03/22003年02月28日


 

■2003/02/28 (金) 一日が終わる

ダメダメな一日がまた終わる
夜、自室で思い返してみても、この一日がどういう日だったのか
何をしたのか即答できない
ただ、朝起きて夜仕事から帰るまで、恐ろしく早く時間がたっていたようだ
いや、それでも良く考えて見れば、それなりにキチンと仕事はしていた
今日こなさねばならない事は一応終えた

でも、この不完全な違和感はどこから来るのだろう
多くを望んでいる訳ではないのに、ルーチンワークはこなしているのに
夜、一人でいると、自分がまったく社会から隔絶された落ちこぼれの様に
感じてならない

何を、こんなに煮詰まっているんだろう
どうしたいのか、自分で良く解らないのだ
仕事を持ち、それなりに働き、それなりに給料を取り、望めば定年まで
今の職場で安泰に過ごす事が出来るだろう
それなのに、なぜこんなに満たされず、自信が無いのか

学生時代の様な、毎日が祭りで毎日夜家に帰るとヘトヘトで、
すべてに好戦的だった、あの頃の様にはいかない事は承知している
でも、今と違う何かを望んでいることは確かだ
その何かが何なのかわからずにオロオロしているのだ

なんて言いながら、また呑んでいる
今夜は宮城の日高見・吟醸うすにごり原酒
原酒だから度数が高い
うすにごりだから独特の濃厚さがある
吟醸だからすばらしい芳香だ
つまりは大好きなタイプの酒だ

ツマミは煮ヤッコ、菜の花芥子和え、じゅんさい、明太子だ
明日は仕事だから深酒は出来ぬが、それでも週末の開放感はある
撮り溜めしたビデオでも見ながら少しずつ酔って行こう
良い気分に酔えば色々な事からも少しは気が晴れるだろう

■2003/02/26 (水) ランを見に行く

公休
寒い朝、スクーターで待ち合わせの駅へ
皮手袋をしていても指先の感覚が無くなる程寒い
今日はMと東京ドームへ行く
「世界らん展」だ

電車で出かけるのはかなり久々
やはり電車は嫌いだ
狭い密室に沢山の人間が乗っているのが気味悪く思えてしまう自分は
異常だろうか? とにかく混んだ電車はキツイ
丸の内線、後楽園駅に着いたときにはすでにグッタリ

まだ時間が早いので、水道橋のサブウエイでサンドイッチの朝食
僕はシーザーBLTをセサミで(570円)Mはタマゴをウィートで(320円)
ここのサンドイッチは大好きだ
パンやドレッシングを選べるのも嬉しい
これらを食べながら他愛の無い話。外堀通りを眺めながら

らん展はあまりに混雑していて綺麗な花を観賞するどころで無い
ランの香りとおばさんたちの香水が混じった空気や人いきれで
少し気分が悪い
入場料2000円の価値はチト疑問に思った

それより、ドーム隣の小石川植物園が良かった(入場料300円)
梅や福寿草が咲き、池の鯉も元気に泳ぐ
もうすぐ春ですね、ってなもんだ
ここを散歩するのは良い気分だった

新宿まで帰って中村屋でカレーバイキング
カレー6種類、ナンやライス、サラダ、ケーキなど90分食べ放題で1280円
安いよね? カレーは全種類食べたけど皆良い味だったし、ケーキもうまい
ここで、ビールも呑みながらゆっくりマッタリする

その後、デパ地下を楽しみながら散歩
試食したり魚屋の活気に目を丸くしたり酒売り場の品揃えに難癖つけたり
小田急の地下で試食販売していたチーズ専門店で高価なブルーチーズの
カタマリをMに買ってもらってしまった

こうして読むと、値段の記載が多いな
来月、ある大きな支払いがあって、ここ一年ほど、その為に余ったお金を
溜めていた
借金したくないので、来月気持ちよく支払えるようにお金を温存したいのだ
今月の給料からその支払いのために10万円をヘソクリしたので節約
しなくちゃなのだ
今月、来月節約すればその大きな支払いを借金なしで乗り切れる
この2ヶ月、無駄使い大好きの僕には辛いが仕方ない

支払いを終わらせたら、無駄使いするぞ!
衝動買いするぞ!っと変な目標を立てている

■2003/02/25 (火) 普通の日

特筆する事無し
あいも変わらず低調で気分が晴れない
夜良く眠れないのが体に響く
朝、携帯にセットしたアラームが鳴るより早く6時前に目覚め
眠りが浅いため呆然とベッドの上で考え事をする

コーヒーすら胃が受け付けず、でも気力を搾って玄関を出て車の所へ
夜のうちに降った冷たい雨で車は完全に凍っていた
また家に帰り、鍋に湯を入れ、車のフロントグラスにかける

