昨日の外来2013年08月02日

霧雨の夜明けは4時49分。
夏の暑さはまだこれからな気もするけれど、日々、日の出は遅く日没が早くなる
もう立秋も近い。
朝夕に秋の気配を感じれば、夏はあっという間に往ってしまうだろう。

昨日は母の外来に付いて病院へ行った。
血液検査の結果は良好で、化学療法を休んでいる間に全ての数値が改善している。
体重も2キロ増え、母には気力も充分あるように見える。
もう一切の治療を止めてしまうという選択肢も有ったのだけれど、母は次の化学療法を希望した。
それならそれで良いじゃないか。
やってみなければ、何も解らない。
次の薬が効いて、10年だって生きるかもしれないじゃないか。
治療の再開は8月15日。

その前に、母を生まれ育った実家へ連れて行きたい。
年老いた兄弟にも合わせたいし、なによりあの海を見せたいのだ。
また、ようやく決まった訪問看護の初日には家族に立ち会って欲しいと言われている。
兄など当てに出来る訳は無く、その日も休まなければならない。
外来化学療法の付き添いも必要だ。

その為の休日を捻出する為、なりふり構わず公休を付ける。
職場の僕の秘書的な仕事をしてくれている女性にも、もちろん他部署にも迷惑が掛かるけれど。
でもそんな事を気にする余裕が今は無い。
全ての中心に母が有るのだ。






風立ちぬを見た2013年08月06日



蒸し暑い日が続く。
いつの間にやって来ていた8月も、もう6日。
つかの間の、穏やかな日常が飛ぶように過ぎてゆく。

Mとその娘が週末から僕の家へ遊びに来ていた。
庭で夏野菜を収穫したり、犬の散歩に出たり、娘の話を久しぶりにゆっくり聞いたり。
どこかへ出掛けるでも無く、怠惰な贅沢を味わった。
娘ももう24歳。
いつまでこうして遊びに来てくれるだろうか。

月曜昼、娘帰る。
午後はMと2人で映画「風立ちぬ」を見に行った。
退屈だ、と言う人も居るようだけれど、僕にとって宝物のような映画体験になったと思う。
動画力とも言うべき宮崎アニメの魅力に引きこまれ、2時間超の長編がとても短く感じた。
感情と抑揚を抑えた、でも芯にしっかりと精神の強さを持つ登場人物たちに魅かれる。
喀血した彼女の元へ駆けつける主人公が電車の中で涙を流すシーンで涙腺が崩壊し、以後ずっと泣いていた。 映画を見て泣いたのは本当に久しぶりの事だ。
風吹く限り、生きねばならぬのだ。

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火曜日。
母を見舞ってから出勤。
仕事はなんだかヘンテコな事になり、午後の研究会は明日送り。
だからこうして日記を書いている。

木曜日に母を実家へ連れてゆくための準備もする。
万が一向こうで具合が悪くなった時の駆け込み先として医療機関を調べておくのだ。
体力の落ちている母を車に乗せての日帰りで、往復の移動時間は7-8時間か。
母にとってもう、里帰りの機会は無いかもしれない。
だから、化学療法を再開する前になんとしてもあの海辺の街へ連れて行かなくては。



スイカの収穫2013年08月07日



立秋の東京は酷暑の一日。
遅めの昼食に出た時の職場中庭の温度計は34.7度。
一段と勢いを増した蝉時雨。
でも、暦の上では今日から11月7日の立冬前日までが秋なのだ。

それは夜空を眺めれば良く解る。
22時頃になればもう、秋の星座が昇ってくる。
ペガサス、アンドロメダ、カシオペア。
天体望遠鏡を振り回していた子供の頃と少しも変わらない星たち。
様々な変化に溺れそうになった時、いつまでも変わらない物がたまらなく愛おしい。
星とか、花とか、海とか。

明日は、母を連れその海へ行く。
そこは僕にとって懐かしい記憶の大きな部分を占める場所。
毎年の夏休みを過ごした海。
そこは母の育った海でもある。

老いてスイカ作りを止めてしまった叔母への土産に、庭で育てたスイカを収穫した。
小ぶりだけど、甘みの強い美味いスイカなんだ。
明日、あの家の縁側でこれを齧ろう。




昨日のこと2013年08月09日



相変わらず綺麗で、誰も居ない海。 そしてべらぼうに暑い。
1時間ほど泳いだ。


以前は10人も住んでいた大きな家。 
今は猫とおばちゃんの2人だけ。 そして巨大な仏壇と沢山の写真。


納屋の古い戸棚から、2歳のときの僕の写真を見つけた。
頭に赤いリボン、気に入りの黄色い長靴。

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長い日記を書いたのだけれど、アップせず削除した。
やっぱり上手く書けないや。

