨続きなら空を呪い、風が吹けば文句を言い、酷暑になれば太陽を恨む。
そんなヒ弱なくせに、趣味が野菜つくり。
蚊を叩き潰し、アリンコを踏みつぶし、芋虫を投げ捨て、
決して文句を言わず静かに成長を続ける野菜から何も学ばず、
今朝も出勤前に大汗かきながら庭で草むしり。
キュウリ4本とニガウリ2本、モロッコ一握りとピーマン数個を取って朝の作業はおしまい。
キュウリに少し病気の兆候があるな。
奴らはすぐに調子を崩すから気をつけてやらないと。
大玉のトマトはだいぶ色付いてきた。
下の写真は同じトマトの6月9日の様子。
ずいぶんゆっくりと時間をかけて熟してゆくんだな。
これを冷やしもせず、畑仕事の合間にもぎ取って頬張るのが美味いんだ。
真夏の陽に照らされ温かくなったトマトの美味さよ。
甘みと酸味。 そして何より香りが素晴らしい取り立てのトマト。
トマトが食べたくて畑をはじめたようなものだ。
だから、コイツに対する思い入れは特別に強いんだ。
西は大雨 ― 2018年07月07日
西日本は大雨。
それも常軌を逸した大雨。
被害は拡大し、3.11大津波の経験から作られた「特別警報」も発令された。
氾濫した河、流される家、土砂崩れ。
そんなニュース映像を、目を丸くして見た。
東京は、今のところ平和だ。
水瓶に植えたスイレンが芳香を漂わせながら咲きはじめた。
犬は昏々と眠っている。
Mは夜に食べるのだと言って、ナスを揚げて汁に浸し冷している。
僕は少し遅めの出勤前に、コーヒーミルの掃除する。
でもそんな平和、一瞬で崩れてしまう事も知っている。
災害や事故にいつ襲われるかなんて誰にも分らない。
何かの加減なのか、悪魔の意思なのか。
もう子供の頃のように、今の平穏がずっと続くなんて思えなくなってしまった。
だから、テレビや新聞で見聞きするそんなニュースを、他人事だとは思えない。
台風8号は気象庁の階級分けで「猛烈」となった。
予報では数日後に中心気圧905hPa、最大瞬間風速は85m/sになるという。
そのバケモノはマリアナから西進し大陸へ向かう。
そして進路で大変な被害を出すだろう。
そんな台風が真っすぐ僕の住む街へ流れてくるのは、来週かもしれない。
地面の下で誰も知らない断層が滑るのは明日かもしれない。
今日、何が起こるかなんて誰にも分らない。
学生時代に「行雲流水」という言葉を習ったけれど、
そんな気持ちで生活することは難しい。
心配事が多すぎるのだ。
Mの娘のこと ― 2018年07月10日
Mの娘から連絡が来た。
来週あたり僕の家に行きたいが予定はどうか、と言うのだ。
いつも連絡も無くふらりと遊びに来るのに、今回はどうした事かと問うてみた。
すると、彼を紹介したい、と言うじゃないか。
2-3歳の頃から知っている子だ。
ずいぶんと色々な所へ遊びに行った。
塾の面談にも行ったし、進路の相談にも乗った。
中学、高校の難しい時期も、なぜか僕にとても懐いてくれた。
母親に言えないようなことも、僕には話してくれた。
僕はこの子を、自分の子のように思っているんだ。
その子に恋人が居るのは知っている。
その彼を僕に紹介するというのか。
それは、結婚を意識しているという事なんじゃないのか。
いや、結婚を決めた報告なのかもしれない。
嗚呼、何てことだ。
ついにその時が来るのか。
嬉しさなんて全くない。
そんな男に会いたくないのが本音だ。
あの子がどこか遠くへ行ってしまいそうで、それが寂しくて。
そういえば、彼の実家は熊本だと言っていたっけ。
いつかそんな遠くへ行ってしまうんだろうか。
Mは何だか嬉しそうにしている。
なんでこの人はいつもそんなに余裕の表情を見せるのだろう。
僕がこんなに狼狽えているというのに。
