2003/52003年05月30日


■2003/05/31 (土) 台風の夜

土曜日、台風の日

バラバラと大粒の雨が落ちてきて、雲が速い。
これから大荒れの非日常が待っていると思うと
居ても立っても居られない。

台風、大雪から果ては鉄道スト、盆、正月まで子供の頃から非日常的出来事
が大好きで楽しくてたまらない。
今回の台風にも並々ならぬ期待を寄せていた。

ところが、この台風4号。
期待はずれな根性無しで、早々に温帯低気圧に果ててしまった。
つまんないな。

夜、新宿にMを迎えに行く。
今夜はMの職場の新人歓迎会。
西新宿の住友ビルが会場だ。

台風崩れの低気圧が降らす大粒の雨の中、車で青梅街道を飛ばし新宿へ。
道が空いていて30分掛からず着く。

早く着いたので散歩でもしようと、中央公園前から信号を渡り、都庁脇から
高層ビル街へと傘をさして歩いていた。
雨で、繁華街から少し離れたこの辺は静かだ。
と、向こうから良い感じの女性が歩いてきた。
カワイイな、と思ったらMだった。

飲み会が楽しかったのだろう。
彼女は、ニコニコと笑っている。

そうだよ、この人はこうして柔らかく笑っているととっても可愛く
素敵な人なんだ。
8年も付き合って、そんな事を再確認して嬉しかった。
嬉しくて歩道でキスしてしまった。

立食であまり食べられなかったMのリクエストで高円寺の
ラーメン「天下一品」へ。
ここのラーメンは好きなのだけど、ニンニクの苦手な僕は6割の確立で
お腹が痛くなる。
で、今回はその6割に当たった(涙)
痛いお腹を抱え、Mのマンションに急ぐ。

大粒の雨。 
ニンニクによる腹痛。 
運転。

これらのキーワードである事を思い出す。
7年前の夏、僕の女友達二人、男友達一人とアメリカの親友の家に遊びに
行って、ニューメキシコでニンニクの利いたメキシコ料理を腹いっぱい
食べたのだ。
その後、レンタカーを運転しながら僕は腹痛に苦しんでいた。
雨で、今夜泊まるモーテルも決まらず、
街燈の無い真っ暗な道を飛ばしていた。

結局、その晩はエルパソの狭いモーテルにザコネして過ごした。
皆が寝静まってから僕はMに国際電話をかけたっけ。
その時一緒だった女友達の一人は函館へ引越し、一人は結婚し二児の母だ。

そんな事を話しながら雨の中車を走らせた。
良い気分の土曜の深夜だった.

私信
築地の市場は楽しいよ。平日午前の早い時間に行けるならぜひ場内へ。
きっと目を丸くするよ。

■2003/05/30 (金) またホテルへ

金曜日。 
朝、車のタイヤ空気圧を測る。
釘の刺さっている左後輪だけ0.3キロ程低くなっている。
僕はタイヤの空気圧に神経質だ。 
で、当然タイヤの交換を決意する。

今日はホテルの日。
テレビを録画したビデオ2本、ビール、ワインクーラーと、先日買って
美味しかった日本酒(静岡の臥龍梅)、昨日買っておいたお惣菜
等をもっていつものホテルへ。
チェックインしたのが朝の9時で、これから夕方5時までゆっくり出来る。

最初入った部屋になぜかビデオデッキが無くて別の部屋に変えてもらうのに
少し手間取ったが(朝の9時にほぼ満室! みんな何やってるんだろ、平日なのに)
その後の長い時間、誰の邪魔も入らない。
このホテルは丘の上に建っていて眺めが良い。
遠くに都心の高層ビルが見える。
久しぶりにゆっくり楽しい時間を過した。

昼間からお酒を飲むと眠くなるな。
Mは僕が持ち込んだ臥龍梅を美味しいと言った。
一口飲んだだけで後は持ち帰って家でゆっくり飲むとしまっていた。
ここ数年、良い日本酒ばかり飲ませて英才教育した甲斐があったな。
最初は日本酒なんて全然飲めなかったのに、
今ではちょっとしたお酒の評論家になってしまった。

ホテルを出て大泉のタイヤ館でタイヤを物色。
今つけているレグノは少し高い。
もう少し安価なポテンザを買う。 4本で6万円也。

夜、部屋の電気を暗くしてボケッとNHKの台風情報を見る。
かつて、当時の彼女とはるばる車で旅行した四国の風景が写っていた。
もうアレから随分長い時間が経つな。
その彼女は結婚して子供が出来て、すっかり主婦になっている。

なんだか僕だけ何時までも変われないな、と思う。
まさかこんな歳になってまで独身で、ラブホテルに通っているなんて
当時は想像もしなかったな。
なんとなく考えていた将来像は30歳位で結婚して家でも建てて、子供が1人か2人。
そんな普通の生活を普通に送れていると思っていた。

今の生活が間違った道を歩んでいるとは思わない。
人が生きていく上で、本当に自分の意志で選択出来る事柄って
どの位有るんだろう?
もう一度初めからやり直せるとしても
同じ過ちを繰り返し、同じ選択をし続けるんじゃ無いか?
そんな気がする。
正しい選択じゃ無いと知りつつ、情に流される事が多い。
そんな自分の愚かさは嫌いではないけど。

明日は台風の影響で一日雨の予報。

 

■2003/05/29 (木) ミュージカル

先日、イタズラか偶然か解らないけど
車の前に太くて長い釘数本が落ちていて左後ろのタイヤにその内の
一本が刺さっていた。
梅雨を前にしてそろそろ交換時期でもあったのでパンク修理はせずに
そのままにしておくことにする。
刺さった釘を抜かなければ急に空気が抜ける事は無いだろう。
そういえばまだ税金も払ってなかったな。
車って本当にお金が掛かる。

水曜の夜、またMと電話で険悪な感じになった。
職場の部署変えを前に、Mはなんだか神経質になってるな。
気持ちは解るけど、もう少し楽にして欲しい。
もう少し息抜きする事を覚えて欲しい。