ただ今回、母を連れて行って本当に本当に、本当に良かった。
僕にとっても、一生忘れない思い出がまた一つ増えたのだ。

いつか僕も歳をとったら、東京を引き上げあの場所に帰りたいと強く思った。
子供時代の夏を過ごしたあそこが、僕の原点なのだと気付いたんだ。

土産に貰った2013年08月10日



母の実家から帰るとき、車のトランクには貰った三つの発泡スチロール箱。
一つには干物が、一つにはキンメダイが、一つには大量のサザエとアワビが入っていた。

なにせサザエなんかカレーの具材にしてしまうほどの土地柄。
土産にくれるといっても量が多いんだ。
近所に配り、M宅へ持ち込み、残りは甘辛く煮てしまおうか。

写真は昨夜の酒の肴。
アワビは生より蒸したものが好き。



この頃の天気って2013年08月13日

恐怖を感じるほどの雨と、大気現象の絶大さを思い知る雷、そして異常な高温。
この頃の気候の苛烈さに不安を感じる。
もう、夏が好きだ、台風が好きだ、雷が好きだなど能天気なことも言っていられない。

昨日の夕立は僕のヒマワリをなぎ倒しナスを折り、雨水浸透枡を溢れさせた。
信号の消えた五日市街道、下水を吹き上げるマンホール、立ち往生するタクシー。
空は何に怒っているのか。

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いつの頃からなのか解らないけれど、眠りが浅い。
朝までグッスリ、などとんと記憶に無いほどだ。
この頃は特にそれが酷く、でも普段は眠剤を使うでもなく生活している。

ベッドの脇にSONYの小さなラジオを置いて、夜の間はずっとNHKのラジオ深夜便を点けている。
もしかしたら深夜放送を聞き流す癖が不眠の原因かもしれないけれど、止められぬ。
体は夢と現実の狭間に浮いていて、でも頭は割りとはっきりラジオを聴いている。
昨夜もそんな夜を過ごした。
それはでも、嫌な時間じゃない。

明け方の薄明前にベッドを出て、バルコニーから空を見た。
でも雲が厚く、流星群は見えず。
2001年にMと富士で見た獅子座流星群が忘れられない。
また何時か、あんな大出現に遭遇できるだろうか。


仕事は特記事項なし。
午後は長く眠い会議。
いつもより少し早く職場を出、青木屋でオハギを買って帰宅。
実家に母を見舞い、ワンコの散歩をし、洗濯と掃除。

夕飯は貰いものの素麺をミョウガとモロヘイヤを入れた汁で食べた。
酒の肴にはカツオの刺身、そして庭から収穫した葉ショウガ。
こいつに自家製の麦味噌をちょいと付けて齧るのだ。

明日から2013年08月14日

母が退院したのは7月の10日だった。
その後の数日間は寝たきりで、ようやく動けるようになったのは15日頃からだったか。
あれから一ヶ月。
治療を中止し、一切の薬を使っていない母の体調はすこぶる良い。
体重も数キロ戻し、家の外周の掃除や散歩なども毎朝しているようだ。
まるで2月に病気が発覚する前の、ごく普通の日常が戻ったかのように思える。
本当にそうだったら、どんなに良いだろう。

また、明日から化学療法が始まる。
前回の、副作用に苦しむ母の姿が忘れられない。
食事が取れず、不味い栄養補助食品に頼った。
大好きな読書すら、倦怠感で文庫本を持つ事が出来ずに諦めた。
ずっとベッドに臥せっている母と、なにも出来ずに見ているだけの自分。

もう化学療法を止め、自宅での穏やかな時間を大切に過ごすと言う選択肢も有るのだ。
その一言を僕から言う勇気がない。
治療への意欲が有り、また頑張ると言う母にそんな事が言えるものか。
本人の希望である治療を止めろなど、言える筈が無い。

この一ヶ月間、毎日が楽しかった。
子供の頃以来、これほど母と会話をした時期は無い。
美味しいものも沢山食べたし、買い物へ何度も出掛けたし、遥々母の実家へも行った。
最近始まったばかりのMと母の関係は極めて良好で、互いに会話を楽しんでいる。

朝、母の家へ行くと洗濯機のモーターが低く唸って聞こえる。
ポストの朝刊は抜かれ、玄関には水が打ってあり、池に餌がまいてある。
コーヒーの香り、掃除機の音、柔軟仕上げ剤の匂い。
全てが母の健在を示し、それが僕は本当に嬉しいんだ。
そんな日が一日でも長く続いて欲しいと強く願っている。