やっと出かけられると思ったが、シャッターの外にはトラックが路駐
していて出られない
家の外溝工事がまだ終わらず、職人の方の車が僕の車庫の前に止まって
いるのだ
トラックを移動してもらうのに時間がかかり、早く起きたのに
すでにいつもより遅い

焦って運転するも、ガス欠寸前の事を思い出し、スタンドで給油
ハイオク、リッター108円
お陰で朝マックしようと思っていたが時間が無く、ドライブスルーで
360円セットを買う
いつものオネーサン、コーヒーに砂糖もミルクも使わない事を覚えて
いてくれて、そんなことが妙に嬉しい

仕事は可も不可も無いが、来客が多くはかどらない
昨日は都庁に出張だったし、今日はお客ばかり
専門の仕事だけに専念したいというのは贅沢か

昼にカネボウのベトナム鳥麺(カップ)とカレーパン
午後、26の誕生日の職場の女性にアイスクリームと「スッパムーチョ」
をプレゼント
夕方、他部署の同僚に延々とグチを聞かされる

そんな、こんなでなんとか今日も無事終えた
こうして部屋に帰り、ウイスキーをすすりながら本を読んだり
日記を書いたりできるのだから、まぁ満足するべきか

後はなんとか、この鬱状態を脱したい
今夜は薬を飲んで早くに寝よう
明日は公休日

■2003/02/23 (日) 駆け落ちするかよ?

日曜日
今日は寒い
寒いのに、日曜なのに、我が家の門やブロック塀工事のため
車を出す事が出来なかった

で、スクーターで散歩する
空軍仕様のジャケットで上半身は温かいが足やつま先が痺れる
何と言ってもまだ2月なのだ

大型古本店をハシゴしてハードカバーを数冊購入
近所の小金井公園の梅祭りを見、ガソリンスタンド、DIY店、コンビニ
など幾つもの用事をこなす
こういった用途にスクーターは最適だ
渋滞を抜け、軽々とUターンし、停める場所に困らず低燃費

気候が良くなれば益々快適に移動できるだろう
車よりずっと早い時期から常に愛用してきた移動手段
今の100ccのスクーターで4代目の愛車だ

午後、Mは息子の少年野球チームの試合にお茶係として駆り出されていた
僕には良く解らない世界なのだが、少年野球の練習や試合には必ず
母親がお茶やオヤツの係りとして駆り出されるらしい
少ない休みをそんな事に使わなくてはいけないのでは大変だろうと
言ったが、必ずしもそうでもなく、自分の子供のユニホーム姿を
応援しながら見るのは楽しそうだった

で、早速スクーターで見物に行く
広いグラウンドで目の悪い僕は、中々MやMの子供を見つけることが
出来なかった
やっと見つけたときは、Mの息子はピッチャーとしてマウンドに立って
いた
へぇ、結構やるもんだな
なんだか僕も凄く嬉しくなってしまい、一人ニコニコしながら
いつも持ち歩いているデジカメで遠くから写真を撮っていた

もっと近くから、もっと大きく、とデジカメ片手にだんだんとベンチの
方へと近づいて行きやがて監督、コーチの中でカメラを振り回していた
後ろの方にMもいて、ポットのお茶を関係者に配ってた

ふっと横を見ると、Mの旦那と駆け落ちした女のご主人がいた
元々Mの旦那は少年野球のお茶係りとして来ていた母親と親しくなり
駆け落ちしたのだから、いまだチームに在籍する子供の応援にその
父親が来ていて不思議は無い

Mと直接話はしなくても互いに意識はしているようで、その緊張感は
僕にも感じられた
幾ら係りだとは言え、子供のためだとは言え、旦那の駆け落ち相手の
配偶者と同じ場所にいなきゃいけないなんて理不尽すぎやしないか
楽しかった雰囲気は一気に吹き飛んでしまい、寒い中フラフラとスクーター
で帰宅した

どっと疲れた
ままならない事ばかりの世の中

■2003/02/21 (金) 戦場のピアニスト

Mと予定を合わせた公休
朝、いつも仕事に行く時間に家を出る
でも、向かう先は埼玉のMのマンションだ

五日市街道、西武新宿線、青梅街道、新青梅街道、西武池袋線
僕の家からMのマンションまでの間には障壁が多い
特に朝の時間帯、渋滞や踏み切りによる遮断が多く時間が掛かる

Mはこの日、職場に監査が入るとかで、部署の責任者としての仕事を
こなさねばならず公休日にも関わらず早朝から出勤
僕はマンションの駐車場でMの帰りを待つ
途中で焼きたてのパンを買って来た