僕も疲れて家に帰って風呂に入り、やっと食事を始めた頃の夜8時頃
Mに電話で職場のグチを言われるのはキツイ。
やっと家に帰ってホッと放心し寛いでいる時に電話が掛かるのはキツイ。
楽しい話なら良いけど、それが職場のグチでしかも1時間以上に及ぶと
ちょっとカンベンしてくれと思う。

そりゃ、ゆっくり聞いてやりたいけど、僕だって昼間それなりにストレス
に晒されて、家に帰ったときはゆっくりボケッとしたいのだ。
相談なら乗るし、専門的な事柄で解らない事があるなら解る範囲で
教えるけど、グチには正しい答えも建設的な結論も無い。
まぁ誰かにグチを言う事で楽になるのは解るけどね。

深夜、劇団四季のホームページでミュージカルの予約をする。
S席二枚で23000円。

最近は行ってなかったが、僕はミュージカルが好きなんだ。
去年の秋以来、久々に浜松町の四季劇場に行きたくなって
6月中旬にMと示し合わせて平日に休みを取り見に行く事にした。

今回は四季の定番「ライオンキング」
前回は「異国の丘」という、とても重厚で切ない内容のモノだったので
単純に楽しめるモノと思いライオンキングとなった訳だ。
午後の回でミュージカルを見、帰りにどこかで普段より少しだけ良い食事
をして帰るのが僕達のかなり贅沢なデートコースだ。

明日の金曜は仕事休み。
久々にMとホテルに行く予定。

■2003/05/27 (火) 昔の記憶はどこに行くのか

火曜日。
仕事帰りにいつもの宮田酒店で日本酒を買う。
僕は、この店にとって本当に良い客だな。
毎月1万5千円は買ってる。
まぁ、顔を出すたびに素晴らしい酒を紹介してくれるので
持ちつ持たれつかな。

で、今日は鳥取の諏訪泉・富田。
鳥取はMの育った土地なのだけど、そのひいき目を考えなくても
日本酒の名産地だ。
諏訪泉、鷹勇、日置桜。
濃厚、かつ酸味の利いた銘酒揃い。

今夜はその諏訪泉を飲んでいる。
ツマミはメカブと豆腐。

今日、僕は仕事。 Mは休み。
今回は僕が休みを合わせられず、幸か不幸か、
Mはゆっくり平日の休みを過ごしたようだ。
仕事をしながら、目の前の机に先日買ったばかりの携帯を置いておいた。
そしたら、メールの来る事来る事。

大半はMからで、今から車の税金を払いに行く、今から買い物に行く
今から少し昼寝する・・
そんな実況報告が微笑ましい。
僕は、「寂しいからって一人でスルなよ」と返信しておいた。

また、今日は珍しく、かつて学生時代に僕が憧れていた女性、今は
結婚して二児の母になっているOからも数通のメールが来た。
上の子が幼稚園に入って少し楽になった事。
ダンナとはソコソコ楽しくやっている事。
ベランダでトマトを育てている事・・

そんなメールを読みながら、かつてこの人と行った御宿や伊豆高原を
思い出して、昼間から思い出に浸っていた。

浸るといえば、珍しく夜の7時には家に居て食事をしていたのだけど
何気なくつけていたテレビに房総半島の鋸山(ノコギリヤマ)が出ていた。

房総は母親の育った土地で、昔からよく行っていた馴染みの場所なのだけど
その房総の観光名所のひとつ、ノコギリ山。
学生時代付き合っていたWと言う名前の彼女と登ったな。

なぜかその時、その彼女とは喧嘩していて、終始無言であの急な坂道を
登ったっけ。
真夏で良い天気の日だった。
頂上から見た東京湾の絶景を彼女はまだ覚えているだろうか?

かつて付き合っていた女性との思い出をどう処理すれば良いんだろう?
忘れるのは勿体無い。
かといって、いつまでも引きずる訳にもいかぬ。
今日のように、何かのきっかけで(メールだったりテレビだったり)
フッと思い出し、しばし懐かしみ、また記憶のずっと奥にしまうのが
良いのだろうか?

ちょっとしたきっかけで自分の数少ない女性遍歴を思い出した日だった。

■2003/05/26 (月) 職場でツマミを考える

月曜日。
はっきりしない天気。
降ればいいのに。
僕は雨が好きなのだ。

今、午後3時。
職場の自室で休憩中。
全身筋肉痛で動くのが辛い。
昨日の日曜日に一日中庭仕事をしたせいだ。

前庭に芝を貼ったのだけど、やはり人が歩く所は上手く成長せず
剥げてきてしまった。
そこに踏み石を置き芝の上は歩かないようにしようと思ったわけだ。

早起きしてバイクで東久留米のドイトに行き開店と同時に入店。
この店では大きな荷物を持ち帰る為に軽トラを貸してくれるのだけど
3台しかない為日曜などは早く行かないと数時間待ちになってしまうのだ。

レンガ調の踏み石24枚を買い軽トラで持ち帰る。
24枚の石で130キロ位の重さになるけど、軽トラが良く走るのにはビックリ。
加速なんかかなり良くて、視界もいいし運転しやすい。

作業を始めたのが11時頃。
全ての作業が終わったら夕方4時を過ぎていた。
芝を石の大きさに切り取り、穴を掘り、石を入れる。
芝の剥げた所を切り取り、新しい芝を植える。
重労働だけど庭弄りの好きな僕には苦痛じゃない。

ドロドロになったのをシャワーで流し、着替えして夕方から畑へ。
トマトの支柱とモロヘイヤの水遣り、二十日大根の種まき、オクラの植え替え。
我ながら良く働く。
土いじりが好きなんだ。
母親の実家は兼業農家だけど、機会があったら是非耕してみたいな。
大きな畑でスイカを作ってみたいんだ。
母親の育った土地はスイカの産地だ。

で、今日はこのありさま。
筋肉痛で上手く歩けないくらいだ。
まっすぐ歩こうとしても足が上手く動かずにロボットのようになってしまう。
早く帰ってゆっくりとお風呂に漬かりたい。
お風呂の中でマッサージをすると随分違うからな。

先日買った臥龍梅という日本酒が美味い。
飲み始めると止まらずにどんどんいってしまう。
美味しく呑めるときは気にせず呑む事にしてる。
体が受け付けない時は酒も進まないものだ。

