菓子をもらった2017年02月02日

東京の日の出は6時40分。
でも薄明はその1時間前から始まるから、もう犬の散歩は朝の気配の中。
6時の気温は1度。

冷たい北風の一日。
昼になっても体感温度は0度前後。
でも、夜明け前の空に冬の星座はもう居ないし、明日は節分、明後日は立春だ。
母の植えた水仙が、今年もまた芳香と共に花を開いた。
そして空気中に杉花粉の気配すら漂い始めている。
もう春はそこ。

仕事は特記事項なし。
昼食はコンビ二のおにぎりとインスタント味噌汁。
海外に住む幼馴染から何通かのメールが届く。
健診の結果が良くなく、いくつかの再検が必要だとのこと。
もう半世紀生きたのだもの。
あちこちにガタが来るね。

夜、インターフォンが鳴り、モニタに若い男が数人写っていた。
こんな時間に複数の男が訪問してくる予定も心当たりも無い。
躊躇していると、また呼び出しが鳴る。
困惑しつつ応対すると、先日お世話になった者です、と彼らは言った。
あの日の夜、犬の散歩に出てみると家の駐車スペースに人間が倒れていたんだ。
それは酔い潰れた三人の学生で、もう全く前後不覚の状態だった。
仕方なく苦労して駅まで引っ張ってゆき、タクシーに乗せてやったのだ。

その彼らが、挨拶に来たんだ。
あんなに酔っていたのに、よくこの家が解ったものだと思う。
そして合宿で行った伊豆で買ったという菓子折りまで持ってきている。
そうなると印象も変るもので、なんと礼儀正しい連中だ、とMにまで電話をした。
あの日は家の前に嘔吐され、毒づきながら高圧洗浄機を掛けたというのに。

僕も学生の頃は随分と無茶な飲み方をしたものだ。
お金が無くなり中野から歩いて帰る途中で迷い、道端で寝込んだ事もあったっけ。
そんな事を懐かしく思い出す歳になった。




猫の目にそう映ってるかもしれないこと2017年02月03日


自宅には写真のように車を停めている。
赤いロドスタと青のレヴォーグ。

この左手前にはたいていMの車が停まる。
その三台のうち、ロードスターにだけいつも猫が乗るのだ。
この辺には地域猫が多いし、僕もそれを嫌だとは思わない。
でもなぜ他の車には乗らないのか。
ロードスターは通勤に使わないから、普段はエンジンの熱も無いだろうに。

屋根が幌だから気持ちいい?
一番車高が低くて乗りやすい?
一番奥に停めているから隠れやすい?
確か以前、犬猫は青や緑は認識するが赤色は解らないと読んだ事がある。
Mの車は緑だ。
猫たちの目には青や緑の車と違い、ロードスターが一番地味に見えるのか?
そうかもしれない。
そうだったら、何だか面白いな。







立春朝搾りが呑めなかったこと2017年02月04日

東京の日の出は6時39分。
日の入りが17時12分。
昼時間は10時間33分で、一ヵ月半前の冬至の頃より48分も長くなった。
そして今日は立春。
冬に向かい日々暗くなる空を見上げたあの頃とはもう違う。
今年もまた冬を越す事が出来そうだ。
懐かしい沈丁花の香りだって、間もなく漂うだろう。

立春といえば「立春朝搾り」
仕込んでまだ浅い日本酒を立春の朝に搾り、無加熱無加水で呑む酒。
若々しいその酒を、搾ったその日に呑めるのが嬉しかった。
これまでは長い付き合いの地酒屋さんが届けてくれていた。
でも去年末、100年続いたその店が廃業してしまったんだ。
立ち飲みもしていたその店は、ちょっとした地域の社交場だった。
あの店をなくした喪失を、立春のこの日にまた感じる。
ああ、今年からはもう届かないのか。

職場入りは7時。
仕事は特記事項なし。
全国的にはインフルエンザの流行期。
でもこの職場周辺では今期、その発生が殆ど無い。
それは有り難い事だけれど、大量に購入済みの診断用キットをさてどうするか。
このままでは殆どを期限切れで捨てる事になるだろう。
いや別に、インフルの発生を待っているわけでは無いけれど。