やがて帰ってきたMとマンションでしばしマッタリ
コーヒーと焼きたてのパン
娘に家庭教師を付けるか、塾に行かせるか、なんて相談を受けながら
新聞を読む

11時に部屋を出、マイカルに向かう
今日は「戦場のピアニスト」
おすぎのCMでやや見る気を削がれたが、やはり押さえておこうと

映画の前に寿司屋に行ったせいでキツイ腹を抱えながら映画が始まる
ホロコーストものの映画は見終わった後、どっと疲れてしまい楽しいもの
では無い
ライフイズビューティフル、シンドラー等、すばらしい映画だったが
見ていて疲れる。 いたたまれないのだ

で、戦場のピアニスト
決してお涙頂戴的な演出は無く、淡々と悲劇が描かれる
淡々としてるからこそ、心に染み入る静かで引きこまれる映画だった
飢えに苦しむ主人公を前にして、寿司屋でアナゴだぁ平目エンガワだぁ
マグロ中トロだぁと騒いでいた自分が恥ずかしい
ラスト近くに出てくる地平まで続くワルシャワの廃墟のシーンには涙が
出た

帰り道、ユニクロでチノパンを買った
ユニクロなんて久しぶりに行ったなぁ
最近は裾上げしなくて良いように、あらかじめ色々な股下のものが
有るんですね
改めて短足なのを思い知りました

その後、スーパーで食材を見る
Mは子供のリクエストでハンバーグ、僕は酒のツマミにジュンサイや
魚を買った

夜、遅くまで川上弘美の「センセイの鞄」を読み少し泣く

■2003/02/20 (木) 自家製味噌の仕込み

今日は味噌を仕込む
材料は大豆、塩、麹のみである

大豆は茹でて良く潰したものを5キロ
塩は1キロ弱
麹は2.5キロだ。 これは好みで麦麹、米麹どちらでも、またはブレンド
でも良い
麦麹は香り高く独特の風味、米麹はマイルドで安心の味
麹の専門店で手に入るし、ネット通販でも買える
僕は通販で買った。 上記の量で2000円ちょっと。

この全てを良く混ぜ、空気が入らないように容器に詰め、ラップで蓋をして
ひたすら寝かせる
2年位寝かせるととっても美味しい味噌になる
自分で作った愛着もあるし、市販の味噌に無い濃い風味は癖になる
長く寝かせ、濃い茶色に熟成した味噌はそれだけで良いツマミにもなる
焼き味噌にしても良い

何かを自分で作るのは楽しい
小さな頃から植物が好きで、大人になってからは家庭菜園をささやかな
楽しみにしてきた
自分で作ったトマトや茄子は美味い
ゴーヤの苦味、イチゴの酸味、大根の辛味
どれもすばらしい
自分で作ったものならではの喜びだ
スーパーで買った野菜にそれほど愛着を持たないし、そもそも買った野菜
をそれほど丁寧に味わう事も無い
実際の味の違いでなくて、愛着の違いなのだ

野菜だけじゃない
ヌカみそ、梅干、梅酒、干し柿
僕は皆、自分で作る
ジジ臭いけど、まだ36だけど、そういう事に何とも言い様の無い
幸せを感じる
かつて同居していた今は亡い祖母の影響だ
自分で作る事の楽しさを、僕は祖母に教わった
小さな頃に教わったそれは、今でも、そしてこれからもずっと続く
趣味になるだろう

ここ暫く、落ち込みが酷く苦戦していた
仕事に行っても、家に居ても気持ちが暗く落ち込み、楽しくない
夜は嫌な夢をみて朝起きる時間になっても良く寝た気がしない
なかなか這い上がれない
明日、僕とMは休み
梅でも見に行こうかと思ったけど、僕がこのような状態であまり長距離運転
したくなく、近所で映画でも見ようと思う
あしたMに会えば元気になるだろうか
互いに元気になれるだろうか

今日つけた味噌が食べ頃になる2年後、僕はどうしているかと考える
そんな事を考えながら一人の部屋で酒を飲んでいる

■2003/02/18 (火) 思うこと

なんとなく低調で気の重い日
天気は下り坂で予報では夕方から雨か雪との事

仕事を無難にこなす事は出来るが、それ以外の何かが欲しいとも思う
職場と家、気が向いたらジムに寄って少しの運動
そんな毎日に特に不満も無いけど満足している訳でもない
贅沢かもしれないけど、もっとなにかから満足感とか達成感とかを感じたい

背を丸めて暗い表情をしている事が多い気がする
ガラス張りコンビニの壁面にそんな自分の姿が映るとぞっとする
冴えないタダの中年の男
いつのまにか36歳になり、でも歳相応のモノも持っていない
ただの怠け者、ただの酒飲み
自分の事がそんな風に感じられる事が有る
たいした努力もしないで幸せになりたいと思っている
でも、何が自分にとって幸せなのかすら解らない