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庭の畑から、トウモロコシが取れ始めた。
今夜はこれでビールだ。
スイカも間もなく収穫できるだろう。
それは娘の好物だから持たせてやろう。
その彼と、二人で食べるだろうか。
あげたくなくなって来たな・・
犬が喜ぶ ― 2018年07月14日
涼しいうちに、と言うのが子供の頃の夏によく言われた言葉だ。
涼しいうちに勉強しちゃいなさい。
涼しいうちに犬の散歩に行きなさい。
でも涼しい時間の無い昨今の暑さを、どう過ごせばいいだろう。
今年は特に暑さが厳しく感じる。
ちょっとバテ気味なのだ。
涼しいうちにと朝5時半から庭の畑。
でも涼しくなんてなかった。
庭の木陰に吊るしてある温度計は28度。
それは7時過ぎにはもう30度を超えた。
トマトの脇芽かきやらナスの整枝やら草むしりやら。
汗かいたついでにブドウとモッコウバラの剪定も。
僕が庭仕事をしているのを、犬が嬉しそうに見る。
前の犬も、その前の犬も、家人が庭で何かをやっていると嬉しそうにしていたっけ。
犬が嬉しそうにしているのを見ると、とても幸せな気持ちになる。
もっと喜ばせてやろうと水遊びをしてやったりもする。
コチョコチョくすぐってやったり、ブラシを掛けたり。
そして気付けば出勤時間。
もっと遊んでやりたいけれど、シャワーをさっと浴びて今日の労働へ出掛けるのだ。
この頃のこと ― 2018年07月17日
暑い暑いと文句を言っても仕方がないけれど、
この頃のこの暑さは次元が違う。
大卒後に海外留学し現地で就職した友人が帰って来たけれど、
日本の夏とはこれほど厳しいものだったかと嘆いている。
彼の帰国はいつも正月で、夏に帰ったのは30年ぶりなのだ。
昼過ぎ、職場中庭の百葉箱にある温度計は36度。
36度って、ちょっと冗談みたいな気温だな。
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昨日、Mの娘が彼氏を伴いやって来た。
春から同棲をはじめたその人を、僕に紹介するために来てくれたのだ。
長身で爽やかで物静かな26歳。
どんなオトコを連れてくるかと心配し、オロオロしていたんだ。
その彼を一目見ただけで安心し、これからの二人の幸せを願った。
また二人でゆっくりと遊びに来てほしい。
釣りや稲作をしながら過ごしたという九州での子供時代を聞かせてほしい。
キャンプや山など趣味も合いそうだ。
残念ながら酒はあまり飲まないとの事だけれど。
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身近に、母と同じ大病を患っている人が居る。
二年前、僕よりずっと年上のその人が病名を打ち明けてくれた時、僕は泣いた。
同情したんじゃない。
母を介護した時の記憶が、一気に蘇ったからだ。
それ以来、その人の話を週に何度も聞いている。
その人はきっと、僕に話すことで自分の考えを整理したいのだと思う。
受診や検査結果のこと。 治療や副作用のこと。
僕だって母と一緒に通って来た道だ。
だから病気のことも、そして患者や家族の気持ちも理解しているつもりだ。
でも最近、その人と話すことを負担に感じる。
長く戦って来たけれど、母と同じ経緯を取りつつあるからだ。
その人の質問は、僕の最も忘れたい記憶をえぐりだす。
思い出すだけで胃が痛く、口にするだけで吐き気のするようなあの記憶だ。
その会話をその人が望むなら逃げるわけにはゆかない。
でもその会話は、その人に希望を与えない。
それでもその人がその話をしたいなら。
この頃いつも、そんな事を考える。
母だったら、僕にどうしろと言うだろう。
暑い・・ ― 2018年07月21日
これがあの夏?
ずっと待ち続けた、一番好きな、命溢れるあの季節?
