明けましておめでとうございます ― 2018年01月04日
Mの娘のこと ― 2018年01月06日
二十四節季の小寒と大寒の期間を寒中と言い、もっとも寒さの厳しい時期とされる。
その寒中に有って、自宅二階の出窓でハイビスカスが咲いている。
これは家を建てたとき、20センチほどの小株を買ったものだ。
以来、毎年の切り戻しと植え替えを経て健康に育っている。
この木が開花を休むのは、僅かに2-4月の間だけ。
それ以外の期間、この派手な赤を見せつけ、部屋の中を明るくしてくれる。
植物って、愛情を掛けると応えてくれるから好きだ。
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Mの娘にはじめて会った時、あの子は2歳だった。
それがいつの間に28歳。
どれだけ長い時間が流れたんだろう。
そのあいだ、僕がどれほどあの子を大切にしてきたかをここには書かない。
書ききれないし、上手く書けないもの。
でもあの子はそれに応えてくれ、僕によく懐いてくれた。
母親と同じ看護師になり、遠くに住んでいるけれど、
たまに電車を乗り継ぎ顔を見せにやって来る。
そして食事をし、いつの間に覚えた酒を飲み、また自分の部屋へと帰ってゆく。
年末、その子に言われた。
付き合っている人がいる。 一緒に住みたいと思っている。 と。
それを待ち望んでもいたし、恐れてもいた。
嗚呼、ついにその瞬間が来たのだ。
歳を想えば当然の事だ。
でもまだ気持ちの整理がつかない。
あの子が遠くに行ってしまった気がして、寂しくて。
Mは喜んで笑っていたけれど。
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東京の日の出は6時51分。
それは月末には10分ほど早くなる。
明けない夜はない。
もうきっと春も近い。
6時51分 ― 2018年01月09日
東京の日の出は6時51分。
この6時51分は、東京において最も遅い日の出時刻だ。
それはこの週末には6時50分になり、月末には6時42分となる。
季節が動く。
地上でどんな騒ぎがあろと、地球は地軸を23度強傾けたまま公転を続ける。
それは日々春へと向かい、夏を迎え、そしてまた秋が来る事を意味する。
その繰り返しだ。
師走、クリスマス、正月。
そんな騒動が収まって、ようやく職場もいつもの空気を取り戻した。
日々の予定は埋まり、ルーチンワークをこなし、会議と研究会と精度管理と。
測定機器を並べた職場の部屋に居ると、なんだかホッとする。
なんだかんだ言っても、この仕事は嫌いじゃないんだろう。
仕事は特記事項なし。
昼食は自宅から持ってきた刻みキャベツとゆで卵。
少し体重を落とそうと、食事制限をしているからだ。
と書ければ良かったが、某君の誘いを断れず外食。
しかもタルタルソースのかかったチキンカツ定食豚汁付きという暴挙に出た。
午後は撃沈。
昼食を刻みキャベツで済ませるようにしてから無かった食後の眠気。
それが重篤に出てしまい、自分が使い物にならず。
結局、定時に逃げ帰る。
夕飯は湯豆腐。
何だか久しぶりに独りの静かな夜。
仕事の都合でMが数日間居ないからだ。
嗚呼、一人は良いなあ、など言ってみる。
どうせ何日かすれば人恋しくなるだろうに。
明日は早出。
夢のこと ― 2018年01月11日
久しぶりに、両親の夢を見た。
場所は子供の頃に住んでいた実家で、両親はまだ中年といった歳の頃。
でも夢の中の僕は今の歳で、だから両親と僕とが同じ位の歳格好なのだ。
僕は腰を痛めていて、何か重い物が持てずに苦労していた。
それを両親が背負ってくれ、離れの僕の部屋まで運んでくれる。
あの頃の実家に有った水の漏る池とか、ヤツデの木とか、苔むした外の洗い場。
夢に見るまで忘れていた丸いガラス製の外灯とか。
そんなものが見えたと思う。
安堵なのか懐かしさなのか、何とも言えない暖かさを感じながら目が覚めた。
東京の午前5時は気温1度。
まだ暗い道を犬と散歩しながら、もっと夢の詳細を思い出したかったのに解らない。
長い夢だった気がするのに。
目が覚めた時にはもっと覚えていたはずなのに。
忘れてしまったんだ。
でも忘れたって良い。
今はもう居ない両親と夢で何を話したかなんて、思い出さなくても良い。
それより、また夢に出てきてくれたら、と思う。