気分の晴れないときに思うのはこんな事ばかり
そして益々自分に自信をなくす
あぁ嫌だ嫌だ

新しいオモチャが欲しいな
前から気になっていたスクーター、やっぱり買おうかな
ホンダかスズキの250か400ccのスクーター
50~60万位するけど、そんなのが有ったら楽しいかもしれない
以前は車よりバイクが好きだったな
真っ赤なバイクで色々な所に行った
当時の彼女もバイク乗りだった
何時の頃からか車ばかりになってしまい、二輪の爽快感も忘れてしまった
ギア付きの普通のバイクは少し荷が重い
やっぱり大型スクーターが良いもしれない
もう少し暖かくなったら考えてみよう

昨夜はかき揚を作ってビールを飲んだ
その後ビデオでERを見つつMと電話
電話口のMは疲労困憊で、おのずと職場のグチしか口にしない

今日は朝からコーヒーを5杯、胃に悪いと思いつつとまらない
昼は「赤いきつね」とポッカのコーンスープ
今は午後3時 職場の自室でこれを打っている

さて、帰るまでにもう一仕事しようか
雨はまだ降り出さない

■2003/02/16 (日) 今夜の酒とツマミ

日曜日、終日冷たい雨
風強く木の枝が大きく揺れていた

週末は仕事が思いがけず過密であっという間に過ぎた
そこそこやる事があると時間が経つのが早い

金曜の夜、Mと電話でちょっとした言い争いになる
言い争い? そんなんじゃ無いか。 僕が一方的に罵倒しただけだ
Mの息子は風邪を引き学校を休んでいた
Mは仕事なので、息子は一人で家に居た
その息子の様子を見にMの旦那がやってきてマンションに入り込んだのだ

親としては至極当然の行為だけど、僕は気に入らなかった
そんな時だけ子供の好きなものを土産に持ってきて、Mの留守に勝手に
入り込むなんて許せないと思った
なんといってもMの旦那は少年野球で知り合ったMの息子の親友の母親と
駆け落ちしアパートで同棲している身だ
そんな人間が土産を持って親面するのが気に入らなかった

で、一方的にMに絡んだのだ
Mは悪くないのに。 Mの方がもっと不愉快なはずなのに
でも、僕の不満はそれだけじゃない
そんな男との離婚が中々進まない事にストレスを溜めているのだ
法的に他人になれば、勝手に上がりこんだ時、如何様にでも出来るのに
何年も宙ぶらりんで先が見えない
でも、次の日にはお互い普通に接することが出来たんだから
たまの喧嘩は良いガス抜きになるのか?
出来ればしたくないけどね

今日は午後1時間半だけMと会った
Mの夕飯の買い物に付き合ったのだ
往復の時間の方が一緒に居た時間より長いのがアレだけど
別れ際、キス一回

Mは子供の好物麻婆豆腐
僕もついでに買い物。 豚コマ、ネギ、大根、にんじん、ごぼう、豆腐
シメジ、ジャガイモ
そう、豚汁だ。
これに使う味噌は僕が2年前に自家製した麦味噌
長く熟成させただけあってすばらしい香味だ
2年は寝かせないと美味くないのに、もうほとんど無くて、次の仕込みすら
していない
これはイカン!とばかり、これを書き終えたら横浜の麹屋さんに早速
必要な材料を発注しようと思う

今夜は他に鳥と大根の煮物、蛍イカ、山うど酢味噌で燗酒を飲むつもり
外は寒いから燗酒が美味いだろう


■2003/02/13 (木) ユーザー車検しました

今日はとても良い経験をした
ユーザー車検だ
19歳で車に乗って17年 
自分で陸運に行って車検を通したのは初めての経験

ディーラーでの車検は今までとても負担だった
今の車は前回、この車にとって初めての車検が20万円
以前、アメリカのムスタングと言う車に乗っていた時は初回の車検
を通すのに35万かかり、他にも恐ろしいほどの修理費が掛かった事も
あり早々に手放してしまった

もともとの機械好きに加え、ここ数年ネットで知り合った同じ車に乗る
人たちの助けもあり、かなりの重整備も自分でするようになった
自分の車の健康状態が手に取るように良くわかる
で、今回は自分で車検を通すことにしたのだ

最近はユーザー車検をする人が多くなってきたとは言え、陸運支局は迷路
のようで、案内板も無いし解らない事ばかり
この辺はもっと改善していただきたいと思う
車検そのものはとっても簡単で、さくさくとラインを進み、心配した
ヘッドライトの光軸もOKだった

