この頃の食事2013年07月01日

朝4時半に起きた時の気温は21度。
アタマが痛くて、しばらくベッドから出られなかった。
そのくせ麦茶を煮出さなくちゃとか、缶と瓶のゴミを出さなくちゃとか、冬毛の抜けているワンコにブラシを掛けなくちゃとか、裏庭の草むしりもとか。 あ、布巾の漂白も。
溜まっている家事の事を思うだけでイラッとする。
だったらさっさと起きて片付ければ良いのに体が動かない。

実家の母の様子を見てからバイクで出勤。
7時の職場入り直後からイレギュラーの事態で2時間走り回る。
9時からルーチンワーク。
昼にコンビ二のオニギリとうまい棒納豆味で昼食。
午後は感染症研究会。

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食欲の無い母に、それでも食事を摂ってもらおうと簡単な料理を作り差し入れる。
だから僕の食事もすっかり老人食になってしまった。
昨日は高野豆腐を、その前にも大根とアサリを炊いた。
切り干し大根とか、青菜と油揚げとか、オクラとガンモとかそんなものばかり。


たまには肉食でもするかなあ、と思いつつ今夜はヒジキご飯と肉じゃが。 赤身も少し。
実家へもって行き、母が少しだけ食べるのを見、自宅に帰って僕もその残りを食べる。
そして酒を呑み、ボーっと本でも読むのだ。

今夜はMが来る予定。
でも仕事が終わってからだから、きっと日付が変わっているはず。
明日は2人とも休み。

はす2013年07月03日



今年もまた、水瓶のハスが咲いた。
嬉しい。

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今日も今日とて早起き早出。
4時45分の気温は21度。 南風に濃厚なクチナシの匂い。
朝の家事を済ませ実家の母を見舞ってから車で出勤。
仕事は特記事項無し。

昼休みに満期が近い自動車保険をネットで更新。
すでに上がりようの無い等級までいっているので値段はそれなりに安いはず。
でも、個人賠償だとかファミバイ特約だとか車両保険だとかで7万円ほど。
午後、ビワの差し入れを頂く。

3週間に一度の母の外来は、検査と診察、そして化学療法に一日掛かるのだ。
実家から至近の病院で歩いても行けるのだけれど、やはり今回も付き添おうかと考え始めた。
倦怠感が酷い事、食欲がまったく無い事、便秘対策が更に必要な事などを僕から直接主治医へ伝えたいからだ。  そのための時間を作るため、今からもう奔走している。
色々な人に迷惑を掛けているなーと思いつつ、でも何とか時間を作りたい。

夕飯は作る気力なくコンビニの弁当。
なんか良いこと無いかな、が口癖になってしまった。




今年の畑のこと2013年07月05日

ジットリと絡みつく様な湿気の不快感で目がさめた。
朝5時の気温は24度。
南風と霧雨とノウゼンカズラの橙色。

何かに追われるように職場へ行き、せきたてられるように仕事をし、気ぜわしく帰宅。
母を見舞い、犬と散歩をし、家事を少ししたらもう何もする気がせぬ。
夕飯も作らず、PCをいじっている。
ちょっと精神的に不調。

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手間を掛けたらそれに答えてくれるのが植物の可愛いところだ。
反対に、必要な世話を怠れば正直に駄目化する。
特に改良された野菜達は見事な収穫を実らせる反面、病虫害に弱い。
今年の僕の畑がそうだ。

母の件で畑で過ごす時間が減っている。
自宅の畑は毎日の世話が出来るけれど、埼玉に借りている畑の手入れが出来ない。
週に一度、半日弱の時間を作る事が出来ず荒らしてしまった。
ジャガイモはニジュウヤホシテントウの害と梅雨入り後の水不足を防げず完敗。
春まきのニンジンもゴボウもレタスも殆ど世話をしてやれなかった。
畑が荒れると益々足が遠のき、その悪循環が続くのだ。

そして先日、ついに借りている畑の半分に防草シートを張り、秋の大根まで休む事にした。
綺麗だった畑が雑草に覆われるのが嫌だからだ。
残りの半分はスイカと落花生。
このどちらも殆ど手入れを必要とせず、いくばくかの収穫は貰えるだろう。