いつも出てくれば良いのに。
僕はほとんど両親の夢を見ることが無い。
自分の見たい夢に出会うにはどうすればいいのか。
方法があるなら是非知りたいと思う。
仕事は特記事項なし。
職場でインフルエンザが流行りだした。
その関係もあって、少し忙しくなるかもしれない。
新しい畑のこと ― 2018年01月15日
10年間耕した埼玉の畑。
その契約が終わり、12月から畑難民となった。
自分の畑を持たぬとは、ツマラナイものだ。
ジャガイモも人参も、カブもゴボウも、植え付けが迫っているのに。
ただ指をくわえて見るしかないのか。
自宅の庭にも小さな畑はある。
でもそれは、夏野菜を作るための慎ましいもの。
朝な夕なに手入れと収穫の必要なトマトやキュウリ専用の場所なんだ。
耕運機で耕したり、腐葉土を作ったり、深い穴を掘って種芋を貯蔵したり。
そんな事は自宅では難しい。
どうしたって、ホンモノの畑が必要だ。
でももう、アテが無かった。
地元の市民農園は考慮に値しないほど狭く、そして2年しか使えない。
土地持ちの知り合いも、今は貸せる場所はないという。
素人が趣味で土遊びする畑なんて、どこにもないんじゃないのか。
もう畑趣味もこれで終わりか、と悲観した。
そしてトボトボと、もと借りていた畑へ行った。
最後に写真でも撮ろうかと思ったからだ。
すると、顔見知りの畑仲間が居るじゃないか。
ガスコンロと大鍋を持ち寄り、豚汁なんか作って遊んでいる。
そこに入れてもらい、新しい畑の目処がつかない事を愚痴った。
するとその中の一人が、地主を紹介してくれるという。
空いている場所を借りられる筈だと言うじゃないか。
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で、これ。
あー、やっぱり畑は良いなと思う。
日当たりも土質も、最高だ。
特に期限は設けず、使いたいだけ使えばいいとの事。
地元の市民農園に始まって20年以上、契約が切れては他を探した。
ようやく、あの落ち着かなさから解放されたのだ。
自宅の畑と合わせ、僕には十分な面積を確保した。
あとはただ耕すだけだ。
帰宅後、耕運機のオイル交換をした。
気付けばその日は僕の誕生日。
僕にとって、とても良い誕生日プレゼントだ。
これでまた休日の埼玉通いがはじまる。
今期は農具も新調しよう。
インフルエンザに囲まれる ― 2018年01月17日
東京の日の出は6時49分。
これは最も遅かった年始の頃より2分早い。
日没は16時53分。
12月上旬のそれは16時28分だったから、こちらは25分も遅くなったのだ。
昼時間は伸び、太陽高度が上がる。
毎年のことだけれど、凄いなと思う。
週末には大雪。
それが過ぎれば立春も見えてくる。
早く暖かになれ。
仕事はじめから以降、丸一日休むことが殆ど出来ていない。
日曜休日も呼び出されることが多く、少し疲れてきた。
それもこれもインフルのせい。
あんな病気、早く特効薬でも出来て消滅すればいいのに。
仕事では、インフルエンザの人ばかりと会い、
Mのインフルエンザは二日目で、まだ好転しない。
ゴホゴホと咳をする人に囲まれた日々。
そんな中、自分の健康を守るにも限度があり、もういつ熱発してもおかしくはない。
もういっそ、Mと共に寝込んでしまおうか。
昨今の情勢から非常食は蓄えてあるし、医薬品の備蓄もある。
仕事なんて放棄して二人で寝込んだって、困らないんじゃないのか。
あ、でも犬の散歩は誰が行く。
僕もMも寝込んだら、一番困るのは老犬だと気づいた。
それじゃあ仕方がない。
もう少し頑張ろう。
でもちょっと喉が痛いな。
夕飯は、Mは粥と梅昆布、茶わん蒸し。
僕は鶏と豆腐でひとり鍋。
明日も早出。
床上げ ― 2018年01月20日
大寒。
それは二十四節季の二十四番目。
次はもう立春で、つまり一年で最も寒い季節は春との境でもある。
ああ、もういい加減に気温も湿度も上がってくれ。
今年はインフルエンザの当たり年で、そんな意味からも春が待ち遠しい。
M、インフルエンザ発症後5日目。
その間、熱を測ったり、体を拭いたり、薬を飲ませたり。
出勤するときには缶詰ミカンを添えたフルーチェを作り置き、
寝る前にはアイスノンを替え、粥を炊き、洗濯をし、夜中に何度か様子を見た。
嗚呼、介護ってこんなだったな、と4年前を思い出す。