しかし、なんとブレーキランプの玉切れで落ちた
数日前、Mに見てもらったときは玉切れは無かったのに、ここ数日の間に
切れたのか
この車初めての玉切れが車検のまさにその時にやって来たのだ
これをマーフィーの法則と言うのだろうか?
まぁ、トランクに常備してあったスペアに代えて事なきを得た

楽しかったと言うのが今日の感想
これならバイク車検も自分でできるな
今回掛かったお金は重量税と自賠責、検査料で67000円位
ディーラーで通したら20数万円
単純には比べられないけど、経済的にピンチのこの時期、この差は大きい

午後、Mと短いデート
志木のいつもの蕎麦屋でMは天せいろ、僕は盛り二枚と舞茸天麩羅
彼女の海老天を貰う 美味しいね
土産にMが蕎麦茶を買ってくれた
その後アウトレットモールを冷やかし、Mは子供服をいくつか買った

今、純米三重錦という恐るべき酒を飲んでいる
その芳香はフルーツの様で、何故お米からこんな飲み物が出来るのか
わからない
わからないから、ただただ唸りながら飲み干すしか無いのだ

なんだか疲れたな
今夜は早く寝よう

■2003/02/12 (水) 貧乏って知っていますか?

夜、函館の女友達Kと激しくメールチャット
10数年前、まだ彼女が東京で僕と共に学生をしていた頃の出来事を
二人で語る
テレビに当時の共通の知り合いが出ていたのだ
Kはその人との間で一生忘れ得ぬ程の天国と地獄を見た
でも、もうそれは終わった事で、懐かしい思い出らしい
彼女のメールには「とっても嫌いな言葉だけど、あの頃は楽しかったね」

いや、当時だってそんなに能天気に毎日を過ごしていた訳では無い
むしろ、国家試験を前にして、それに落ちれば内定した就職先も
辞退せざるを得ない状況で、切羽詰り、不安で、自信なく先が見えず

でも、今、無性に当時の事を考える
近所のファミレス「i-hop」で夜から明け方まで、数百円のコーヒーと
パンケーキを注文したのみで勉強していた
車を買ってもらったは良いが、ガソリンはいつも「レギュラー千円分!」
クラスの鳴海君や斉藤君は良く電気やガスを料金滞納で留められていたっけ

勿論、アパートに風呂なんか無くって、実験で学校から帰るのが遅くなれば
たとえ夏でも、何日も銭湯に行けなかった
函館のKもその一人で、実家から仕送りを貰わずに苦学生をしていたKは
女の癖に朝、アパートの流しで髪を洗っていた
僕とKは微妙な仲だった

いつか、斉藤君の部屋に遊びに行ったら、異様にヤツレていた
問うと、金が無く、実家から送ってきた「奈良漬け」だけで数日生きてきた
とか。 彼は東京で初めてドリアを食べ、大変だ、グラタンの底にご飯が
入ってるぞ!とお店で驚愕していた

マクドナルドはぜいたく品で、吉野家の牛丼は目も眩む様なご馳走だった
オールドはほとんど呑めず、サントリーホワイトを大事に呑んだ
お店に入ると高いから、お酒と食べ物を持って、近所の井の頭公園で
遅くまで騒いでいたな

まだ十数年前の事だ
遅れて学生になった僕は当時24歳だった

カッコ悪く、貧乏で、デートしても割り勘どころか、いつも奢ってもらっ
ていた
それが今こうしてKと話して居ると無性に懐かしい
悔しいが、本当に懐かしいのだ

時間がたって、でもKはまだ独身 
僕は別居中といえ、結婚している人と付き合ってもう8年目
あの頃からの十数年はどこに行ったんだ?
無駄だったと思いたくない
何かの糧にしたい

色々考えながら菊姫山廃を燗で呑む
今夜は酔った

 

■2003/02/11 (火) 血は水より濃いのか?

昼間、大工さんが挨拶に見える。
自宅、次いでアパートの建設をして頂いた方。
長く続いた工事も遂に終わり今日で最後との事。
去年の夏からずっと続いた工事だ。 
温厚なこの大工さんとお別れと思うと少し寂しい。  
半年間、お世話になりました。

夕方、Mのマンションへ行く。
Mがチケットを手配してくれた民族楽器のコンサート。
僕とM、Mの子供達で西東京の「こもれびホール」へ。

お姉ーちゃんとはこの前新宿で食事した。
下の子達とこうして会うのは初めてだ。
と言ってもMは以前僕と同じ職場に居て、職場内の託児所にまだ小さな子供
達を連れて来ていたので僕はこの子達が赤ん坊の頃から知っている。
公立の保育園へ移る時、上の男の子は3歳、下の男の子は2歳だった。
その年齢だから、当然僕の事は覚えていない。
彼らにとっては僕との初対面の日である。

会場へと車を運転しながらミラーで後部座席に座った子供たちの表情を探る。
お姉ーちゃんはこの前会った時より多少は慣れた感じ。
でも、やはり少し緊張した様子?
下の子は昨日まで高熱を出していてまだ体調が万全で無くボーっとしている。
真ん中の子はシートの間からナビのモニターを嬉々とした表情で見ている。
珍しいのかな? 