今夜はツマミに何を作ろうかな。
まず、油揚げの中に納豆を入れて焼こう。
もらい物のタラバガニがあるから焼きカニにしようかな。
煮物も欲しいな。 良いイワシが有ったら買って帰って梅干煮を作ろう。
あーヌカミソに何も入れてないな。 大根かセロリでも買って漬けておこう。

って言うか、職場で午後3時にこんな妄想に浸ってるのも困りモノですが。

■2003/05/24 (土) 携帯電話が無かったら

土曜日。
買って1年半になる携帯(ドコモN503i)が充電不能になった。

電圧計をあててみると充電器本体の故障では無さそう。
バッテリーは今年初めに買い換えたばかりでまだ新しい。
要するに本体の故障らしいが、これは素人の手におえる物じゃないな。

僕が成人になった頃はバブルの全盛期で、やっと携帯電話が少しずつ
普及し始めた頃だったと思う。
でも、学生の身分で持てるものではなく、ポケベルにも手が届かなかった。

社会人になりたての頃もまだ持っていなくて、当時の彼女と待ち合わせなど
しても、残業で遅れる連絡すら出来ずに随分と苦労したものだ。

初めて携帯電話を買ったのはMと付き合い始めたばかりの8年前。
いや、あの時はまだ付き合って居ると言える関係になって無かったかな。
まだ本体、通話料共に高価で圏外も多かった。

あの頃、Mの自宅に僕の方から電話を入れることが出来なくて
僕も外出ばかりしていたので、連絡用にと買ったのだ。
Mは良く夜中に、自宅マンションの近くの公衆電話から電話をしてきたな。
いつでも電話しておいでと、テレホンカードをあげたのが懐かしい。

思えば、僕とMが今のような関係になったのは携帯電話が有ったからかも知れない。
まだ、移動中はブチブチと良く切れた、あの頃のアナログ携帯電話。
でも、これが無かったら、これでいつでも話せる親密さが無かったら
きっと最初の山を越えることが出来ず、僕達は付き合わなかっただろう。

携帯の番号を書いたメモを渡した日、初めて掛けてきた時の
受話器から聞こえるMの自信無さげな震えるような小さな声を今でも憶えてる。

土曜の仕事の合間、職場近くのショップで機種交換した。
僕にとってたぶん8台目になる携帯電話はカメラ付きのP251is。
驚く事に、そのお店にあるドコモの端末は全てカメラ付き。
写真が好きで、一眼レフもデジカメも持っているので、このカメラは
使わないかと思っていたが、結構これで遊んでいる。

このP251に初めて掛けて来たのは、やはりMでその日の深夜の11時半。
職場の送別会の帰り道。
8年前、まだ赤ちゃんだった下の子が寝た後、旦那の目を盗んで公衆電話から
掛けて来ていたこの人は、独身に戻り、子供も留守番できるようになり
そして、自分でも携帯電話を持つようになった。

当然だけど、8年有れば随分と変化する物だ。
あれから、もう8年たつのか。

■2003/05/23 (金) 離婚を隠す人

金曜日。 曇り。

やらなければいけない仕事が沢山たまっていて、それでもやる気が出ない。
今、午後2時半。
外来予約で逃げられない仕事だけをこなし、ATMで給料を下ろし、保険料を
振込む。
昼食は職場近くに出来たラーメン屋さんに偵察を兼ねて行き、ばら肉ラーメン
1000円也を注文するも、美味しくなく1000円捨てた感じ。
午後、事務の子の救援要請に応じて不調なコンピュータを直し今に至る。

職場の自室に引き篭もりナビスコの「オレオ」を齧りながらネットを徘徊する。
朝から何杯も呑んでいるコーヒーで舌がザラザラする。
不味いコーヒーなんだ。
眠いのかダルイのかよく解らない気だるい時間。

昨夜と今朝の電話ではMは落ち着いている。
少し揉めたがそれで職場に居づらくなるといった最悪の状況にはならずに
済んだようだ。
でも、それがいつまで続くのか?という心配は正直、有る。
職場で楽しく過すには、Mは少しだけ真面目過ぎ、少しだけ硬すぎるのだ。

同じ仕事量をこなすにしても、もっと簡単に受け流すテクニックを持っていたら
楽に生きられるだろうに。
仕事に対する真面目過ぎる姿勢はMの長所である反面短所でもある。

いや、仕事だけじゃないな。
生活全ての面で彼女は硬く完璧を求める。
自分に対しても厳しいし、周囲の目が気になる。
だからまだ、両親にすら自分の離婚を話していないのだ。
今回の離婚、いや、その前の結婚生活そのものも彼女には汚点と感じられる
ようだ。 
その半分近くは別居していたと言え、思い出したくない過去だと彼女は言う。

時々、そんな人と一緒に居るのが重くなるときが有る。
学生時代のように楽しく、なんていえる歳じゃない。
責任も義務も有る。

でも、せめて2人で居るとき位もっと楽しんで欲しい。
仕事やその他の事を少しだけ置いておいて、もっと楽しんで欲しい。

MやMの子供達との生活を僕は僕なりに真剣に考えている。
でも、まず楽しさや小さくても良いから幸せな感情が第一に無いと
重すぎて沈んでしまう。
唯でさえ、問題は山積でそのどれもが大きな山なのだから尚の事、いつも
明るく笑っていたいのだ。

笑っていないとどんどん沈んでしまう。
そしてそうなると、Mと一緒に居る事が苦しくなってしまう。

東京は湿気の篭もった曇り空。
予報では夕方雨になるらしい。

■2003/05/21 (水) 退職?