夜、夜勤明けでまだ眠っているMを起こさぬよう夕飯の準備。
高菜とタラコのパスタ、鶏胸肉のトマト煮、新玉葱スライス、昨夜仕込んだ煮卵。
酒は最近気に入りのチリワイン「ビーニャ ファレルニア カルメネール」
フルボディで濃厚な熟女のような赤ワイン。


牛久大仏2017年02月06日

美味い鰻が食べたいねえ、などMと話す。
仕事休みの月曜日。
風は強いけれど良い天気で、久しぶりにロドスタで走りたい。
霞ヶ浦の潮来あたりでいつか食べた鰻が美味かった。
あの辺は鰻の産地だからな。
だったらドライブを兼ねて行ってみよう。

大泉から外環に乗り三郷で常磐道に出て、筑波から中央連絡自動車道へ。
適当なところで高速を降り、霞ヶ浦沿いに走ってみよう。
でも、そんな僕らが見つけたのは大仏。
それも近づいても近づいても辿り着けない。
つまりそれほど巨大な立像だったんだ。


1992年完成。
青銅製で高さ120メートルは世界最大。
ここにこんな大仏があったなんて。
以前来たときは夜だったから気付かなかったのか。
下から見上げるそれは眩暈がするほどの大きさだった。
この青銅は時間の経過と共に変化してゆき、50年もすると緑色になるという。
凄いものを作ったな。

内部を拝観した。
地上85メートルの場所にある仏舎利、ずらりと並んだ写経席、3千体以上の胎内仏。
そこに有るのは人の祈り。
皆、何を祈るのかな。
逝った人の安らぎなのか、自分の幸せなのか。
僕だったら何を祈るだろう。
何だか圧倒されてしまって、でも気付けば2時間もそこに居た。

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結局、探し出した鰻屋はどこも午後の休憩時間。
仕方なくラーメンをすすってから、霞ヶ浦湖畔に行った。
抜けるような青空の、でも筑波から吹き降ろす風の冷たい午後。
何となく、老後の話などしながら歩く。
大仏や、そこに広がる墓苑を見たからだろうか。
Mの鳥取の実家のお墓のこと。
兄が継ぎ僕の両親の入ったお墓のこと。
僕らのこれからのこと。
鰻を食べに家を出たのに、いつの間にかそんな話しになっていた。



犬が起こす2017年02月09日

眠ったばかりの夜12時半。 
遊ぼうぜ、と犬に起こされた。
次は明け方4時。 
散歩に行くぜ、と起こされる。
ケージ前に仕掛けたネットワークカメラを見ると、昼間のほとんどを寝て過ごしている。
だから夜になると眠れないのか。
それとも歳のせいで昼夜や時間に無関心になったのか。
そんな訳で、寝不足な朝。

出勤は7時過ぎ。
朝からの氷雨は夕方まで続き、気温はまったく上がらなかった。
あまりの寒さに昼、車で大辛坦々麺を食べに行く。
そして午後は腹痛。
辛いものを食べると5割くらいの確立で腹痛を起こすのだ。

夜、疲れきった顔でMが来た。
昨夜は夜勤で徹夜。 帰宅後自分のマンションで2時間仮眠しただけだと言う。
ゆっくりできないのは、今彼女のご両親が大変な時期だからだ。
お母様は腰痛の手術で入院中。 
お父様は転倒骨折で自宅療養中。
だからほとんど寝ていない身で実家へ行き介護。
そして明日はまた九段の病院まで行かねばならない。

親の介護ができる事は少し羨ましいけれど、Mの体が心配だ。
介護は先が見えないのが辛い。
その辛さを知っているだけに、僕にも何か手伝えれば良いのだけれど。










冬野菜を食べる2017年02月12日

寒く、そして風の強い日々。
次の季節がそこまで来ているのは解っている。
でも、どうしてもそれを疑ってしまう。
春よ、本当に近づいているのか。
日は長くなり、風に沈丁花の匂いが混じる。
しかし地上はまだ冬が覆っている。