車に乗り込む時、この子は大きな声で「こんにちは!」と言ってくれた。
さすが野球少年だ。 礼儀が良い。
でも、僕はその子の顔を見てギョッとした。 
父親にそっくりだ。 いくら血が繋がっているとは言え、あまりにも似ている。
これは僕の感情だからこの子には全く関係の無いことなのだけど、やはり
この世で一番軽蔑している男と同じ顔の子を見る目は複雑になってしまう。
複雑と言う以外言葉が無い。  少し動悸がした。

コンサートそのものは多才なゲストと相まって素晴らしい物だった。
が、僕はボンヤリと上の空になって考え事をしていた。
僕の隣に居る子供達とM。 この人たちを幸せにしたい。
でも、本当にそんな事が出来るだろうか。
特に子供達。
とっくの昔に家族関係が崩壊して他の女と同棲しているこの子たちの暴力父親。
それでもこの子達とは血が繋がっているのだ。

今の僕にはこの、血の繋がりと言う事がとてつもなく大きいものに感じる。
努力で超えられない壁に思える。
その事に気弱になる自分も好きじゃない。

■2003/02/09 (日) インフルエンザ

インフルエンザが流行っている。
東京都で先週の一週間で患者が5000人だって。
僕の周りでもインフルエンザだらけ。
僕の家では兄貴の長女とカミサンが。それに伝染されて僕の母親は
三日前から寝込んでいる。 熱と頭痛が酷いみたい。

僕は職場でワクチンを打ってあるんだけど、だからと言って絶対に
罹らないって訳じゃない。
で、インフルエンザ特効薬と話題の薬をここ数日、予防的に飲んでいる。
僕は呼吸器が弱いからインフルエンザなんかになったら命取りだ。
クワバラクワバラ。 どうか伝染りませんように。

11日の祝日、MとMの子供達と僕で出かける予定がある。
地元の公会堂でのコンサートなんだけど、コンサートなんかよりも
Mの子供達と出かける事で頭がいっぱい。
中学生の長女とはMと僕の3人で食事や買い物をしたし、良い雰囲気
だったが、下のチビ君達とは初めてだ。
もっとも僕は下のチビ君たちは赤ん坊の頃から知っているんだけど。

もし、何もかも上手くいってMと住む事になれば、当然、この子供達とも
一緒に暮らす事になる。ちょっと想像しにくい状況だけど。
それに僕や子供達、もちろんMも耐えられるかは解らぬが、とにかく何度か
会って、出かけて感触を掴んでおきたい。
皆そろって会う最初の機会が11日という訳だ。
緊張する。 上手くいくと良い。 なんとか上手く楽しい時間を送りたい。

でも、今日Mがくれた電話では早くも暗雲が。
一番下の子がなんとインフルエンザで39度の熱。
クソ! でも仕方が無いか、病気だから。 
今、39度の熱で、しかもインフルエンザでは、今回の計画は無理そうだな。
他の子にも伝染るかも知れないし。
うーむ、上手くいかないものだな。 忍耐忍耐・・・

今日の午前中は二日酔いの頭を抱えて車の整備。
13日に陸運に自分で持ち込みユーザー車検をするからだ。
下回りも洗浄したし、あとは書類の記載だけ。
上手くいけば1400円で車検完了になるはず。

午後は温かかったのでスクーターで散歩。
ひばりヶ丘のサニーでラーメンを食べる。
此処は池袋大勝軒ののれんわけで、池袋まで行く気力の無い時は
重宝する。 ダシの効いた汁と柔らかな喉越しの麺を堪能し満足。
夕方、竹が身上書の保証欄を書いてくれとやってきた。

そんなこんなで週末と休日は終わりまた月曜がやってくる。
春が待ち遠しい。

■2003/02/08 (土) 見合いする?