朝早くMのマンションに行く。
昨夜たくさん泣いたようでMは酷い顔をしている。
コーヒーをいれ、面と向かって話す。
やはり、込み入った話は電話じゃダメだ。
相手の顔を見ながらだと、上手く感情が伝わるし、話も早い。

 Mは職場に行って部長、婦長、院長と話し、今回の人事の真意を聞くこと。
 本当に新しい部署で夜勤を求められるなら退職する意思を伝えること。
 Mが職場で話し合っている間、僕はMの転職先を探すこと。

一人Mのマンションに残り看護婦の求人情報を探す。
こんな時、コンピュータの無いMの家は不便だ。
一緒に住むのなら第一に常時接続環境の整備だな。

看護婦と言う職業、少なくとも求人は沢山ある。
日赤の看護短大を出、バリバリの産科看護婦だったMだから転職は容易だと思う。

でも、常に子供がまだ小さいと言うことが足枷になる。
朝、子供を見送ってから出勤したい、夜勤は出来ないし夜あまり遅くもなれない。
Mの収入で住宅ローンと3人の子供を養っているので、最低月30万の収入は欲しい。

僕は数年前から毎月決まった金額を生活費の足しにと渡しているが
これから益々子供の学費が掛かるので、とにかく給料は少しでも多い方が良い。
それを考え、求人中の病院三つを探し出しMの帰りを待った。

2時間。まだMは帰らない。 話がこじれているのか?
一人でこのマンションに居るのは不思議な気分だ。
まだ、元旦那の生活臭が残っている。
ビデオでも見ようかとラックを見、その一番奥に元旦那の趣味だった
変態ビデオが沢山あるのを見つけ、物凄く嫌な気分になってしまった・・
普通のエロビデオでは無いのがパッケージから解る。 
早く捨てろよ、こんな物!

昼近くなって帰ったM。
結局、今の職場に残ることになった。
もちろん夜勤は無し。
部長のミスで夜勤の件が伝わらなかったらしい。(そんな事有るかね?)

今ひとつ、納得は出来なかったが、反面安心もした。
このマンションの名義をMに変えるにあたって、住宅ローンを組みなおさないと
いけない。
転職してしまって勤続年数数ヶ月じゃ、どこもお金貸してくれないから。

昼過ぎで今から出かける気にもならず、近所で買い物したり
散歩したりで一日を終えた。

Mの日常、仕事や経済面でのプレッシャーを少しだけ解る事が出来たと言う面では
有意義な日だったかもしれない。
でも疲れたな。

■2003/05/20 (火) ホテルは中止

火曜日。
明日は仕事休みで、Mと久々にホテルのサービスタイムに
篭もる予定。
仕事帰りにスーパーに寄り食材を仕入れる。

そんなに長時間何するんだ?と思われるだろうが
僕達はいつものホテルの平日サービスタイムをフルに使う。
そのホテルは朝9時から夕方5時まで居て3800円だ。
お酒と沢山の食料、映画やテレビを録画したビデオなんかを
持ち込み昼間から2人で宴会をするのは楽しい。

で、火曜日の帰り道に「いなげや」で買い物。
ワインとビール、お惣菜の天麩羅、お刺身、サラダやピザ等等。
買い物を済ませ、ものすごい雷と大粒の雨の中帰宅。

余談だけど、台風や大雨の中を運転するのが大好きだ。
あの緊張感がたまらない。
これから夏になると、夕立が楽しみだな。
バイクや自転車のときは困るけど。

夜、Mと明日の打ち合わせを電話でしていたが様子が変。
Mは先日の転職の話を断り、職場内で一番忙しい部署への配置換え
を決め、それなりに楽しみにしていたようだ。

新しい部署で必要な知識をたまたま僕が持っていたので、資料を大量に
コピーし、明日渡そうと思っていた。

で、Mから聞いたのはこのような話。
6月から移るその部署の責任者に今日会った。
その責任者(病棟婦長)はMが夜勤を出来ないことを聞いていない。
そして夜勤が出来ないのは困ると言う。

Mはまだ小さな子供を抱え、母子家庭で実家も遠いので夜勤は絶対不可。
子供の学校が長期休みの時に実家に預け夜勤をこなす事も有るが
普段からルーチンワークとして日勤・夜勤の交代勤務はできない。
だいたい、日勤のみの条件で就職し、基本給だってボーナスだって
その分大幅に安いのだ。

なぜ、部署変えの時、その点を看護部長に確認しておかなかったのか?
なぜ、夜勤の出来ないMの事情を知っている看護部長がそんな人事をしたのか?
なぜ、その話を聞いた時、すぐに部長の所に行かずに帰ってきて
メソメソしているのか?
正職員の看護婦として夜勤をしないというのは物凄いハンデで、
いつも最優先で確認しないといけない事なのに。

で、また電話口で喧嘩。
喧嘩と言うかMが一方的に昂ぶっていた。
彼女としては、主任としてこんなに頑張ってるのに部長に認められず
ないがしろにされていると感じるらしい。

職場を辞める事になると思う、と電話口で言うM。
これで明日はホテルどころでは無くなった。

■2003/05/19 (月) ヨッチ

月曜日。
いつもの様に仕事帰りに畑に行く。
東京は朝から小雨が降っていたが夕方には雲の間から
青空が覗いていた。

途中の園芸店で稲ワラを300円分買い、それをイチゴとナスの根元に
敷き詰める。
乾燥防止と跳ね土による病害防止のためだ。
最近はコンバインで米を収穫するため、ワラが手に入りにくい。
コンバインでの収穫では、ワラは寸断され、ワラクズとしてゴミに
なってしまっているのだ。

次いで、モロヘイヤの種まき。
エジプト原産の野菜。
葉に粘りがあり、スープの浮き身にしても、たたいてご飯に掛けても
美味しい。
僕はモロヘイヤとメカブを混ぜたものが大好きで毎年作っているのだ。

作業の合間にイチゴ(女峰)をつまむ。
酸味が強くて香りが高く物凄く美味しい。
自分で作った愛着だけでなく、あきらかに市販の物より味が良いと思う。

と、向こうを見ると見慣れた人影が農作業している。
小学校からの友達「ヨッチ」だ。

かれも、この市民農園を借りていてたまに顔をあわせていた。
何をやっているのかと見に行くと、植えた作物を抜いている。
成長が悪いので植え替えるのだとか。

あー!っと思う。
彼は、こういう畑作業が初めてで、色々やってみたいのは解るけど
イヂリすぎは百害あって一利なし。
今頃植え替えちゃ駄目だよぉ、と思ったが、抜いてしまったものは
仕方ない。