それでも春を迎える準備は怠らない。
この連休中は畑作業に没頭した。
枯れた作物を引き抜き、雑草を刈り、そこに堆肥を撒く。
耕運機の手入れもする。
エアクリーナを掃除し、オイルを替え、ガソリンを入れる。
久しぶりでも一発で始動するのはさすがホンダの4サイクルエンジンだ。

土を耕す行為は、とても気分が良い。
冬の間に硬く絞まったそれをフカフカのベッドに変える。
懐かしい堆肥の匂い。
懐かしい土の匂い。
やがてまたそこで野菜たちが育ち始める。
今年は何を作ろうか。

自宅の畑はこれで作付けまでやることは無い。
埼玉に借りている畑にはまだ大根や白菜が残っている。
それらを消費しなければ耕運機を入れる事が出来ないのだ。
だからせっせと食べる。
今夜はブリ大根と白菜のクリーム煮。

夜明けが早くなってきた2017年02月13日

東京の日の出は6時30分。
透き通るように蒼い月が西に傾いている。
もう朝の散歩でゆっくりと星を見る時間は無くなった。
歩いているうちに明るくなってしまうから。
夜明け前、犬といつものベンチに座り星を見るのが好きだった。
今はもう、明けの空に消えてゆく星を見送りながら歩く。

いつもの温かな缶コーヒーを買い帰宅。
もう数ヶ月もすればそれも冷たいコーヒーに替わるだろう。
散歩コースはいつも同じだ。
犬は同じ道を点検し、異常が無いことを確かめながら歩くのが好きなのだ。

仕事は特記事項なし。
勤務中、着信が2本。
一本はMからで、Mのお母様の手術が無事に終わったことを知らせるもの。
腰痛を改善するためのOPだけれど、これから長いリハビリが始まるのだ。
もう一本は、所有する賃貸物件の塗り替え見積もり。
屋根とベランダ防水も含め360万円。
予想よりずっと高かったことにガックリと膝を折る。

夜、小学校の同窓会開催のお知らせに、躊躇しながら欠席と書く。
ずっとこのメールの返信を保留していた。
会いたい奴も居るし、昔好きだった子も来るらしい。
参加すればきっと楽しいだろう。
それは解っているのに、気持ちがそれに向かない。
自分でも、欠席する理由を挙げることができない。
ただなぜか今、昔馴染みと騒ぎたい気持ちにならないんだ。



都心散歩2017年02月15日

都心にて仕事と私用を少し。
思いがけずそれらが早くに終わり、さてどうしようかと思案する。
穏やかな気持ちのいい晴れの日。
たまには散歩でもしようかと、車を置いて歩き出す。

とても久しぶりに新宿御苑に入ってみる。
新宿駅からすぐとは思えない広大な庭園だ。
もともと皇室御料地だったものが、戦後一般解放された場所。
昭和天皇の大喪の礼が行われた場所でもある。


温室や庭園も良いけれど、その背景になるビル群も好きだ。
普段はなんとも思わない高層ビルが、とても素敵に見える。
芝生のベンチが心地よく、しばらくボケーっと座った。
透明度の高い空が爽快だ。


池の辺にある御涼亭。
昭和天皇ご成婚記念に台湾在住日本人から贈られたもの。
大正末期の建物で内部も公開されているけれど、少し痛みが進んでいるように思えた。
高校時代、授業をサボってここに来たことがある。
あの頃はもう少し綺麗だったと思い出していたら、それはもう30年以上も前の事だった。


梅林にメジロが来て蜜を吸っていた。
梅とか水仙とか、園内はもう春の香り。

さて、これからどうしよう。
腰痛対策も兼ね、もう少し歩いてみようか。
慶応大学病院の脇から南下してJRを渡り、外苑に出る。
よく外苑と言うけれど、正式には明治神宮外苑。
明治天皇を奉る神宮で内苑、外苑があるうちの外苑だ。
一帯には神宮球場、ラグビー場、国立競技場なんかがある。
東京オリンピックに向けて工事が進んでいて、景観が大きく変わりつつある場所。


そんな中にあって、この絵画館は変わらない。
美術館としても一流だけれど、青山通りからこの絵画館へと続く銀杏並木も素晴らしい。
紅葉の季節になるたび行きたくなる場所だ。