自分で堆肥を入れ育てた土にシートを掛けてしまう事は悔しい。
大好きな夏の季節に何も生まないのが寂しい。
何かに負けた気がする。
何に負けたのかは解らないけれど。


ソバのスプラウト。
室内で作れるこれは飽かずに育てている。
こんなモノでサンドイッチを作ると母が喜んで食べるのだ。


少し入院2013年07月06日

蒸し暑さで目が覚めたら朝の4時だった。
そのまま起きてしまい、犬と散歩。

6時、実家に母を見舞いに行く。
昨日から体調が悪かった母は今朝、倦怠感が酷くベッドから起き上がれないという。
その母を残して仕事へ行くべきか迷った。
なんだか母が憔悴しているように見え、一人にする事がとても不安だったんだ。
しかしどうしても仕事を休めず、母ひとり残し出勤。

昼休み、やはり心配で様子を見に帰宅。
渋滞の道を往復すると自宅に居られる時間は5分程度だけれど、顔を見れば母も安心だろう。
いや、安心するのは僕の方か。
状態、朝と変わらず。

定時で退勤、急いで帰る。
母、38.8度の発熱。
Mも来てくれ、相談の結果救急外来を受診。
朝から殆ど飲食しておらず、脱水を疑ったが化学療法の副作用による感染も怖かった。
たまたま知り合いの医師が居て、いろいろと調べてもらう。

検査結果は思ったほど悪くは無く、やはり脱水だろうとの事。
ただ、化学療法が始まって2ヶ月間の疲れも蓄積していたのだろうと。
吐き気や倦怠感で苦しんでいたものが、気候の変化で表面化したのかも知れない。

できれば数日入院して点滴をし、体力が回復てから帰宅させたいと懇願。
それならそろそろ予定されていたCT等もしたいし、数日入院しますか、と言ってくれる。
母も納得し、21時入院。

今回はMや知り合いの医師の助けもあり、大事には至らなかった。
でもこれからは一層母の体調に気をつけなければならない。
母の家の二階には兄一家が住んでいるのだが、それらを全くあてにする事が出来ない。
しかし、今のような状態でいつまで持ち応える事が出来るだろうか。






7月8日2013年07月08日

仕事帰り母の病院に寄り、主治医から今日行った造影CTの検査結果を聞く。
抗癌剤が全く効いていない。
病巣は更に大きく、数も増えている。
あれだけ副作用に苦しみ、でも僕らのためにと化学療法を頑張ってきた母の事を思うと堪らない。
こんな残酷な結果を受け入れられるわけがない。
なんでこんな事になってしまったんだ。

母の顔を見ることが出来ず、そのまま帰宅。
文章にしたら少しは落ち着くかと思ったけど、涙が余計に出るばかりだ。


-2013年07月08日

もう十分に頑張っている母に、追い討ちを掛けるように頑張れ頑張れって。
よくもそんな冷酷な事が言えたものだ。
食欲の無い母に、食べろ食べろと。
伏せがちな母に、少しは動けと。
吐き気も倦怠感も仕方が無いから我慢しろと。
僕は母の事を考えたのではなく、自分が平穏な気持ちになりたいだけだったんじゃないのか。
何も頑張る事なんか無かったのかもしれない。
自然の流れに抗わず、母の居心地のよさだけを考えるべきだったのか。
僕はまるで馬鹿みたいだ。
自分の事が大嫌いになった。

7月10日2013年07月10日

母、退院。
まだ退院できる状態には見えないけれど、母が帰るのはやはり嬉しい。
とても嬉しい。

今後の事は今は考えない。
ただ、在宅看護や往診について相談する為の予約を入れた。
Mもいろいろと相談に乗ってくれる。
自分一人じゃないと思えるだけ、まだ大丈夫だと思う。
何より一番闘っているのは母なのだし。

この頃の生活2013年07月12日

七十二候の「蓮初めて開く」
僕の蓮は毎日のように素晴らしい花を開いている。
しかし寝室で臥せりがちの母は見る事が出来ない。
だから写真に撮ってそれを見せる。

日の出は4時34分。
それは一月前より10分遅い夜明けだ。
季節は進んでいる。 昼時間が短くなり始めた。

朝5時半、母の様子を見に行く。
実家のゴミだし、水廻りの掃除、母の使ったタオルを洗濯。
犬の散歩、門前の掃除、鉢植えの水やり。

6時半、母の好きなモロヘイヤを収穫し茹でる。
ナスとトマトも収穫。 
昼食用にと素麺を茹でるだけに準備してから、母の血圧と体温を測る。
微熱あり。
退院後は倦怠感が酷く、一日中ベッド上でゴロゴロしているようだ。
本も新聞も読まず、テレビも見ない。 
母の寝室ではただ、ラジオだけが小さな音で点いている。