とにかく、彼の情熱は凄い、
色々な人に話を聞き、文献を漁り、試行錯誤で沢山の種類の野菜を
作っている。

それも、これも、今年小学校に入った娘と共同作業をするため、
娘に美味しい野菜を食べさせるためなのだ。
先日もお揃いの色の軍手をはめて、親子でクワを振るっているところを
見た。

小学校時代、あんなにヤンチャだったヨッチが、いまやこれほど子煩悩で
良い父親になってるなんて。
なんか自分の事のように嬉しくなる。
子供、可愛いんだろうな。
自分の子か・・

頑張るヨッチにモロヘイヤの種をあげた。
簡単に出来る作物だから夏には収穫できるだろう。
幸せそうな幼馴染を見てとても良い気分だ。
ぼくも、いつか絶対にと思う。

■2003/05/17 (土) ノゾキに遭う

土曜日。
明日は休みなので、今夜は飲むぞ!と思っていたところにMからメール。
夜遅くに車で遊びに来るという。

土曜の夜は普段運転しない輩が徘徊していて危ないので、僕がMの家方面に
行く事にした。
だからお酒は無し(涙

深夜、車でマンションに迎えに行き街道を流す。
川沿いに美味しいラーメンの屋台が出ているとの噂をネットで読んだので
探してみたが見つからなかった。 休みだったのかな?

タマちゃんポイントの近くの河川敷に車で降りてみる。
ここは不思議な場所で、荒川の河川敷なのだけど、土手の内側に延々と
田んぼ、畑、グラウンドが続く広大な空間になっている。
昼間は散歩やスポーツ、農作業の人たちが沢山居るが深夜のこの時間
人も車も無くとても静かだ。

暗くて静かで誰も居ない場所、車で二人きり。
下心むき出しで車を停めてエンジンを切った。

音楽が止まってみると本当に静かで、田んぼで鳴く蛙の声が聞こえる。
ヘッドライトを消した河川敷は不思議な雰囲気。
遠くに秋ヶ瀬橋と武蔵野線の鉄橋が見える。
反対側にも橋が見えるけど、名前は解らない。

気温が下がったのと川の湿気で凄い霧。
霧で遠くの明かりが滲んですごく幻想的。
なんだか雲の中に居るみたいだった。

そんな光景を見ながら野獣に変身してMに襲い掛かっていたら
ふっとドアミラーに影が動いた。

一瞬オバケかと飛び上がったが、良く見ると多分ノゾキ。
無灯火の自転車で、黒ずくめの服装で僕の車の後ろをウロウロしながら
こちらを見ていた。

良くまぁ、こんな場所に自転車で来るものだ。
その努力は認めるが、見せる訳には行かないので退散する事にした。
そう言えば10代の時、当時の彼女と小金井公園に車を止め変な事を
していたらノゾキにガラスごしペンシルライトで照らされた事が有る。

はぁ、10代の頃から全然進歩して無いよ、とか言いながら帰途についた。
遅い時間に帰って、今朝は甥に早く起こされたので寝不足でぼーっと
している。
今から又、畑にでも行こうかな。
その後久々に三鷹の「江ぐち」に竹の子ソバでも食べに行こう。

■2003/05/16 (金)

昨日の東京地方は、とても柔らかな雨で嬉しかったな。

雨が好き。
高校時代は山登りをしていた事もあり、気象や天気図に興味があり
「天文と気象」なんていう硬い雑誌を定期購読していた。
毎日決まった時間に放送されるNHKラジオの気象通報を聞くのが大好きで
「南大東島では風力・・」なんていうアナウスを聞きながら知らない場所を
想像するのが嬉しかった。

あの、独特の平板な原稿の読み方、知らない地名、遥か遠くの天気。
僕にとってNHKラジオの気象通報は、想像力をかきたてる大好きな放送だ。

そんな気象への興味の中で、特に雨の降り方に興味があり、好きだった。
天文と登山の部活を掛け持ちしていたので、どちらも天気に左右されると
言う事で、当然なのだけど、気圧の配置と雨の降り方には詳しい。
喘息の発作もちで天気しだいで具合が悪くなると言う情け無い面も
影響しているのだろうが。

で、昨日の様な柔らかな雨は気持ちも柔らかくなる。
良く眠れるし、気管支にも優しい。
雨の中を傘を差して歩くのも楽しいし、畑の作物も喜んでいそうだ。
飼い犬は雨が降るとトコトン眠いようで、一日中犬小屋から出てこない。
野生の血がそうさせるのだ。
狩の出来ない雨の日は、エネルギーを消費しないようにひたすら寝るように
DNAにインプットされているのだ。

今日の帰り道、いつもの酒屋さんで良い酒を買ってきた。
大好きな宮城の金の井酒造の「綿屋」。
純米生原酒である。
この最高の酒を飲みながらスイレン水瓶に入れたメダカを見ている。
そこに放した20匹のメダカは仲良く群れをなしている。

あぁなんて平穏な時間だろう。
もう少ししたらラジオをつけよう。
22時、NHK AM第二放送で気象通報が流されるのだ。
雨は何処まで降っているのかな。



■2003/05/14 (水) タマちゃんがいた!

火曜日の夜、Mと2時間に及ぶ長電話。
Mの転職の話をする。
で、喧嘩になった。
電話での喧嘩は顔が見えないだけに言葉がキツクなる。
お互い嫌な気分で電話を切った。

翌日、仕事は休み。
朝の9時には畑に居た。
何度も書いてるけど、車やバイクを走らせるのと同じ位
畑作業は良い気分転換だ。
2時間掛けてエダマメを植え、雑草を抜く。

昼前にMが畑に来た。
彼女も今日は休み。
で、あっという間に仲直りしMのマンションへ行く。

少し時間を置いただけで仲直りできる安心感があるから喧嘩するのかな?
でも、喧嘩なんかしたくない。

埼玉のMのマンションから僕の車で八王子に行く。
離婚に伴う手続きで家庭裁判所に行く必要が有ったのだ。
30キロ走って裁判所に着くも昼休み。 さすが公務員である。
1時に窓口が開いて、でもここでは駄目で浦和の家裁だと言われる。