でも、母の時と決定的に違うのは、それが快方に向かうための作業だと言うことだ。
それならば、少しぐらい大変でも頑張れる。
そして今日、ようやくの床上げ。
月曜日から出勤するらしい。
僕の仕事は今、小さなピークを迎えている。
それを越えた25日には、久しぶりに休みが取れそうだ。
それを目標に、もう少しだけ動き回ろう。
春の来ない冬はないのだ。
雪かき ― 2018年01月24日
東京の日の出は6時46分。
その時間、庭に吊るした温度計は-4度。
外の水道は凍結。 勝手口の扉も凍り付いて動かず。
22日から23日に掛けて降った雪は、都心で20センチを超える積雪となった。
そしてそれは4年ぶりだという。
4年前の2月に降ったあの雪をよく覚えている。
八王子で50センチ、秩父で1メートル。
僕の家の周辺でも30センチ以上も積もった記録的な豪雪だ。
あの頃、母の治療は岐路に立っていた。
治療の効果より副作用が大きく、もはや積極的な処置は望めなかった。
それでも毎日の散歩を欠かさなかった母のため、無我夢中で雪かきしたっけ。
実家の玄関から門、そして実家の前の道。
とても太刀打ちできないような大量の雪を除ける作業を、どれだけ続けただろう。
母の日課を続けさせてやりたい、という気持ちもあったろう。
でもきっと、いい歳して母に褒められたいという思いもあったはずだ。
小さな頃からずっと、母に褒められたくって色々な事をしてきた気がする。
母は褒め上手だった。
あの日、母は散歩をしただろうか。
忘れてしまった。
あれだけの豪雪だもの、きっと外になんか出られなかっただろう。
でもあの日の雪かきのことはよく覚えている。
今はもう、実家も無くなってしまった。
雪かきなんてしなくても良いんだ。
寒すぎる ― 2018年01月26日
今朝4時半。
マイナス6度の散歩道。
四つ足の犬すら転ぶツルツルの裏通りにて。
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強烈な寒波に襲われている関東。
さいたまでは観測史上最低温度を記録したと思えば、今朝あっさり更新。
職場近くでも記録に残る最低を下回る-8度だという。
先日の雪が残る道は凍り付き、もはや手作業での雪かきは不可能。
陽の射さない北側の道はスケートリンクのようになってしまった。
自宅ではこの家を建てて初めての経験をした。
湯が出ないのだ。
給湯器は正常に動き、夜間電力で沸かした数百リットルの湯を貯めこんでいる。
でもタンクからの配管のどこかが凍り、水しか出ない。
おかげで朝の髭剃りにヤカンで湯を沸かすという、懐かしい行為を行った。
畑にわずかに残っていた白菜も大根も凍りついている。
スナップエンドウの苗は氷の下。
里芋だってどうなっているやら。
樹脂製の散水機は凍結で壊れてしまった。
家の暖房は灯油の対流式ストーブが活躍している。
エアコンと床暖を併用して室温を十分に上げることはできる。
でも、やはり灯油の灯が見えると暖かさが違う。
あのオレンジ色を見るだけで、もう気持ちが穏やかになってゆくんだ。
まさに冬籠りのようにひっそりと、燗酒をやりながら春を待つ。
梅はまだ咲かぬか。
菜花は。
沈丁花は。
雪なんてもう見たくない。
東京の日の出は6時43分 ― 2018年01月29日
今日の東京は6日ぶりに10度近くにまで気温が上がった。
しかし今週は今日がいちばん暖かく、この先も寒い日が続くという。
これでは三寒四温ではなく六寒一温。
庭に置いた睡蓮鉢の氷はかつてないほど厚く張り、
じっと春を待っていた畑のスナップエンドウもブロッコリも、被害は大きい。
週の半ばにはまた雪の予報が出たようだ。
東京の日の出は6時43分。
昨日から泊まりに来ていたMを職場へ送る。
先日降った雪が硬く凍り、Mの車では危険だからだ。
彼女は自分の職場に入院している父親の様子を見て、それから勤務に就くだろう。
Mのお父様の具合はよくない。
この先の急変に備えて、今から今後の方針を話し合う必要がありそうだ。
選択肢はあまり多くはないけれど。
仕事は特記事項なし。
少し体調が悪く、早めに職場を出る。
いつものクリニックを受診し、スーパーで買い物をし、20時に疲れて帰宅。
胃痛がひどく食欲なし。
夕飯は湯豆腐のみ。
明日はまた早出。