ためらわずに冷房を使えとか、命を守る行動をとか、不要の外出を控えろとか。
バタバタと人が倒れ、夏野菜が陽射しで枯れ、恒例行事が中止になる。
そんなの、僕の知っている夏じゃない。
もう僕の夏は記憶の中にしかないのか。
アサガオ、連日の満開。
しかし、僕は暑すぎて何もする気が起きない。
畑作業は滞っている。
キュウリは大きくなりすぎ、トマトは熟して落ち、ナスは手入れ不足で石ナスになる。
畑どころか、仕事にだって影響が大きい。
職場で体調を崩す人が出始め、僕自身ちょっとバテてきた。
エアコン無しでは過ごせぬし、水分もガブガブと摂取する。
その結果、常に腹の調子は悪いし関節は痛いし、頭痛だってひどいものだ。
こんな夏なら早く去ってしまえ。
草むしりも、自転車通勤も、大好きな屋外のビヤホールすら諦めた。
今はただ、この災厄が過ぎるのをじっと待つだけ。
それほど、今年の暑さがキツク感じる。
東京で40度超え ― 2018年07月23日
庭の野菜も夏バテ気味。
勢いが衰えて、毎日の収穫はこのくらい。
早朝、畑を見回りながらもぎ取ったトマトを食らう。
生温かいトマトが最高に美味い。
朝メシは味噌を付けたキュウリ。
発汗分の塩分を補うために、遠慮なく味噌を付ける。
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大暑。
二十四節季は日本の実際の季節に少し先行するものだけれど、
今年はまさに暑さの山場を迎えている。
朝7時に職場入りした時の気温はすでに31度。
9時のそれは35度。
昼には38度、13時には青梅で都内初の40度超えを記録した。
もうこれ以上の暑さは到底許容できないところまできた。
もう無理だ。
屋外に居る事がすでに危険な温度だなんて信じがたい。
先が見えない暑さだけれど、天上の世界では季節が動き始めた。
最も昼が長かった頃に比べ、日の出時刻は17分遅くなり、日没は8分早くなっている。
太陽高度も数度低くなり影が長くなってきている。
二十四節季では大暑の次はもう立秋。
もう少しの辛抱だと信じて、この酷暑を乗り切りたい。
昨夜も飲みに行ったけど ― 2018年07月25日
海外に住む古い友人が、2週間ほど帰国中だ。
今時、海外だろうが殆どリアルタイムで交流できる。
電話だって文字のやり取りだって、躊躇なく連絡しあっていた。
だから遠くに住んでいるという実感は希薄だったかもしれない。
でも、やっぱり違うのだ。
幼馴染の奴が、歩いて行ける距離に居る嬉しさは他に替え難い。
昼、僕の畑に入って勝手にトマトを食ってゆく。
夜、サンダルつっかけてやって来る。 そしてビールでも飲みに行こうぜ、と言う。
小学校の頃と変わらない顔で、あの頃と変わらない歩き方で。
特別何をする訳でなくても、幼馴染との時間は心地いい。
互いに子供の頃とは生き方も考え方も変わった筈なのに、
なぜこれほど違和感がないのか。
奴は米国の大学に雇われていて、僕には理解できないほどの苦労もしているようだ。
でもそんな事を愚痴る訳でもなく僕の犬をからかい、車を愛で、畑で遊ぶ。
そしてそんな奴を見ると、僕だってもう少しだけ何とかしようかと思えてくる。
ここ数年、意欲とか希望とか向上心とかを忘れてしまった気がする。
そんな大仰なものでなくても、もう少し前を向こうかという気になって来る。
たとえその時だけの感情だとしても。
僕にもまだそんな気持ちの残渣が残っているのだと気づかされるんだ。
雑草のこと ― 2018年07月30日
奇妙な軌跡を曳いた台風12号が大雨をもたらした。
それは畑にとって恵みの雨であると同時に、雑草にとっても慈雨となる。
昨日、畑を見回りに行きそれを実感した。
雨降りを待っていた雑草の種たちが、たった一日で一斉に発芽をはじめていたのだ。
その生命力に感嘆し、しばらく見入ってしまった。
結局はむしってしまう草だけれど、子孫を残そうという執念には感動を与えられる。
野菜作りを趣味とすると雑草をまるで敵や仇のように感じる事が有る。
でも雑草の力って、本当に凄いものだ。
その畑の隅に植えたヒマワリ。
黄色のヒマワリと白い入道雲の組み合わせは完璧だ。
うるさいほどのセミ、麦わら帽子、蚊取り線香の匂い。
でももうすぐに立秋が来てお盆。
8月も下旬となればイワシ雲、そして赤とんぼ。
そんな短い夏を想えば、今の暑さも愛おしい。
仕事はずっと低調。
やる気が湧いてくるのを待っているけれど、そんなモノはもう霧散してしまったか。
あと何年、今の仕事を続けるのかなと思うことが有る。
嫌いな仕事じゃないけれど、なんだかすっかり疲れてしまった。