離婚届を出した市役所に八王子だと指示されたのだが、それを言っても
仕方が無い。 役所の悪口を車の中で言い合いながら浦和に急ぐ。

ナビによると到着予定時刻は3時45分で、受付が4時までだからギリギリだ。

腹ペコで、運転しながらプレミアムマックを食べた。
食べにくい・・ 手とハンドルがベトベト・・

浦和家庭裁判所は綺麗で八王子より明るい印象。
手続きも早く終わり、さてどうしようか?と言う所でハッと気付いた。

法廷を傍聴してみたい!
前から一度見てみたかったのだ。
法廷は誰にでも開放されていて自由に傍聴できるのだ。
で、家裁と同じ棟にある地方裁判所の法廷へ。

被告人席に居たのは外国人で通訳を介して弁護人が質問していた。
時折、裁判長が補足で質問する。
話の内容から、包丁をもってエステを襲った強盗らしい。
不謹慎なのは承知しているけど面白い!まるで映画のシーンみたい。

最後列の席で
  あの被告、悪そうな顔してるねぇ  あっ、今、こっち見たぞ
なんてコソコソ話しながら見ていた。

帰りにまた荒川にタマちゃんを探しに。
と、居るじゃないか、タマちゃん!
係留ボートにあがって時折周囲を見回し大きなアクビをしている。
周囲には100人くらいの見物人。
皆、タマちゃんにクギヅケだ。

荒川にアザラシが居るなんて、なんと不思議な光景だろう。
ずっと見ていた。
今日は楽しい一日になったな。

■2003/05/13 (火) 生活あっての仕事だから

火曜日。
仕事が色々上手くいかず、忙しくてゆっくり考える事も出来ず
イライラしながら帰路につく。
このまま帰りたくなかったので、借りてる畑で気分転換。
昼間、どんな荒んだ気分でも、畑でトウモロコシに水をやり、
オクラに支柱を立て、ナスの根元に土寄せしていると機嫌が
良くなってくる。

帰って兵庫の銘酒「赤石」を飲んでご機嫌だ。
我ながら単純と思う。

金曜日に行った旧岩崎邸。
そこで抹茶を飲んだのだけど、それが思いがけず美味しくてびっくり。
昔、祖母が元気だった頃、よく飲まされたな、抹茶。
当時はまだ小さくて、この苦いお茶が苦手だった。
砂糖入れて飲んだりしてたものだ。
それを今はとても美味しく感じる。
Mも昔、お茶を習っていたので抹茶の話で盛り上がった。

で、Mが抹茶を飲むのに必要な物を揃えプレゼントしてくれた。
日曜深夜に車で僕の家まで持って来てくれて恐縮。
自分の部屋で抹茶を立てるなんて不思議な感じだけど、有り難く
使わせてもらっている。
こうして自分でやると、すこしお茶を勉強してみようかな?
なんて思ったりもする。

そのMだけど、他の病院から誘いが有って転職を考えている。
僕としては、その件に警戒している。
Mは、真面目と言うか同時に幾つかの事を処理するのが苦手?な所があり
新しい職場になんか移ると、それだけで燃え尽きてしまうのだ。

いまは子供が小さい事を理由に夜勤を最小限にしているが、新しい所では
そうも行かない。
ただでさえ子供と過ごす時間が無いのに、あれほど仕事が忙しいのに、
これ以上無理をして欲しくないし、子供にも負担が多すぎると思う。

Mを見込んで声を掛けてくれたのが嬉しいのは解るが、母親としての
立場を考えないと、なんといっても子供はまだ小学生なのだから。

時を同じくして、今の職場でも配置転換の話があり、循環器病棟へ
移らないかと言う話もあるらしい。
循環器かぁ、こりゃまた忙しい部署だ。
転職にしろ、配置転換に応じるにせよ、大変な生活が待っていそうで
僕も少し憂鬱だ。
もう良いよ、もっと楽しろよ、と言ってはいるのだけど。

■2003/05/11 (日) 水がめとスイレン

今、日曜日の午後。

休みの日はいつも早起き。
今日も車で30分ほど離れた大きなガーデニング店の9時の開店と
同時に入店。 まだすいているうちに店内を物色する。
今日の目当ては直径1メートル程の大きな「水がめ」とスイレン。

「水がめ」って知らない人も居るかもしれない。
巨大な植木鉢で、底に穴の開いていない物と思って貰えば良い。
ここに水を張ってスイレンを植えたり、メダカを飼ったりするのだ。

ちょうど良い「水がめ」が思っていたよりずっと安く(5000円)有ったので
喜んで買った。
スイレンや植木鉢、肥料と稲(こしひかり)、ついでにメダカも10匹購入。
僕の乗用車に積み込むのに少し苦労したけど無事に持ち帰り早速庭仕事。

稲は適当な容器に土と水でミニ水田を作り6歳の甥と田植え。
上手くいけば秋には稲穂が見られると思う。
水がめは半分ほどを土に埋め、その周りを玉石で飾り、水を張って
スイレンを植え、メダカを放した。
メダカが群れなしてスイレンの間を泳ぐのは本当に可愛い。
このスイレンに花が咲けばまた良い見ものだろうな。

新しい家の僕の庭の部分はこれでほぼ完成かな。
芝を張って、とうろうを置いて、石を積んで水がめも置いた。
ヒマワリと朝顔の種も蒔いた。
以前に比べてずっと狭くなってしまったので、畑は別の場所に借りないと
いけなくなったが、まぁしょうがない。

ほぼ出来た庭を見ながらビールを飲むのは気持ち良い。
夏になったら縁台も作らなくちゃな。
もう一休みしたら今度は畑に行こう。
ナスが少し元気ないので気になるんだ。

庭に面した部屋の窓を開けたままで、こんな風に日記を書いていると
飼い犬(シバ犬のテツ君)がじっとこちらを見ている。
キーボードの音が気になるのか、不思議な顔をしている。

平和な日曜日だ。
なんだか眠くなってきた。

■2003/05/10 (土) タマちゃんを探しに

土曜日。
仕事帰りにいつもの宮田酒店へ。
ここのご主人はまだ若いけど、物凄く研究熱心で、全国の蔵元を
歩き、自分で試飲し納得したものだけを店に置いている。
このご主人に勧められたものでハズレは一度も無いので安心して買える。