仕事の帰り道、お酒の安売り屋さんでバーボンを物色。
大好きなワイルドターキーを買って車に乗り込むと携帯が鳴る。
親友の竹から。 
呑みに行かない?
うーん、ちょっとやりたい事も有ったんだけど・・
でも、結局行く。

いつもの地酒の沢山ある割烹居酒屋。
今日は土曜で空いている。
八海山ビールで乾杯。 
これはアルトってやつで濃い栗色のビール。 うまい!
ツマミは、関アジ刺身、厚揚げ、ワカサギ天麩羅、ハタハタ焼きなど。
此処の料理は何を食べてもとても美味い。
都心の居酒屋で高級店と言われる所にも行くが料理の質、酒の揃えどちらも
負けてない。 
地元にこんな名店が有って幸せだ。

店が空いている事も有り、我々も、店の板さんもゆっくり寛いでいる。
僕はこの店に通ってもう17年位になる。
此処で色んな日本酒を飲ませて貰わなければ、こんなに日本酒に
嵌らなかったろうな。 
いまじゃ趣味は?と聞かれたら日本酒!と答えている。

その肝心のお酒は、まず、新潟の根知男山、続いて手取川の山廃、
開運の純米。 どれもシミジミと旨い。
男二人で、うーむと唸りながらひたすら飲む
その後、冬は燗酒ということで、北の誉を燗で6合位。

ある程度酔ったところで竹に驚愕の話を聞く。
竹、ずーっ昔から結婚願望が強かったが職場に女はゼロ。
他に知り合う機会も無いので困っていたらしい。
で、思い余って入会金払って結婚相談所に入会したとか。
入会金と毎月の月会費、一人紹介する度に紹介料、結婚迄行ったら20万円。

ひえーっと思う。
お金払って見合い相手を紹介してもらうなんて僕には想像も付かない
世界だ。
そこまで真剣に結婚相手探してたのか。 あぁびっくり。
1ヵ月に数人紹介してもらえるらしい。
そこに出す身上書の書式も見せてもらい、もう一度ビックリ。
本人の年収、財産から兄弟の学歴、親の資産まで書く欄がある。
そして、その身上書の内容に偽りが無いかの保証人まで必要らしい。
この保証人は幼稚園からの友達である僕が引き受けた。
見合いって凄い。これ普通なんですか? 経験者の方教えてください。

で、思いも寄らない話を聞いたせいで酒のペースを乱してしまった。
いつもは外では絶対にそれほど飲まないのに、大酔っ払い。
お陰で日曜は二日酔いの頭を抱える事になる。

■2003/02/07 (金) そして誰もいなくなる

昨日はまたMといつものホテルにいた。
昼間の8時間。
花粉症の薬でボーっとしている僕と、最近多忙で疲れ気味のM。
昼酒したせいもあり、良く寝たこと。夕方チェックアウトする時には昼寝の
しずぎで余計にボーっとしていた。
外は凄い風だった。 風の音を聞きながら昼間から酒呑んで昼寝して。
まるで世捨て人だな。
このホテル、サービスタイムが値下げされ3800円になっていた。
3800円で8時間居られるんだから安いものだ。

今日は金曜日。
朝、他部署だけど良く話す人からこの春で転職すると打ち明けられる。
職場で特に去年あたりから転職、退職が相次ぎ流れが止まらない。
それも僕と日常話している人達ばかり。
この一年半ほどで、周りの人達が次々と辞めてゆく。

別に職場が危ないとか給料が出ないとかと言う訳ではない。
以前から興味のあった他の職種へ移るとか、知り合いに引っ張られての転職
とか、実家に帰るとか結婚するとか。
一人一人にはもっともな理由があるが、こうも皆が居なくなるとやはり考えて
しまう。

僕はこれからどう生きてゆくだろう。
好きな職業に就くことが出来た。
子供の頃から理科が好きで顕微鏡でミジンコを見、望遠鏡で星を見ていた僕には
まずまずの職種だと思う。
でも、今の環境に拘らなければ別な可能性があるのだろうか?
もっと色々な人と出会ったり、新しい知識を身に付けたり。

新しい環境に飛び込むのは怖い。
新しい環境は人にとって全てストレスだし、慣れ親しんだ環境の居心地の良さは
捨てがたい。 
あるいは新しい環境を怖がるあまり、今居る環境を居心地良く勘違いするのか?
新しい物を手に入れるには古い物を捨てないといけない事もある。
捨てられなければ手に入らないモノもある。

自分の時間を有効に使えたらと思う。
30歳を超えてから時間の経つのが恐ろしいほど早い。
うかうかしているとやり直すことが出来なくなるだろう。
今の自分は終わりの無いmoratoriumの中にいて、這い出る事が出来なく
なっているのかもしれない。

もし今と違う環境を手に入れたいのなら真剣に考えなくてはいけない。
仕事にしろ、私生活にしろ、変えたいなら勇気を持って考えよう。
本当に変化を自分が望んでいるのか。
今のままで良いのか。

■2003/02/04 (火) 僕の嫌いなこと

僕は、忙しいと口癖のように言う人が苦手だ。
また日常に仕事の話やグチを持ち込まれるのが嫌いだ。
何かの言い訳に、時間が無いという人が好きじゃない。

僕だって仕事をしている。
ある部署の責任者だし、嫌な思いも、悔しい出来事も、目の回るほどの
忙しさも、日常の事だ。 
家に帰って昼間職場で有った理不尽さや悔しさに辟易とし、酒に逃げ
夢に見て飛び起きる事もある。
胃薬も手放せない。