一ヶ月などあっという間。
来なければ良いと思った日も、勿論やって来る。
今はまず、明日一日を乗り切ることを考える。



焼きナスとざる蕎麦2013年08月17日



先日行ったときに撮ってきた、母の実近くの小さな入り江。
子供の頃の遊び場だった場所だ。

シッタカと呼ぶ、今では高級品になってしまった貝をバケツ一杯取ったっけ。
夕まずめ時には必ず釣り糸を垂れた。
素足でウニを踏んで大泣きした。
フナムシ、イソギンチャク、アメフラシ、サザエ。
少し怖い盆送りの行事、海から昇る月、線香花火。

磯遊びの楽しさを教えてくれた場所は今も変わらずここに有る。
でももう、釣りもしないし貝も拾わない。
変わったのは僕のほうだ。

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15日から再開した治療の副作用で、母は臥せっている。
今回は特に吐気が辛いようで、ベッドから起き上がると気分が悪くなると言う。
食欲は無い。
でも、昨夜は僕が作ったモロヘイヤ入りの素麺を、今朝は畑のトマトを少しだけ食べた。

朝5時半に実家へ行き、掃除と洗濯。
血圧と体温を測り、薬を管理し、話を聞く。
昼間の間に少しでも食べられるように、何種類かの食べ物を準備する。
飲むゼリーとか、キュウリとトマトのサラダとか、スイカとか。

気付けば2時間経っていて、急いで出勤。
職場入りは8時。
夏休みを取っている人が多く、他部署との共同作業は無し。
昼食はカップスターみそ味。
自分の事務仕事と集計作業をして18時に帰る。

母の夕飯に焼きナス、ざる蕎麦、焼き豚ヒレのおろしポン酢を作った。
少しだけ食べてくれる。
洗濯物をたたみ、シャワーを浴びる間待機をし、少し話をしてから薬を飲ませて帰宅。

自分の家に帰ったのは20時半。
朝、寝汗に濡れたベッドシーツを洗濯したのに、それが洗濯機の底で萎びている。
洗ったのに干すのを忘れていたのだ。
それを見ていたら何だかどっと疲れてしまい、自炊は止め。
呑みに出たい衝動を抑えワンコを連れ近所のコンビニ。
僕にはのり弁とビール、ワンコにはササミの巻き巻きを買った。

明日はMが手伝いに来てくれるという。
ありがたい。
認定の結果、要介護2となったからその手続きも考えないといけない。
でも家に他人が入ることを母は嫌がるだろう。
出来るうちは僕が廻していきたいとは思う。





日が短くなってきた2013年08月20日

早朝に犬の散歩をしていると、日の出が遅くなってきたのが良く解る。
東京の今朝のそれは5時3分。
ひところより30分も遅い夜明けだ。 
そして昼時間は1時間以上短くなっている。
朝顔もヒマワリも花期は終盤。 蝉の合唱もやがて衰える。
今年もまた、夏が往こうとしているのか。

外来での化学療法を再開してから、母の体調は良くない。
それは予想された事だけれど、今までが元気だっただけ余計に暗い気持ちになるのだ。
いつもベッドで休んでいる姿を見たくなくて、それでも様子を見に行かざるをえない。
食欲の無い中、何を食べさせれば良いのか。
何なら食べる事が良いのか。
そんな事ばかり考えている。


唯一、コイツだけは喜んで食べるんだ。
今年の猛暑で、僕の畑の夏野菜は相当な被害を受けた。
でもスイカだけは上出来で、その甘さは歓声を上げるほどだ。

病気の母が喜ぶ。
今ほど作物の出来が良いことを嬉しく思った時はない。
小玉を含めてまだ10個以上のスイカが収穫を待っている。
趣味で野菜作りをしていて、本当に良かった。

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仕事はそれなりに頑張っている。
母の世話は出来ていると思うし、一日二度の庭の水撒きや犬の散歩も欠かさない。
でも、自分の事をする時間がない。
いや、時間はどうにでも作る事が出来るけれど、気力が無いと言う事なのか。

部屋も風呂もトイレも掃除をしたいのに、でもしない。
シミを付けてしまったカーテンとか、整理していない冷凍庫とか、漂白していないフキンとか。
爪を切りたいのに爪切りが無くなってしまった。 でも買いに行かない。
何だかいつもイライラしている。



夜顔2013年08月21日



夏の夜にひっそりと咲くヨルガオ。
この花が好きで、毎年育てている。
甘い芳香と純白の花。
一夜で萎んでしまう儚さ。
花言葉は妖艶。