で、今日は兵庫の「赤石」という初めての酒。
ズッシリと重い味で量は飲めないが、どんな食事にあわせても負けない
強さがある酒。 まさに僕の好みで嬉しくなってしまった。

昨日の金曜は仕事休みで、Mとデート。
湯島の「旧岩崎邸」を見に行った。
ここは三菱の創設者の邸宅だったが戦後の財閥解体で国有財産になった
というもの。
湯島と言えばもう一つ行きたい場所がある。
去年、テレビでやっていたラーメン特番で人気投票一位になった
湯島の「大喜」。 ここの「とりそば」を是非食べてみたかった。

で、車を駐車場に入れ、まずは大喜へ。
20人ほどの行列だったが回転が速くさほど待たない。
Mは醤油、僕はとりそば。
うーん、美味しいんだけど、一位になる程なのかな?と言うのが感想。
上品だけど印象に残らない感じ。

旧岩崎邸には圧倒された。
先日行った古川邸と同じ英国設計家の作品で、やっぱり雰囲気が似ている。
洋館と和館が繋がった不思議な建物。
高い天井、上品な照明、和紙と絹の壁、各部屋にある暖炉・・
溜息の出るような世界で、かつて此処で、三菱の重役たちと国の高官が
葉巻でもやりながら、どんな話をしたのだろう。
戦前の上流階級の今では想像も出来ないような世界を想像すると
溜息が出る。
和館で一杯500円の抹茶を戴きながらMと二人でボーっとしてきた。

で、少し上品疲れしたので、気分治しに荒川に「タマちゃん」を探しに
いった。
今、タマちゃんが居る地点は、Mのマンションから車で30分程の所なのだ。
河川敷に車を停めて歩いていくと、報道の中継車が並び、探している場所
が遠くから解る。

そこは屋台の焼きそばも出てまるで観光地。
各社のカメラは係留されているボートの周辺を睨み、双眼鏡を持った人が
河川を探す。
報道は殺気立ち、見物人はお祭り騒ぎ。
僕達も、もし目の前にタマちゃんが顔を出したらどうしよう?などと
ドキドキしながら川面を見つめていた。

結局、僕達はタマちゃんに会えなかったが、充分この雰囲気で楽しめた。
充分平和な気分になれた。

■2003/05/08 (木) 本が好き

どうも最近、ネット環境が不調。
まぁ常時接続でいつもツナガッテルというのは7~8年前に
ネット(当時はパソコン通信と言った)を始めた頃は考えられなかった
けど。
去年、安さにつられてCATVからADSLに乗り換えてから不安定で
安さより安定度を採るべきだったかと少し後悔中。
それでも、まぁ2メガ程度の速度は出ているのだけど。

今日は僕は仕事、Mは休み。
Mの休みは開校記念日で学校が休みな息子達に合わせた物だ。
僕は職場の自室で仕事をしながら、Mと頻繁にmailを交わす。
今日Mは息子達を連れて両国の「江戸東京博物館」に行ったのだ。

朝、早い時間にmailが入る。
両国に10時に着くにはどう行ったら良いか?
普段、車を使うMは電車の移動に慣れていない。
早速ネットで検索し経路を返送。
ついでに今やっている催し物と近所の見所も検索しmailする。
昼、息子のリクエストで美味しい醤油ラーメンが食べたいとの連絡。
普段出入りしているラーメン系のHPで幾つかの店をpickup、
お勧め店をmail、ついでにお勧めメニューも教える。

つくづく、今のネット・mail網の便利さを痛感する。
僕が社会人になりたての、つい10年前は、まだ携帯も高嶺の花で
庶民はポケベルを愛用してたものだ。
待ち合わせにはNTTの「伝言ダイアル」を良く使ったな・・なんて遠い目
になってしまう。

ここ2週間ほどは山崎豊子の「沈まぬ太陽」を読んでいた。
全5巻の長編で、読み終わってからグッタリ疲れを感じるほどへヴィな
内容だった。
次は気分を変えて遠い昔に買ったトーべ・ヤンソンの「ムーミン」シリーズ
を再読する。(全8巻)
今夜は「ムーミン谷の冬」。

これを読んだ頃の事がページをめくるたびにありありと思い出される。
将来、自分はどうなるのか解らずに、悶々としながら、ただ受験勉強を
機械的にこなしていたな。
深夜、勉強に疲れるとコタツに寝転んで、この文庫を読んでいた。
なんだか不安ばかりの日々だったな。

そんな事を考えながら本の世界に浸るのはとても良いものだ。
毎晩、部屋の明かりを落として、ベッドサイドの照明のみで、
大きなグラスに作ったウイスキーのソーダ割りを飲みながら本を読むのは
欠かせない習慣だ。

東京は夜になってまた雨。
開けた窓から雨の音を聞きながら本を読むのも、これまた良い物だ。

■2003/05/06 (火) 連休おしまい

はぁ・・連休もおしまい。
別に、仕事がそれほど嫌いな訳ではないけど、はやり連休にゆっくりと
過ごす方が良いに決まってる。
特に今年は最大3連休しか取れなかったので、どこにも行かず返ってゆっくり
出来た気がする。

この休みの何日かは、幼馴染と昔のように近所を散歩し
意味も無くお店を見て周り、車でウロウロし・・そういう時間が
とても楽しかった。

日曜の晩はMのマンション。
子供達が親戚の家に泊まりに行ったので、ゆっくりできる。
と言っても長女が部活の朝練で早朝に帰ってくるというので、僕は泊まらず
深夜に帰ってきたが。
Mが離婚したとは言え、一気に解決できるはずも無く、まだまだ子供達の居る
時に堂々と遊びにいける関係ではない。

何年も前に離婚したら飲もうと買ってあったワインのコルクを抜いた。
昼間、イトーヨーカドーで買った大量のお惣菜をテーブルに並べ、

  離婚、おめでとう      
           ありがとう

こんな会話をしながらコルクを抜いた時は、さすがに目頭が熱くなった。
夜、テレビを見ながら一緒にお酒を飲み食事する。
こんな普通の事が何の負い目も感じずに出来るように
ようやくなってきた。
少しずつ前進できれば良いと思う。