でも、職場を出たらまた違う生活がある。
本来の自分自身の時間だ。
職場を出たら、できるだけ仕事の話をしたくは無い。
仕事を家に持ち帰る事は有っても、夜、夢に見て飛び起きても、
出来るだけ、職場を出たら仕事の話をしたくは無いんだ。

だから職場の飲み会も最低限のモノしか出ない。
交友関係も学生時代の友人中心で、就職してからは親友と言える
付き合いは作れていない。
学生時代の友人だけで充分だし。

昼間、仕事で嫌な事があっても頑張れるのは、仕事以外にちゃんと
自分の居心地の良い時間が有ってのことだと思う。
職場を出て、放心したり気の合う友達とバカな話に興じたり出切る
からこそ仕事が我慢できるのだ。

といっても、幸い僕は仕事に恵まれている。
興味のある分野で自分のしたいように働かせて貰っているのだから。
その点ではありがたい。 幸せな事だ。
でもストレスは人並みにある。

以前、Mも同様な感覚を持っていた。
彼女も勤務を離れたら仕事の話は意識して避けていた。
それは僕にとって居心地の良いことだった。

最近、Mはとても疲れている。
仕事が忙しいのだ。
毎晩子供達を待たせて遅くまで仕事をし、帰宅後遅い食事をしたら
もう疲れてしまい寝るだけだ。
寝たらまた朝が来る。 そしてまた早朝から仕事だ。 ゴミも出せない。
彼女は毎晩、僕に電話をくれる。
でも、このような状況で、彼女の電話の内容はどうしても職場のグチに
終始してしまう。

僕だって疲れているんだ。
家に帰って、やっとゆっくりした所で職場のグチを聞かされたくない。
もっと楽しい話をしたいんだ。
で、どうしても話が弾まなくなる。

彼女のグチを辛抱強く聞いてあげるのが本当なのだろうか。
いや、僕だって余裕があれば聞いてあげたい。
そしてできるなら、彼女を癒したい。

そんな余裕が有ればもっと優しくできるのに。
そんな余裕が僕には無い。

■2003/02/02 (日) チャレンジャー事故の時何をしていましたか?

19歳のとき大きな怪我をして8ヶ月入院した。
入院初期の数ヶ月はベッドの上に寝たきりで、風呂、トイレは
勿論、寝返りすら出来なかった。
その不自由な入院生活で唯一の楽しみはテレビだった。
消灯時間以後はテレビも消さないといけないのだが、
だんだんと慣れてくると看護婦さんの巡回の時間を覚え、上手く隠れて
夜遅くまでテレビを見ていたっけ。

ある日、早朝まだ暗いうちに目覚め、いつものようにテレビを見て時間
を潰そうとスイッチを入れるとチャレンジャー号の爆発事故をNHKで速報
していて、僕は心底ビックリしてしまい、これを誰かに話したくて、
でも、ベッドに寝たきりで周りは皆寝ているし、もどかしい思いをしたのを
昨日の事のように良く覚えている。
爆発したチャレンジャーのバックの空が青くてとても印象的だった。

昔から航空、宇宙関係がとても好きで、小さい頃から近所の調布飛行場に
飛行機を見に行ったり、天体望遠鏡を買ってもらい、夜な夜な星を眺めて
いたり。
そんな少年にとって、スペースシャトル・コロンビアの初打ち上げは夢
のような出来事で、当時中学生だった僕は、まさに目を丸くしてニュース
映像を見ていた。

大人になってからも興味は失せず、去年夏の日本が誇るロケット「H2」の
打ち上げを種子島まで見に行こうと仕事の休みをとり、飛行機、フェリー
レンタカー等手配し、後は打ち上げを待つだけだったが、台風の影響で
打ち上げ延期になってしまい、涙を飲んだりしたものだ。
でも、凡庸なロケットに比べ、やはりスペースシャトルは別格だ。

今回、17年前と同じでやはり深夜に目が覚め、何気なくテレビをつけて
コロンビアのニュースを知ったが、911テロの時と同じく朝までずっと
画面を眺めていた。
本当に残念で、本当に辛いと思う。
中学のとき、震えるほど感動させてくれた、まさにあの機体が爆発して
しまったのだ。 7人の方々のご冥福を祈りたい。

この事故を誰かと話したくてMにメールしようかと思ったが
彼女は前日携帯の機種交換をしたばかりで、まだiモードが開通せず
メール使用が不可能だった。
そして僕はチャレンジャーの事故の時のように、誰かと話したくても
話せないモドカシサを味わった。


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