その外苑に隣接するのが赤坂御用地。
敷地沿いに歩いて明治記念館、東宮御所正門、鮫が橋門と見て学習院の角を曲がる。
すると見えてくるのが迎賓館。
前庭くらい入れるだろうと期待したけれど、今日は閉館日。
その巨大な門は閉じていた。


そしてこれが明治末期に作られた迎賓館本館。
国賓を迎える日本の建築物として、このバロック調の佇まいはどうなのかなとも思う。
でも当時の日本では、やっぱりこういうものが欲しかったんだろう。
事前に申し込みすれば見学できるのではなかったかな。
機会があったら是非見てみたい。

どうせここまで来たのだからと、三宅坂から内堀通りに出て皇居沿いに歩く。
この近くには、19歳の頃のバイク事故で半年以上入院していた病院がある。
上半身への受傷だったので、入院後半は退屈していつも散歩した道だ。
あの頃を思い出しながら歩く。

最高裁判所、半蔵門、イギリス大使館、千鳥ヶ淵から北の丸へ抜けて九段。
実に良く歩いたし、これだけ歩いて腰痛が出なかったのが嬉しい。
そしてこの辺は緑が多く、街がとても綺麗だ。
人混みも渋滞も嫌いだけれど、こんな散歩も良いものだなと思った。
今度は上野辺りを歩いてみたい。
山歩きも良いけれど、街歩きも楽しいや。



確定申告2017年02月20日

嫌いなものや興味の無いものは、もうアタマに入ってこない。
毎年この時期になると苦しむ確定申告。
前回やったことをすべて忘れ、また一からのやり直し。
老化した目には活字が小さすぎる。
アブラ気を無くした指で書類をめくることが出来ない。
有るはずの資料が出てこない。
e-Taxにしたは良いが、接触不良で住基カードを認識しなかったり。
PCの前でうんうん唸り、貴重な日曜の数時間をつぶした。

だいたいマイナンバとか言うやつで金の流れを管理するんじゃなかったのか。
職場にもマイナンバを提出したのに確定申告でも源泉票の数字を打ち込ませるなんて。
もっと歳をとった後、こんな複雑な事をする自信がない。


そろそろ花粉が飛んできて、こんなものを愛用中。
マスクに吹きかけるアロマミスト。
シュッとやればしばらくの間、ユーカリとミントの香りに満たされる。
鼻も通るし目も覚める。
難点は一度使い出すと止まらなくなる点で、一日に何度もシュッをやっている。
何本も買って、職場や自宅や車やM宅。
出入り先のすべてに置いている。


早期リタイア2017年02月22日

東京の日の出は6時20分。
その一時間前にはもう朝の気配が始まる。
毎朝犬と散歩をしていると、夜明けに敏感になるのだ。
少し前まで星を見上げながら歩いたのに、今はもう薄明の中。
そして大気の中に沈丁花の香り。
相変わらず朝は寒いけれど、真冬のそれとは明らかに違う。
啓蟄だってもう近いのだ。

職場入りは7時過ぎ。
仕事は特記事項なし。
昼食はトンカツを食べに出た。
午後はずっと事務仕事。

年が明けてから、仕事やその他が幾つも重なりウンザリとしていた。
研究会、研修、監査、発表、精度管理、そして講師役。
自分の予定表が埋まってゆくのを見ると、どうしようもない焦りを感じる。
そんな時はまず動くこと。
そしてあまり考えすぎないこと。
いつもそうしてやって来た。
そして気づけば、来週の講師役を終えれば暫くの間は解放される。
解放といっても日常業務だけが残る、という意味だけれど。

あと数年で、父がリタイアした歳になる。
53歳で仕事を退いた父は、趣味人としてその後を過ごした。
周囲からは余生を楽しんでいる、と言われていた。
今にして思う。 何が余生なものか。
53なんて、まだ若造じゃないのか。
そして羨ましくも思う。
53で、そんな時間を手に入れたのか。
そして更に、嬉しくも思う。
父が、人生の後半を楽しんでいてくれたなら。
早期リタイアか。
僕には考えるだけ無駄というものだ。
そしてまた、春からの予定表も埋まってゆく。