長い時間を掛けて、やっとコルクを抜く事の出来たワインは、香りが飛んで
居たけど、味は丸くてとても美味しかった。 
二人であっという間に一本明けてしまった。

今日、火曜は連休明けで怒涛の忙しさ。
朝早く出勤したが、殆ど休む暇なくあっという間に夕方になった。
他部署のミスで大いに迷惑を掛けられイライラしっぱなし。
帰り道、気持ちがササクレてるなと感じ、真っ直ぐ帰らず、借りている
農園に行った。
ここで、作物に水をやり、土をいじっていると本当に気持ちが落ち着く。
先日蒔いたエダマメも芽が出ていて、可愛いかぎり。

早く大きくなって美味しいエダマメになっておくれ。
そんな事を考えていると名前を呼ばれた。
小学校の時の同級生「ヨッチ」である。
聞けば、彼もこの農園を借りていて、しかも僕の数ブロック隣だ。
すごい偶然。
もう何年も会っていない友達と、ごく普通に会話できるのはやっぱり
小学校時代に出来た友達なだけ有る。

そんな友達と市民農園で再会するなんて、オヂサンになったものだ
と二人で笑った。

2003/05/02 (金) ぼくにとっての御巣鷹

1985年の夏、僕はその春に都心にある校則のとても厳しい私立高校を卒業
したばかりで、大学にも行かず他に志があるでもなく、
毎日バイトばかりしていた。

8月に入って、吉祥寺の本屋にバイトを決めた僕は安い時給を補うべく
一日12時間、その店で働いていた。
当時、彼女は居ず、給料で車の免許でも取ろうと思っていたと思う。

その店ではいつも店内にFM放送を流していた。
その日いつもと違い、FMからはずっとクラッシックが流れていた。
その合間に沢山の人の名前が読まれていた。
それが日航機墜落事故だった。

あの日の事は今でも良く覚えている。
操縦不能に陥ったジャンボ機が30分も迷走を続け、御巣鷹の尾根に
時速500キロで激突し520人の方が亡くなった史上最悪と言われる事故だ。

その事故から10年して、僕はMという看護婦と知り合い今に至る。
付き合い始めたばかりの頃、なにかの話の流れでこの日航機事故の
話になった。

その時初めて、この事故の時、日赤に新任看護婦として入職したてだった
Mが深夜勤務明けから電話で呼び出され、この現場へ派遣されご遺体の
回収作業に従事した事を聞いた。

それは凄惨を極めた体験だったようで、
Mは「経験したものでなければ解らないよ」と詳しく話さなかった。
ご遺体の大半は部分遺体で、それらを清め白い布に包む作業が延々と
続いたらしい。

気温40度を越す体育館で彼女が極限の体験をしている時、僕は本屋の
レジで少年ジャンプを売っていたと言う訳だ。

昨夜、Mの離婚騒動で興奮した僕は一睡もしなかった。
ベッドの中でウイスキーを飲みながら朝まで本を読んでいた。
それは山崎豊子の「沈まぬ太陽」。
日本航空の内幕を描いた全5巻の長編である。

主人公は組合活動家として会社にマークされ10年以上、海外僻地勤務
を強要される。
やっと日本に帰れた主人公を待っていたものは日航機墜落事故の遺族担当
だった・・と言う所まで読み進んで涙が止まらなくなった。

そこにはMの口から直接語られる事の無い事故現場での看護婦達の働きが
描かれていた。
僕の大切な人はかつてこんな体験をしたのか。
これは地獄じゃないか、と思った。

夜になってMと電話でその話をした。
やはり当時の話はあまり語らないが、そのうち慰霊塔のある群馬県上野村
へ行ってみたいと言っていた。

■2003/05/01 (木) D-day

Mが離婚した。

今日、僕は仕事を休みMのマンションでダンナが送ってきていた離婚届の
空欄の証人欄に自分の住所、氏名を書き印を押した。
もう一方の証人は、今、ダンナと同棲している女性が書いてあった。

車で30分ほどのM夫婦の本籍のある市役所に行く。
実にあっけなくMは独身女性に戻った。

この時を8年待ち続けた僕は、でもまるで実感なく、ただ市役所の窓口
で手続きするMを少し離れた所から見ていた。

数年前、山梨のワイナリーで離婚が成立したら飲もうね、とワインを
買ってあり、コルクを抜く時の事を良く想像したものだが、なんだか
すっかり放心してしまい市役所から近い「シズラー」でサラダバーを
注文し窓の外を見ながら二人で食べていた。

離婚の条件は3人の子供に対する養育費その他一切無し。
親権は2人はMが、1人は奴が取った。
でも、奴が親権を取った子も、奴は育てる意思は無くMが育てる。

この離婚で、Mは夫婦で買ったマンションのローンと3人の養育を背負った
事になる。
この離婚条件について僕は何も言える立場じゃ無い。
でも、日記だから少し書くけど、親権をとった1人の養育費位払うのが
当然じゃないのか?と思う。
親権は俺が貰う、でもお前が育てろ、金はやらん?

奴は、今同棲している女性と結婚して子供を作るつもりなのだ。
3人の子供を元カミサンに育てさせ、自分は1からやり直しかよ。
散々Mに暴力を振るい、警察沙汰まで起こし、次々と女を作り、
挙句出て行った男。

くそっ!と思う反面、この離婚には僕が原因になった部分も大きいはずで
あんな男の事を考えるより、MとMの子供達の生活を少しでも支える事を
考えるべきなのだろう。
Mの離婚が成立しない事は僕のストレスになっていた反面、
それを逃げ口上にしていた部分も有る筈だ。
結婚している人にそれは出来ない、それは言えないと・・
これからは逃げる事は出来ない。

なんだか疲れてしまい、自分の考えをまとめる事が出来ない。
もちろん、嬉しい。
でも、そう言うpositiveな感情はこれからジワジワと湧いてくるのだろう。
まだ、これからやる事はタクサン有る。
子供の事で家裁にいったり、マンションの事で銀行に行ったり・・

とにかく今日、Mは離婚した。
8年間、不倫と言われ続けた後ろめたさから開放されたのだ。

不思議な一日だった。
天気がどうだったかも覚えていない。