7時出勤。
仕事は多忙。 昼食は時間無し。
いつものクリニックに寄ってから19時半に実家へ。

母の夕飯に梅干を入れた飯を炊いた。
焼き茄子、コリンキーの浅漬け、冷やしトマト、豆腐の味噌汁。
相変わらず食欲は無いが、それでも頑張って少しだけ食べている。
食後すぐ、ベッドへ。
1時間ほど付き添い、自宅へ帰る。

23時。
家事をする事もせず、日記なんか書いている。
溜まったゴミも寝汗に湿ったシーツも、床に舞う犬の毛すらに苛立ちを感じる。
でも掃除機も掛けず洗濯もしない。
ただ考えている事を整理したくて、覚書として日記を書いている。

母の状態は決して良くは無いけれど、でも何とかやっている。
僕が作ったものを少し食べ、昼の間は一人で過ごし、夜僕が帰るのを待っている。
家族で唯一人だけ頼れる姪が、今夜は母の隣室で寝てくれると言っている。
有り難い。 今日も無事に終われそうだ。

でも、今の微妙なバランスが崩れたとき、どうすれば良いのか解らない。
やはり早急に訪問看護や往診の準備を進めておかなければならない。
8月1日に予約している医療相談室との約束を早めてもらうのが良いだろう。
できればMにも同席してもらい、母の今後を相談するのだ。

僕は明らかに体調を崩しつつある。
胃痛と吐気、不眠と焦燥感。
ふと、今もし父が生きていてくれたら、なんて思う。
感情を上手く整理できず、だからこうして日記を書いている。

金目鯛煮つけ2013年07月13日

仕事帰り、いつものスーパーで声を掛けられた。
もう数年前に退会したスポーツジムの知り合いで、ハーフマラソンにも共に参戦した仲だ。
少し立ち話。

あの頃の生活がなんて懐かしいんだろう。
週に5回もジムへ行き、一回10キロを走り、筋トレをし、プールで泳ぎ、サウナで仕上げる。
仕事帰りに2時間以上もそこで過ごし、酒を制限し、休日も河川敷を走った。
そんな生活をしていた自分が居ただなんて、今の僕には信じがたい事だ。

生活なんて、何かの切っ掛けで激変する。
父が倒れなければ、まだスポーツジム通いを続けていたかもしれない。
父が生きていてくれたら、自分の家など建てなかっただろう。
そしていま母が体調を崩し、それをMが見舞ってくれる。
20年も付き合った女性を、僕は母の病気が見つかるまで紹介もしていなかったんだ。

人に与えられた選択肢など、実はそれほど多くは無いのかもしれない。
結局成る様になり、収まるところに収まるのか。
でも、無駄かもしれないけど抵抗したいときもある。
あるいは後で後悔するのが怖いだけなのかもしれないけれど。


むっちり肥った金目鯛が手に入ったので煮た。
コイツは母の好物なんだ。
今夜は焼き茄子とネギを乗せた蕎麦、キュウリの酢の物、金目の煮付け。
本当に久しぶりに、母がそれなりの量を食べてくれる。
もうそれだけで今日は良い日だ。

少しでも食べ、少しでも体力を回復して欲しいと願っている。
辛いのは介護の苦労じゃない。
目の前で痩せ衰えてゆく親を日々見ることなんだ。


土用干し2013年07月16日



毎年同じことの繰り返し。
梅雨入り後に漬け込んだ梅を、梅雨が明けたこの頃に干す。
土用干しだ。
今年違うのは、それを母の住む実家で干している事。
子供の頃に田舎の家で土用干しの世話をしたと言う母が、こんな作業を懐かしむからだ。

雨に注意し表面が乾いたらそっと裏返す。
三日の間干し上げて、瓶にしばらく寝かせれば出来上がり。
今食べている梅干は2008年製だから、これを食べるのは5年後になるか。

母が縁側で梅を眺めている姿を見たら、今年も梅干を漬けて良かったなと思った。
ベッドに臥せりがちな母が、そこに座っているだけで満足だ。
漂う梅干の酸っぱい香りと夏の雲。